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私だってこんなはずじゃなかった
朝から祖母といざこざ。
伯父の退院日について、伯父の希望的観測の話を間に受けた祖母が舞い上がっていたので、冷静に諌めたら「若くてなんでもできるあんたに、かわいそうな老人が責められた」と嘆かれた。
祖母がこのモードになるとしばらくはまともに会話ができなくなる。
祖母は、自分だけが不幸で周りに頼れる存在もおらず孤独だという。
それは祖母にとっての事実なので、嘘だなんていうつもりはないが、身勝手だなとは思う。それでいて、周囲には「孫がなんでもしてくれますから」と言っているので、私は『優しい孫』でい続けないといけない。
優しい娘、優しい姪、優しい孫。
なんだかもううんざりしてしまった。
リハビリをしてもよくなる見込みが見えない両親と伯父。
退院のタイミングが同じになると、私のキャパ的にも無理がある。
特に伯父の場合はそのタイミングで介護区分変更もしなければならないので、手続き上の煩雑さもある。おそらく要介護2か3になるのではないかと思うが、あとは認知機能がどこまで低下しているか。
定期的にやってくる、もう全て投げ出してしまいたいという衝動と、全てにおいて無気力でもうどうにでもなれという抑うつ。
今日はこの両方がかわるがわるやってきて、ひどく消耗している。
若くて健康でなんでもできるのに、という言葉が小骨のように喉にひっかかかっている。その言葉を使うのはずるい、と思う。
なんでもできるはずの時間を、4人の介護に充てているし、それ以外の時間は働いている。介護にはお金がかかるのでその費用の一部は手出ししている。そのことは、誰も知らない。
健康かと言われれば入院こそしていないが、体は満身創痍。
若いかどうかは、祖母と相対的にみたら若いかもしれないが、それは一生相対的に若いままなので、私がどんなに歳を取っても若いと言われ続けるのだろう。
それくらい大したいこと無い、と思うかもしれない。
けれど、今の私にとってその言葉が持つ破壊力は思っている以上に大きかったのだ。私の行動全てを帳消しにされたような気持ちになる一言だった。
二つに一つ。
許すか、忘れるか。
今はどちらもできないので、ここに書いてしばらく寝かせておくことにする。
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