呪いの渦
今行っても楽しめないなと思っていた集まりはどれも楽しかった。
久しぶりに会う友人と他愛もない話をしたり、同僚と仕事の話で盛り上がったり。ただただ、美味しいご飯とお酒に癒されたり。
もちろん体の疲れはあるのだけど、なんだろう心がふわっと軽くなる。
ご褒美に近い感覚というか、あるのとないのとでは大違いだということに気づいた。今までも、こういう時間を何よりも大切にしていたはずだったのに、どこで間違えてしまったんだろう。
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友情の賞味期限は10年といわれたことを気にしていたんだと思う。
大人になったら、環境も変わるから友情は終わっていくのだと。
そういわれたときに、そうじゃないのになと思いながらも、それに従わなければと思った。私は私だから、と思えなかった。
そうなると友人と積極的に会う自分を肯定できなくなった。
なんだか後ろめたいことをしているような気分だった。
私はいつまでも大人になりきれない、幼い人間なのだといわれているようで恥ずかしくなった。
少し前に会った友人から、付き合う人によって性格とか趣味嗜好変わるよねといわれたことを思い出している。
無自覚だったけれど、すごく影響を受けているのだと思う。
同じ感覚であらねばとどこか無理していた節もある。
同じでないからこそ、いい、と思えないところがある。
違うことに焦って、自分のほうを捻じ曲げてしまう。
相手にそれを求められたわけでも、押し付けられたわけでもないのに。
勝手に想像して、勝手にがんじがらめになっていた。
常に周囲の顔色をうかがいながら、いろいろなものを天秤にかけて、何を選んだらいいのか、よくわからなくなっていたんだと思う。
いつのまにか、何を選ぶ自分が自然で、何を選ばない自分が自然なのか、わからなくなっていた。
私はこうだから、って言えないのはすごく苦しい。
何を選んでも不正解な気がする。
こうなりたくないから、一人でいる時間をとったはずだった。
でも、それは誰かと向き合いながら初めてできる作業だったのかもしれない、と今は思う。今年の終わりに気づけたのはよかった。
自分らしさを失うと、待っているのは依存と執着心だ。
執着心がどれほど怖いかは身をもって知っている。
そのためには、早く自分にかけた呪いをとかなければ。
今となっては、なんだか厄介なものにしがみついていたな、という気分だ。