願わくば安寧を
やることがとても多い。
その大半が家族のことで、残りは仕事と自分自身のこと。
同時にいくつもの仕事をかけもちしている気分だ。
我ながらタフなんだなぁと思う。
なんて言っていたら、また原因がよくわからない体の不調が一つ増えてしまった。自律神経とかストレスってやつは本当に厄介で、体のあちこちに症状として出てくる。痛いとかだるいとか重いとか動かないとか。
それは休めという合図なのはわかるのだけど、こちらとしてもそう簡単に休めないからこうなっているのだと言い訳させて欲しい。
育児に24時間隙がないのと同じで、介護だって隙がない。
5分おきにかかってくる祖母からの電話の応対に、ありとあらゆる事務手続き。伯父の健康状態の管理までやっていたら、身がもたなくて当然だ。
両親も、ほんの数時間伯父と関わっただけでへとへとになっていた。
無理も無いと思う。
ギリギリで回していた最中、数日前に伯父が倒れて肝をひやした。
最悪の事態も想定したけれど、それは回避できたのでよかった。
今回がはじめてではなかったのと、周囲の助けがあって事なきを得たが、本当に生きた心地がしなかった。あんなに大変な思いはもう二度としたくない。
正直、伯父の健康状態はあまり良いとは言えない。
これから先、どのくらい元気な状態で過ごせるかもわからない。
それならせめて、面倒なことはこちらがなんとかして平和に過ごして欲しいなと思った。それが、娘のように可愛がってくれた伯父への恩返しなのだと、自分に言い聞かせている。
気持ちだけじゃ割り切れない日もあるし、顔も見たくない日もある。
それが介護の現実で、綺麗事だけじゃ全然ダメだった。
使えるものは全部使った上で、それでも己の無力さを呪う日も多い。
同世代と話していたら、自分だけ別の世界にいるような、そんな孤独を味わう瞬間も増えてきた。私の世代だと子育てや仕事の話が中心で、介護に追われている人はそう多くない。両親が高齢になってきた、という話は聞いても実際に介護が必要になるまでにはまだ十数年の猶予があるのだろう。
どちらが大変だ、などという不毛な会話をしたいわけではない。
分かり合えないこともわかっている。
だからできる限り、会話の内容には気遣うようになった。
久しぶりに会う人には、最近何をしているのか聞かれるだけでも緊張感が走る。本当のことを話せば話すほどに、心の距離が遠くなっていくのがわかるから。そのときに感じる孤独ほど辛いものはない。
落ち着いたら、どこか遠いところへ旅行に行きたい。
四六時中、家族のことを考えているのではなく、自分のことにだけ集中できる時間と十分な休息も欲しい。
そういうささやかな願いを希望に、日々過ごしている。