釣りと現世と魂と ⑥ 黒部の夏 2023 ソロキャンプ編 Ⅳ
5日目 更に奥へ
まるで梅雨が明けたかのような、痛い程の夏の陽光が、日の出と共に照り付け始めた。
昨日の嵐が嘘のようだ。
未明まで降り続いた大雨で、沢や流れ込みが濁っていないか気になる。
テント場から見下ろすと、ダムの水位や沢の水は若干増えたものの、濁りは思ったほどではなくホッとした。
取り敢えず今日も竿を出してみる。
日焼け止めも塗らず、半袖で釣りをしていると腕がヒリヒリするが、これも自分なりに環境負荷を考えての事だ。(後で酷い事になったが)
昨夜は、残り少ない日程をどう過ごすかをずっと考えていた。
無理せず体を労るなら、明日までここで釣るのも良い。
しかし、出来ることならもっと奥、黒部川の本流、ダムのバックウォーター(流れ込み)まで行ってみたい。
そこは当初の最終目的地でもあった。
黒部に来れるチャンスは、年に一度、有るか無いか。
「チャレンジしてみるか…」
小一時間ほどこのポイントでフライロッドを振ってみた結果、水の状況は悪くないものの、魚の気配が薄いのが決め手となった。
グーグルマップを見る限り、ここをベースに日帰りで何とか成りそうな距離でもある。
取り掛かりが遅いのはいつもの事だが、そうと決まれば、モタモタしてはいられない。
善は急げ、テントやキャンプ道具は全てこのまま残して行こう。
ルアーのボックスとスマホ、カロリーメイトに携帯浄水器、その他貴重品等をショルダーポーチに詰め込む。
それに熊鈴も忘れてはいけない。
必要最低限の装備なら、痛めた足の負担もかなり和らげることが出来るはずだ。
リールをセットしたパックロッドを握りしめ、気合いを入れ直して、さらに奥地へと踏み出した。
渡し船
黒部ダムの上流は " 奥黒部 " と呼ばれるが、そこに行くために " 平の渡し" と言う渡し船に乗る必要がある。
林道はダムの左岸を通っているが、一度そこで途切れてしまうのだ。
その先は湖を渡って、再び現れる右岸の林道を行かねばならない。
これは、ダムの完成により登山道が水没したためで、代行の形で関西電力が運営している。
そのため渡し賃は無料。
平の小屋船着場(左岸)発
① 06:00頃
② 10:00頃
③ 12:00頃
④ 14:00頃
⑤ 17:00頃
針の木谷船着き場(右岸)発
① 06:20頃
② 10:20頃
③ 12:20頃
④ 14:20頃
⑤ 17:20頃
あらかじめ調べておいた所、7月1日から9月30日までの間は、1日5往復、この時刻で運航されるようだ。
今回は10:00の便で渡り、
戻りは最終の17:20に乗れば、暗くなる前には帰れるだろう。
ベースキャンプから船着き場までは思ったほどではなく、足をかばいつつ40分弱、といった所だった。
平乃小屋という山小屋のちょうど真下辺りだ。
出発にはまだ時間があり、上から覗くと船頭さんが船で昼寝をしていた。
こちらも時間を潰しつつ足を休ませる。
定刻前になると、二人連れの釣り師が降りてきた。
休業中かと思ったが、どうやら平乃小屋に泊まっていたらしい。
船に乗り込むと船員さんから、住所と氏名、連絡先等の記入を求められた。
登山計画書のようなものだ。
その二人組は常連らしく、バックウォーターではなく、ここを渡って左側の別の沢へ、イワナを狙いに行くようだ。
船頭さんの話では、バックウォーターは両岸が崖になっていて、釣りは難しいという。
では、それより上流なら釣りになるかと問うと、かなり歩く必要が有るとの返答だった。
まあ、ダメ元でも構わないさ、
行ってみなければ判らない。
取り敢えずバックウォーターまでたどり着ければ、釣りが出来なくとも良しとしよう。
渡船のダイヤによると、20分掛かると思っていたが、実際には10分程で対岸の針ノ木谷船着き場へ到着した。
さあ、ここから再びトレイルだ。
どれくらい時間が掛かるのだろうか。
予想では多めに見て、2時間もあれば着くと思うが…
「熊が出るから気を付けて、、」
との忠告もそこそこに、直ちに出発した。
林道はそれほど荒れておらず、ウルトラライト・パッキングに徹したのもあって歩きやすい。
おかげで足へのダメージは随分緩和された。
とはいえ焦りは禁物、
途中の小沢で水分補給をし、一息つく。
携帯浄水器を通してだが、やはり黒部の清水は冷たくどこまでも柔らかく、格別に美味しかった。
鬱蒼とした森の中、熊鈴が鳴り響く。
周囲への警戒は怠らない。
熊は本来、とても臆病で敏感な動物だと聞いている。
これは持論でエビデンスはないが、こちらが過度に恐れを抱いていると、彼らはその波動を察知してしまうのでは?と考える。
マウントを取られやすい状況を自ら作り出してしまっている事が、事故の増加に繋がっているように感じる。
アウトドアブームで山に入る人が増えた事も挙げられる。
彼らを取り巻く状況の変化で、" 人間は怖いもの " と言う認識が薄れてしまった結果、人里へと降りて来やすくなったのではないか。
自分も自然の一部であると言う目線に立つ事、そこに何か、共存への答えがあるのかもしれない。
少し道に迷ったが、予想よりはるかに早い50分足らずでバックウォーターにたどり着いた。
これまで見たことの無いそのスケール感にただただ圧倒される。
本来は、この更に奥が " 黒部の源流イワナの聖地 " とされる領域だが、大物を狙うならバックウォーターを釣るのが定石だ。
しかし、確かにそこは切り立った崖になっており、到底谷底へは降りて行けそうになかった。
だが、そう簡単には諦めない、何処か別に降りられる所はないかと辺りを見回してみる。
すると、少し離れた下流側に小さな岬が突き出していた。
そこは幾分、傾斜がなだらかで(と言っても崖には違いないが)、なんとなく降りられそうな雰囲気だった。
気になって戻ってみると、 " 釣り師のカン " が的中。
上から目を凝らすと、藪に隠れてはいたが、崖の途中辺りから1本の " トラロープ " が下へと伸びていた。
奥多摩でも黒部でも、釣り師が考える事は同じだな、と笑えてくる。
まるで獣道だ。
しかし、こんな時の釣り人の痕跡は有り難い。
" 焚き火の跡 " とはまた別の話だ。
場合によっては諦める事も多々あるが、
結構なんとかなってしまうものなのだ。
ロープの強度を確認しながら慎重に降りていく。
完全に体重は預けない、あくまで補助的な利用に留める。
登山用の強力なザイルとは違うし、
野ざらしで脆くなっていたり、縛り付けている木が折れる場合もあるからだ。
バックカントリーに於いては何事も自己責任である事を、肝に銘じなければならない。
たどり着いたそこは、他の沢と同様に、湖の濁りと本流からの綺麗な水が、ちょうど混じり合う場所となっていた。
手前には巨大な岩の隠れ場もあり、水の色合いから、水深も申し分なさそうだった。
ニジマスでもイワナでも一発大物が期待出来そうな予感が漂う。
あの、三平くんが見たら、
「ウッヒョ〜!!」と唸ったに違いない。(こどもの頃に真似してました、)
さっそくルアーの準備をし、期待を胸にキャストする。
使うルアーは、普段からことごとく自分でカスタムしている自信作だ。
がしかし、予想に反してというか、お約束通りというか、ここでも同じような大きさ、30cmに満たないものがチラホラと釣れるのみ。
浮かせたり沈めたり、大きめのルアーを使ったり、大遠投を試みても、結果はなにも変わらなかった。
岩の上の木陰で昼寝をしたり、ギボウシの可憐な花を眺めたり、時たま " 虹色の妖精 " たちと戯れながら、初夏を感じさせる平和で穏やかな時間を過ごす。
" ドラゴン " の気配は一向にない。
と、その時、何かこの場所に似つかわぬドドドドッという機械的な音が、谷間にこだましながら近づいてきた。
船外機の音だ。
間もなく目前の対岸辺りに、あの渡船がやって来た。
3人ほど乗っているようだが、どうやら先の船頭さんと、その仲間のようだ。
見ていると、良さそうなポイントに近づき、なんとルアーを無造作に投げ始めた。
多分、他にする事が無いのだな、
毎日釣りが出来て羨ましい限りである…
予想外の出来事に、こちらはすっかりやる気が失せてしまった。
宴の時間は終わりである。
結局、大物は次回のお預けとなったが、念願だった、この雄大な景色を拝む事ができ、美しいニジマスたちもそこそこ遊んでくれ、当初の目的は達成、十分満足だっだ。
頃合いを見て、最終便の時間に間に合うよう竿を畳んだ。
多少、心に余裕が出来たので、自然観察をしながら林道を戻る。
幸運な事に、熊の気配はない。
いれば独特の強烈なアンモニア臭で知らせてくれる。
所々、ハシゴの補修のための枝打ちした材木が寝かされ、シートで覆ってあった。
輝く湖面と木々のシルエットが美しい。
立ち止まり、しばし見惚れる。
美しく力強いコントラストは、
すぐそこまで、本格的な夏が来ていることを思わせた。
一足早く船着き場に到着し、岸辺でまどろんでいると、あの渡し船が奥から戻って来た。
船に乗り込むなり船頭さんが、
「あんな場所へ、どうやって降りたの?」
と、問うてきた。
地元民の方が詳しいはずだが?と思いつつ、
「誰かがロープも張ってくれてたし、
奥多摩でも似たような事をしてたから平気ですよ、」
「いつもあそこで釣りしてるんですか?」
と問い返すと、
「毎日、船の運航の合間にね」と、さも当然とばかりに言ってのけた。
なるほど、あのポイントの魚がスレていたのは、やはりその為だったのか。
…全くの独占状態じゃないか。
少々腹立たしくもあり、羨ましくもある。
" ウラヤマケシカラン " と言うのはこういう時に使うのだな、
いや、正直雇ってもらいたい。
更に話を聞くと、昔は50cmを超える大物が釣れたが、最近はパッタリ釣れなくなったという(アナタガタのせいでは?)。
時期も、7月の今より、8月に入ってからの方が良かったらしい。
流れ込みでなくても、切り立った岩場等の近くにルアーを投げると大きなイワナが釣れたそうだ。
一度、環境調査(注・黒部川上流部は漁業権の設定が無い)の名目で刺し網を入れたところ、止せば良いのに相当な長さで仕掛けたため、大量の魚が網に掛かってしまって、引き上げることが出来なかったとも教えてくれた。
まるでガリラヤ湖でのキリストの逸話みたいではないか。※
なんとも伝説めいた話だが、この湖のポテンシャルを考えれば、それがよくある釣り人の " ホラ話 " ではないことは容易に想像がついた。
それだけ魚影が濃いのである。
今回、湖が濁ってさえいなければ、数に拘らないとはいえ、もっと釣果は伸びていたはずだ。
次こそは自分にも " 奇跡 " が起きると信じたい。
釣り師とは盲信的で不純な生き物である。
18時を回る頃、ベースキャンプにたどり着いた。
今日の仕上げとばかりに、もう一度竿を出す。
今度はフライで攻める。
我ながら飽きないねェ。
すると、ピックアップする寸前、流木の影からイワナがウェットフライに飛びついた。
やはりイワナはマズメ時が良いようだ。
もう食料は殆ど残っておらず、黒部からの贈り物として、有り難く頂く事にした。
※(イエスと後に弟子となる漁師のペテロが舟でガリラヤ湖へ漁に出掛けた時、イエスが網を投じるようにと命じると、大量の魚が掛かり舟が沈みそうになったという聖書の福音書の一節)
6日目 撤収
今日でここともお別れだ。
3日間はあっという間だったが、様々な得難い経験をさせてもらううちに、もはや自分の居場所と言えるほど、離れがたくなっていた。
ベースキャンプの撤収にも身が入らず、時間が掛かる。
出発の前に、思い残しが無いようにと辺りを散策したりして過ごす。
またあの強行軍が待ち構えていると言う思いも手伝って、なかなか腰が上がらない。
しかし、明るい内に帰りのベースキャンプへ到着しなければ、あの山道は危険だ。
暗い森の中では、方向感覚が狂ったり、滑落の危険もあるからだ。
気持ちを切り替えて立ち上がる。
リュックサックは消費した食料の分だけ軽くはなったが、それでもワイドストラップが肩に食い込む、 重い。
釣りの事は一切考えず、ひたすら帰る事に全集中、足の痛みを軽減するため、休み休み、一歩一歩、丁寧に歩を進めるのみだ。
ゴールまでの距離感は掴んでいるから、先が見えない事による精神的な疲労は半減している。
とはいえ、険しい山道のアップダウンにこの体、楽であろう筈は無い。
後で見返すと、写真も殆ど撮っていなかった。
慣れた人なら恐らく半分の時間で済むのだろうが、素直に自分の限界を認めなければ、即、事故に繋がるだろう。
無理は禁物だ。
こうなってしまって、どの口が言うと思われるかもしれないが、
今となっては、中高年が山でよく遭難するのも頷ける。
冷静さや謙虚さは、バックカントリーへ入る者としての必須の条件だと思う。
自然を舐めてはいけないと、今回の旅で身に沁みて理解した。
ほぼ一日掛け、夕方6時ごろ、あの最初に釣りをした御山谷の流れ込みにようやく到着した。
今日のテント場はここだ。
気が抜けてへたり込む。
初めに出会った先輩釣り師の姿は、もうなかった。
汗だくで気持ちが悪いので、疲れてはいるが、沢に降りて冷たい水で体を拭き、頭を洗い、洗濯しておいた下着や服に着替える。
おかげでさっぱりした。
この周辺はスマホの電波が届くので、バッテリーの残量を気にしつつ、明日の高速バスの予約を入れておく。
よく調べると、列車で松本まで戻らなくとも、信濃大町駅から東京まで直に高速バスが出ていた。
前日だが幸運にも席を確保する事が出来た。
テント泊も今日で終わりだと思うと、その自由で不自由な生活が、名残惜しくてたまらなかった。
貸し切りのプラネタリウムにて
日付が変わる前、夜空は雲に覆われていた。
星空の写真を撮りたかったが、半分諦めモードだ。
しかし、明日はもう、この黒部を去らねばならぬと思うといたたまれず、寝付きも悪く、目が醒める度、テントのジッパーを開け空を見上げていた。
だが、午前1時を回った頃、再び空を見ると、そこには驚くような満天の星空が広がっていた。
急いでコンデジを小型三脚にセットする。
足はシェラフに突っ込んだまま、半身だけテントの入口から出し、撮影を開始した。
吹き抜ける谷の風が冷たい。
焦点距離はズームの広角側28mmにセット、絞り解放F1.8固定で、シャッタースピードは20〜30秒、 ISO感度も3200〜6400の間で値を変えながらブラケット撮影を行う。
カメラブレを無くすため、2秒のセルフタイマーも使用。
一度シャッターを切ると、次の撮影まで、シャッター速度にプラスして、ノイズリダクションと呼ばれる画像処理にも同じ程の時間が必要だ。
結構長く感じる。
その都度、星像の流れ方、明るさ、フレーミングを調整し、気の済むまで、恐らく2時間近くシャッターを切り続けた。
全く " 光害 " の無い
深く青黒い透明な闇。
辺りに響き渡る沢の轟音はいつしか交響曲となり、天の川は星の滝へと姿を変えて、
御山谷へと降り注ぎ、この天空の湖の水面を光で満たした。
それは、自らの心象が一つの神話と化し、あたかもプラネタリウムの特別上映のように、北アルプスの全天に投影されたかのようだった。
不思議な光
撮影に夢中になっていると、突然、東の空で強烈な光がパッ、パッと2度輝いた。
それは、山の稜線の向こう側、やや上方で、星のように遠い距離ではなく、人工衛星でもなさそうだった。
例えるなら、遠くから車がこちらに向け、ヘッドライトでパッシングしたような、指向性と強さを持っていた。
こんな真夜中の北アルプスで、恐らくドローンや飛行機、あるいはヘリコプターでもないだろう。それなら音が響くはずだが、全くの無音だった。
丁度そちらにカメラを向けてシャッターを切っており、30秒ほどの露光中だったので、撮り終えてすぐさま確認すると、画面上にハッキリと2つの不自然な光源が記録されていた。
恐ろしくはなかったが、その不思議な光景に思考が付いて行かず、ただフリーズするしかなかった。
帰宅後、インスタにアップするため、上の写真の一枚だけコピーしておいて、
後日、例の写真を取りだそうとしたら、なんとマイクロUSBがクラッシュしていた。
もしかしたら、その光にはデータを破壊する " 何か " のコードでも仕込まれていたのだろうか?などと、安物のSF小説の様な妄想が浮かんだ。
一体あれは何だったのか、今持って不明のままだ。
なにはともあれ感動的な星空と不思議な体験は、
旅のフィナーレを飾るに相応しい、記憶に残る一夜をもたらしてくれた。
7日目 最終日
あれから殆ど寝られなかったが、気持ちの良い、晴れやかな朝を迎えた。
この旅の最後にと、ルアーを何投かしてみるが、魚の姿を見ることは出来なかった。
自分としては十分な釣果も得られたし、思い残す事はなにもない。
早々にテントを畳み、ダムサイト目指して歩き始めた。
もう、当分ここには来れないと思うと、自然と歩むスピードは落ちる。
少しでも、北アルプスの自然をこの目に焼き付けて帰りたかった。
初日にテントを張った、ロッジくろよんを通り過ぎ、程なくして観光遊覧船の船着き場まで戻って来た。
これまでの行程を思えば、あっという間に感じる。
あれほど " 天然水 " を賛美しておきながら、売店に入るなり炭酸飲料を買い求め、一気に飲み干してしまった。
自然界ではあり得ない、いかにも不健康そうな刺激と甘さが、浄化された心と体と、取り戻した野生の感覚を麻痺させて行くように思われた。
1週間のデトックス生活が文字通り " 水泡に帰す " 瞬間だったが、
ある意味それは、こちら側へ、再び文明世界を受け入れるための、一種の通過儀礼のような気がした。
長い洞門とトンネルをくぐり抜けると、ダムサイトが見えた。
上から眺めると、ダイナミックな観光放水の瀑布に虹が掛かっている。
自然と口角が上がり、目尻は下がった。
大勢の観光客も歓声をあげている。
現実に引き戻された感じだが、決して嫌な気分ではない。
多少の安堵と、何かを成し遂げた達成感がこみ上げて来る。
老夫婦に「登山ですか?」と声をかけられ、水晶岳はどこかと質問されて答えに困るも、人との触れ合いが嬉しく感じられる。
本来、写真を撮るのは好きでも撮られるのは苦手だが、気分が高揚している為か、記念の一枚を残しておきたくなった。
近くにいた旅行者に記念撮影をお願いすると、にこやかに引き受けて貰えた。
スマホを渡し、黒部ダムの石碑の前でポーズを撮る。
3枚ほど撮ってもらい、これで大丈夫ですかと確認を請われたが、記念として十分良く撮れていた。
撮る方も撮られる方も笑顔になる。
都内では稀なことだ。
それは、ここが日本の屋根の一角、北アルプスが持つ、豊かな自然の包容力と、そこに刻まれた人間の英知に対する畏敬への共感がそうさせるのかもしれない。
丁寧にお礼を述べると、その旅行者は、湖面を渡るそよ風のように、すうっと去っていった。
濃密で忘れがたい、沢山の思い出を与えてくれた湖にも、ありがとうと一礼。
必ずまた来ると心に誓い、別れを惜しみつつダムサイトを後にした。