【国語授業実践報告】東浩紀「弱いつながり」
■「弱いつながり」概要
哲学者でゲンロン創業者としても活躍する東浩紀。彼が震災後に記したエッセイ「弱いつながり」は、数研出版『論理国語』の最初の評論です。通常つながりとは強い方がいいもの、「弱いつながり」とは語義矛盾のようにすら感じます。しかし東は、家族や友人といった「強いつながり」だけでなく、「パーティーでたまたま知り合った」といったような「弱いつながり」が、人生に偶然性や出会いの機会を生み出すものとして重要なのだと説きます。
■授業時間数
短いテキストですし重要な部分も限られるので、1コマ(50分)で十分でしょう。僕もそれくらいの時間で授業し終えました。
■授業展開
このテキストは1行空きで3つのパートに分かれています。短いテキストですので分けるほどでもないのですが、一応3パートに分けて授業を進行しました。
〇パート①
ここでは「弱いつながり」の話は出てこず、構造と実存の対立、環境決定論と我々の自由意志との対立が説かれます。
私たちの選択は生まれとか、性別とか、周りの人間とかによって規定されています。しかし私たち個人の側から見ると、自分の人生を自分で選んだんだという感覚が欲しい。ではこの矛盾をどう解決するか。そこで東は、環境にノイズを混ぜ込むことで環境が強いてくる自己規定を少しずらすことは出来ないか、と提案します。
・発問
①「僕たちは環境に規定されています」とありますが、これはどういうことですか
②「人間を苦しめる大きな矛盾」とはなんですか
③「環境が求める自分の姿に、定期的にノイズを忍び込ませる」とはどういうことですか
・Tips
東さんはゼロ年代、濱野智史や藤村龍至などとアーキテクチャ論を展開し、禁止や命令ではなく環境設計によって人々の行動を管理する「環境管理型権力」について論じていました。このパート①にある環境決定論の話は、この「環境管理型権力」の議論も連想させます。
〇パート②
いよいよ「弱い絆」=「弱いつながり」の話が登場します。ただし、このパートはほとんどが具体例で、実は「弱い絆」がどのようなものなのかという定義がなされません。読み手には、自分なりの言葉で「弱い絆」について説明できるか、自分なりの具体例を作ることができるか、が求められます。『数学ガール』の結城浩いわく、「例示は理解の試金石」。
・発問
①あなたなりに、「弱い絆」を説明してください
②「弱い絆」/「強い絆」の具体例を作ってみてください
・Point
「パーティーでたまたま知り合った」のような例を見るに、「弱い絆」の説明には「偶然」かそれに類する言葉が入ってきてほしいところです。ちなみにこの第②パートにはありませんが、「偶然」という言葉は教科書本文中にも出てきます。
〇パート③
ネットや旅といった、生徒が興味を持ちやすい内容が展開されています。生徒が普段触れているアプリや最近のニュースなど現代の生活とも結びつけながら、「弱いつながり」の総括を行いましょう。
・発問
①「弱い絆」/「強い絆」に対応するものとして、それぞれなにが挙げられていますか
②なぜネットは「強い絆」を強くするのでしょうか
・Point
ネットが強いつながりをより強くする場所になってしまったという議論は、特にSNSをめぐってよく見られるものです。この機会に、SNSにおける「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」について考えてもよいでしょう。
・Tips
「弱いつながり」は震災後に書かれた文章です。2011年の「今年の漢字」は「絆」でした。東浩紀は、「強い絆」の必要性が叫ばれる時代に、あえて「弱い絆」の話を持ち出しているのです。
■プラス教材
東浩紀は現在の思想界全体で考えても重要な論者ですし、なにより教科書収録本文だと「旅」の話が唐突に出てくるだけで終わってしまい、彼の批評的キーワードである「観光客」につなげることができません。そこで「弱いつながり」の授業を行うにあたって、教科書にプラスして3つの副教材を用意し、授業としては全部で3コマ(高専で授業したので1コマ90分✕3=270分。50分授業なら5コマでいいと思います)取って関連教材を読解していきました。
なお、個人的に「質よりまずは量」という方針をとっているので、コマ数に対する教材の数は多めです。
◯進行表
1コマ目:教科書「弱いつながり」全部、東浩紀「観光客になる 福島」半分(『弱いつながり』所収)
2コマ目:「観光客になる」残り半分、落合陽一「日本再興戦略」全部
3コマ目:成田悠輔「22世紀の民主主義」全部
◯「観光客になる 福島」
教科書収録の「弱いつながり」はエッセイ集『弱いつながり』の「はじめに」にあたる部分で、同書の第2章にこの「福島」の話が来ます。多くの人が「観光客」という「弱いつながり」によってコミットすることが、フクシマの問題にとって重要なのではないか、というのが東の論点です。
授業では学生の旅行経験なども聞きながら、「村人」「旅人」「観光客」の三幅対について考えました。この部分は東の「福島第一原発観光地化計画」の議論も説明されており、学生がなにか考えるきっかけになれば、という気持ちも少しありました。
◯落合陽一「日本再興戦略」
東はゼロ年代の情報社会論の代表的な論客ですが、現在情報社会を云々するときにまず名前が挙がるのは落合・成田の両名でしょう。というわけで、落合の『日本再興戦略』から教材をとってきました。そんなに言ってることは変わらないので、『魔法の世紀』や『デジタルネイチャー』を使ってもいいと思います。新しい文章は教科書に載りにくいですが、生徒は今を生きています(ただし、落合の文章を採録している教科書はちょくちょくあります)。
授業で使ったのはデジタルネイチャーについて説明した部分。自然と人工、アナログとデジタルの境目をなくしていこうというデジタルネイチャーの発想は、評論的に言えば二項対立を脱構築していこうという、現代文でおなじみの構造をとっています。ただ落合の論で面白いのは、そのデジタルネイチャーが多様性の尊重にもつながるのだ、と議論を発展させているところです。どのような論理でそうした議論が成り立っているのか、学生とともに考えました。
◯成田悠輔「22世紀の民主主義」
2022年かなり売れた本です。落合の著書と同じような動機で、教材として選びました。授業のためにとってきたのは、この本のメイン、「無意識民主主義」について説明した部分です。
成田は民主主義がもつ「コスト」に注目します。現行の民主主義が理想とするように、有権者ひとりひとりが政策の是非について思考し、未来のためにベストな選択肢を選ぶというモデルは労力・費用というコスト面で無理がある。だからこそ、しばしばポピュリズムが台頭し、単に目立つだけの候補者が当選してしまいます(2024年東京都知事選の混乱!)。
成田の考える無意識民主主義では、有権者はこうしたコストを払う必要がありません。なぜなら測定された無意識をもとに、ベストな政策がAIによって実行されていくからです。したがって無意識民主主義においては、有権者も必要ではなく、政治家も必要ではなく、政治の場からは人間が消えていきます。
成田は自分の論者としての位置取りのためにあえて極端なことを言って見せている感じがありますが、選挙権を与えられつつも政治に無力感を覚えている(あるいは、政治に積極的に参加するような「思想の強さ」を避ける)3年生にはよく刺さる内容ではないかと思い、授業ではいま説明したような無意識民主主義の機序を読み解いていきました。
■さらにやるなら
授業回数が限られているので3回で区切りましたが、本当のことを言うなら成田のネタ元である東浩紀『一般意志2.0』と、成田・落合の「人工知能民主主義」への批判を含む東浩紀『訂正可能性の哲学』もやりたかったです。でもどちらも簡単なことを言っているわけではない本なので、ちゃんとやるならもう2コマ(180分)くらい取らないと厳しいかもですね。一応数研の指導書には『一般意志2.0』の一部が載っているので、それを使うという手もあるでしょう。
■学生の反応
高専の学生なので、落合とか成田には興味があるかな?と思っていましたが、ふたりを知っていた学生は少数でした。
現代的なトピックだから食いつきがいいだろうという見込みは外れましたが、「手の変幻」などの古典的な教材と比べればまだ自分事として議論をとらえてもらっていた気がします。また、同じトピックで関連するいくつかの教材を扱うと、論者感の立場の違いがよくわかり、学生にとっても共感する議論を見つけやすいというメリットがあります。
教科書はその性質上収録教材と学生の時代感覚とのあいだに「ラグ」があるのが常ですから、できれば教員がちょうどいい教材を見つけられるとよいですね。
なお、授業の最後に少しだけ落合陽一と東浩紀が対談しているyoutube動画も見てもらいました。わりかし熱心に見ていた学生が多めだった印象です。
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