農民詩人,星寛治さんの教え。歩み続けることが大事、たとえ足跡が消えても…
「有機農業」を社会に、地域ぐるみで広める、活動の農家リーダーの草分け的存在であり、農民詩人でもあった星寛治さんが、去年12月、88歳でなくなった。
東京でも偲ぶ会をやろうと有志が集まり、昨日、東京農大で開かれました。
山形県高畠町有機農業提携センターの作付会議に合わせて開かれたらしい。
有機農業研究家の吉田太郎さんに教えて頂き、出席させて頂きました。
星さんといえば、高畠の有機農業のリーダーで農民詩人として知らない人はいない、けれど、もしも知らなかったとしても、
有吉佐和子さんの「複合汚染」執筆のきっかけとなり、作中にも出てくる農業現場の人だと言われれば、どれだけの存在かわからない人はいないだろう。「複合汚染」のアドバイザー的な役割も果たされた。
昨日は、有吉佐和子さんの娘で作家でもある有吉玉青さんも駆けつけ、星さんとの思い出や人柄を語った。
他にも有機界だけでなく学術や言論文化の錚々たるメンバーが集まった。
星寛治さんには、地域のあり方、人間の生き方の思想と理想があり、ブランドとしての有機ではなく、地域農業の存続をかけて活動し続けた歴史がある。
運動家であり農家であり教育者でもあった。
わたしには、アグロエコロジーそのものに思えた。
経済よりも生命を第一に置く考え方であり、土地を活かす人間としての生き方である。
わが家の自給、地域の自給、その上にしか国の自給は成り立たないと説いた。
置賜自給圏構想。
会には、早稲田環境塾や
早稲田環境塾 塾長の原剛さん
たかはた共生プロジェクトの代表
原剛さんの最終講義、「新聞と大学の間」でこう語っています。
有剛農業を志向した人々を栽培技術と思想の面から導いた中心人物、
星寛治の思想と行動は、キーパーソンと評価されるにふさわしい。
農薬と化学肥料の大量投与は収穫量を飛躍的に向上させ、苦汗労働から農民を開放した。
それは農業史における歴史の進歩と評価するに値する
だが、反面で農薬と化学肥料の多投は、人体、作物、環境汚染をもたらし、生態系を攪乱した。
先行する時代にはなかった新しいマイナスをも生じる逆側面をもたらした。
この逆説性による不条理な苦痛を軽減するために、過去の進歩を導いた諸理念を超え、
自ら有機農業という創造的な苦痛を選び取り、
その苦痛を我が身に引き寄せる我が身に引き受けるキーパーソンの役割を、
星は実践したといえよう。
日本学術会議の農水大臣への答申、
「地球環境、人間生活に関わる農業及び森林の多面的な機能の評価」について、
農業、農村によって生み出される可填による好感価値をもってしては評価されない関係性の価値を、
持続的な食料供給、地域社会の形成維持、環境への貢献の観点から評価している。
高畠での40余年間に及ぶ有機・無農薬(減農薬)農業の試みは、
地域の農業農村に内在する関係性、すなわち
多面的機能の価値を具体的に顕在化させ、機能させている。
高畠町の地域の有機農業運動は、上からあるいは外から導入された運動ではなく、
地域の農民有志が自発的に起こした運動で、地域の内発的発展を志向している。
外部の資金や技術、思想、労力に頼ることなく、地域に居住する人々が自分たちの知恵と努力によって地域の自立と前進を遂げていこうとする在り方を意味するものである。
早稲田大学の「全国の百姓を応援する会」には多くの学生が加わり、援農活動を行ってきた。
堀口健治教授が主催しているオープン教育講座「農村体験塾」
100人近い学生たちも毎年山形県の農村部に合宿して伝統の気風を受け継いでいる。
2008年最終講義 新聞と大学の間、原
国会議員の篠原孝さん
星さんの存在感とは、環境保全型農業直接支払いの意義について。
そこに高畠町というまほろばがあるんだ、それだけで心が落ち着くんだ。
それが環境農業の存在価値。
槌田劭(たかし)さんというひとのはなし。
山下惣一さんに有機農業の意義を伝えたのは星さんなんじゃないかなどと話されました。
※ 京都大学、槌田劭(たかし)さん(現在、87)
73年「使い捨て時代を考える会」発足、有機生産者と消費者とが共同購入で支えあう関係をつくろうと75年「安全農産供給センター」設立。
高度経済成長、大量生産・大量廃棄・環境破壊の時代に
「縁故米運動」を立ち上げ、星さん、山下さんにも呼び掛けた
https://www.anzennousan.com/rice/enkomai.pdf
食管制度が廃止され外国からの米の年々増えています一方日本人の米の消費量は減り続け、余剰傾向の中、生産者米価も右肩下がりです。
このような状況を背景に国は、「担い手安定対策」の名の下、
小規模稲作農家を切り捨て、「意欲のある」、「規模の大きな」農家を支援しようとしています。
しかし農業はスケールメリット、経済合理主義によって維持できるものではありません。
中山間地が多い日本の伝統的な農業、農村は家族のような小さな単位だからこそ続けて来られたのです。
2006年8月23日
NPO法人 使い捨て時代を考える会
朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASRBC7FPTR9WPLZB00F.html
立教大学との長い連携の話、
議員の篠原孝さん
グリーンツーリズムの青木先生、
武蔵野、若者は山里に〜ほかの原村監督、
星さんと山下惣一さんが出演したNHKのドキュメンタリーも紹介された。
有機農業に取り組み始めで2年、日本中が冷害で米ができなかった年に、有機の仲間の田んぼだけが黄金色に輝いていた。
なぜかと思い調べると、根っこが他より発達している。有機の土は他と温度が3度違った。何億という微生物の活動だと分かった。
さらには農薬の空中散布をさせないために、地域ぐるみでいきなり有機、無農薬ではなく、まずは減農薬から始めるという現実的な提案により、
地域は分断を免れて、都市の消費者とも提携の絆が生まれる。
そして、金子美登さんの妻・友子さんも駆けつけて、星さんの娘さん夫妻と、後継者として農業を継いだお孫さんと対面して、お話しされた。
孫が継いでくれることが何より成果を表しているだろう。
これまでにも高畠町には有機を目指して移住してきた若者がたくさんいる。この動きを50年前から積み上げてきた星寛治さんの歩んで来た、開いてきた道を一から見直し、今の食料農業、農村の問題にもっと生かすべきなのになと、心の底から思った。
全国有機農業推進協議会の下山さんがスピーチで、今の基本法の進め方を危惧されていた。
偲ぶ会で話すことではないと思われるだろうか。
スマート化、輸出、産業化としての農政、国は間違った方向に進んでいるつもりはないかもしれなくても、その前に、大切な道が見えていない気がした。
食料問題の社会化である。有機農業の社会化ともいえる。産業化だけでは人と食べ物の関係の全てを捉えることができない。
地域社会に、むらの道端に植物が生えるように、里山にある生きた恵みを感謝していただく心と行動。
育む、愛でる、いただく精神には本来、喜びがある。
星寛治さんの詩「願望」より
はてしない野道を
ゆっくりゆっくり歩こうよ
足跡など消えてもいいよ
この詩の言葉をどう受け止めるか
これからのわたしたちに問われている。
高畠町はまほろば。
有機の町
自然ではなく人と自然のほどよい関係から生まれたふるさと
この物語を知れば多くの人々にとって
一度は行ってみたいふるさととなるだろう