言葉に責任を持つ意味

数日前のこと。
リモート飲みの終わり際、深夜2時前ごろ。

普段ならとっくに寝ている時間だったけど、明日も休みだからという理由で珍しく夜更かししていたがさすがに眠くなってきた。
この日は仲良しの友人夫婦と飲んでいたが、少し前に女友達は寝てしまった。残った男友達も眠そうだったので
〈もう眠くなったんじゃない?〉
と声をかけると
「眠いのはゆらちゃんでしょ。自分が眠いならそう言えばいいのに」
と返ってきた。

思いがけない言葉にハッとした。
たしかに私は急に眠くなったものの、彼一人残して寝るのは申し訳ない気持ちと、自分の睡魔でこの時間を終わらせることに後ろめたさがあった。だから画面越しの彼が眠そうだったのを見て、相手を主語にしてしまった。

これはついやってしまう私の悪い癖だ。
意図的にやっているわけではないが、ずるいことをしているなと思う。
相手の意見に合わせて動く、というのは一見優しさにも見えるけれど決してそうではない。責任を相手に投げているのと変わらない。
彼にとっては気持ちのいい言葉ではなかっただろう。慌てて謝ってもう一度伝え直した。

〈私はそろそろ眠くなってきたんだけど貴方はどう?〉
「そう言われたらたしかに眠いかも。そろそろ終わりにしよっか」

言葉にしてみると僅かな違いかもしれない。ただ、相手の受け取り方は大きく違ったように感じる。少なくとも押し付けがましさは感じにくいんじゃないかと思う。

主語を自分にすることは、その言葉の責任を自分が持つということだと思っている。自分の言葉に責任を持つことは、相手を不用意に傷つないためにも大切なことだろう。
仕事ではできているのにプライベートだとついやってしまうのは相手に甘えがあるからだろうな。親しき仲にもなんとやらなので、気をつけなければ。

と真面目に考えていた私をよそに、彼はその一連の会話は眠さと酔いで全く覚えていないらしい。

なんてこった。

でも、振り返るいいきっかけをくれたことに感謝。

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小春ゆら
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。