釣りと現世と魂と ⑤ 黒部の夏 2023 ソロキャンプ編 Ⅲ
3日目 森の生活
昨夜も初日に引き続き、夏とは思えないほどの厳しい冷え込みだった。
おかげで夜中に何度も目を覚ます羽目となり、
長袖の下着の上下やレインウェアなど、ありったけの衣類を重ね着しなければ、寒さをしのぐことは出来なかった。
決して甘く見ていたわけでは無い。
この年、過去に味わった事のない様な都内での猛暑も、予測を狂わせる要因となった。
とは言え、黒部ダムの標高は1470m、
恐らく昼夜の寒暖差は15℃以上あるに違いない。
次回はコンパクトなダウンウェアと、もう少しマシなシェラフを持って来たほうが良さそうだ。
昨日酷使した体は、今も悲鳴をあげている。
痛めた足も引き摺らねばならないほど深刻な状態だ。
それなのに、日の出前にはテントから這い出していた。
水面が気になるのだ。
あまりの釣りバカぶりに、自分でも呆れてしまう。
朝食を摂るよりも、先ずは竿を出してみる。
と言うか、食料を調達せねばならない。
キャンプ中のタンパク源は、持参した粉ミルクとプロテイン以外は、魚しかないのだ。
ここでも昨日同様、澄んだ水と濁りの狭間にスプーンを投入すると、直ぐに魚信が伝わって来た。
スピードはないが、力強く底へ底へと引き込む感覚からすると、どうやらニジマスではなさそうだ。
その銀鱗輝く魚体の主は、
人生初の、憧れの " 黒部イワナ " だった。
二年越しに念願が叶う。
ギリギリ尺(30.3cm)に届かないほどの体長だったが、大きさは問題ではない。
とにかく嬉しい。
イワナは獰猛だが、とても臆病な魚で、昼間は倒木や岩の陰に潜んでいて、なかなかハリに掛からない。
そんなところから、岩の魚、" 岩魚 " と名付けられたらしい。
一般的に、早朝や夕暮れ時に浅瀬に現れて、餌の虫や小魚を捕食するとされる。
数年前、3月の奥多摩湖の浅い流れ込みで、早朝と夕方に50cmを超えるイワナの群れを見たことがある。
それは本当に信じがたい光景だったが、
今は閉店してしまった、国分寺の有名なフライフィッシングの店、プロショップ・サワダでそのイワナの攻略法をマスターに尋ねると、警戒心が強すぎて、夜釣りでないと無理だと言われた(※一般的に夜釣りは禁止)。
このイワナも早朝ゆえ、警戒心が緩んでいたのだのだろう。
実際、キャンプの間は、明るいうちにイワナが釣れる事は一度も無かった。
川の流れに生息するものは、おおむね茶褐色の魚体が多いが、この個体は " 銀化 " と呼ばれ、イワナの降海型(サケのように海に降るもの)であるアメマスと同じような、シルバーの体色をしている。
湖を海に見立てて降る、" 疑似降海型 " とも呼ばれるものだ。
こちらはニジマスのような艶やかな色彩ではなく、
ガラス細工に銀の精密な装飾を施した、天然の工芸品ような趣きだ。
サケ科のイワナ属は、最も極北に近い、過酷な環境にも生息している。
クリスタルシルバーのソリッドな煌めきは、どこか氷河を思わせるが、ここ黒部においては " 幽谷の精霊 " と言ったところか。
黒部での記念すべき初イワナ。
その命を奪うのは、とても心苦しく思えてならなかった。
出会いに感謝し、ありがとうと述べてから、湖へとお帰しすることにした。
衣食住とルール
長い釣り人生に於いて、自分の中での約束事、ルールがいくつかある。
" 焚き火をしない "、" ゴミは必ず持ち帰る "というのもその一つだ。
後者については、当たり前ではあるのだが。
以前、奥多摩や他の河川の源流で、幾度となく放置された焚き火跡を見た。
源流釣りは半分ロッククライミングだ。
何時間も掛け、危険を伴いながら、苦労の末に誰もいない奥地へ来たのに、
突然それが目に飛び込んで来た時には、やるせなく悲しい気持ちになる。
しかも大抵は、ビール等のアルミ缶も投げ込まれていて、その殆どは中途半端に燃え残ったままだ。
自然に対する感謝の気持ちは無いのだろうか? 残念で仕方ない。
二日目に出会った釣り人も、アルミ缶は燃えるから大丈夫だと言っていたが、はたしてエビデンスはあるのだろうか?
長年、金属加工の仕事をしていた身としては、絶句してしまう。
ついでにビニール袋や何かのパッケージも燃やすので、環境ホルモンやマイクロプラスチック等の問題もあるはずだ。
大抵は悪い人たちではないし、認識の違いでの論争は避けたいので口をつぐむしかないのだが、自分がソロで釣りをするようになった主な理由は、そうした齟齬の積み重ねにある。
色んな考え方があるし、自分の意見が正義とは思わない。
しかし、自然界にとって、人間の文明は異物でしかないと思う。
それならそんな所で釣りをするな、と言われると、こちらも立つ瀬がないのは承知している。
自分の中にも多くの矛盾をはらんでいる自覚もある。
だからこそ、最低限、自然に敬意を払う努力は大切ではないだろうか。
その上で、人の良心や自制の難しさも考慮して、源流域での禁止区域の拡充や、
" 必要以上に釣らない " ための尾数制限の設定等も、あった方が良いのではないか。
国土の狭い日本にあって、天然資源は無尽蔵ではない。
昨今は、身近な冒険として源流がブームとなっているが、
人にとって、それが必要であるように、魚たちにも " サンクチュアリ " 、誰にも荒らされぬ聖域が、あって然るべきだと思う。
彼らは我々人間よりも、遥かに過酷なサバイバルの日々を生きているのだから…
さて、ネガティブな話で熱くなってしまったが、この辺りにしておこう。
今日の糧としてニジマスを1尾キープした。
食感は、脂身が殆どなく、淡白で繊細、養殖物とは比較にならない美味しさだった。
川魚独特の臭みも全く無い。
刺し身に出来る腕前が有ればと悔やまれる。
贅沢だが、ここでは一般的な " 塩焼きサイズ " は釣れないので、焼くのに何倍も時間がかかってしまう。
バーナーの使い方もイマイチだったから、見た目は良いとは言えないが、それも経験、次に来る時までにはスキルアップしておきたい。
貴重な命が無駄にならぬよう、感謝しつつ、一片も残さず丁寧に頂いた。
食料の確保もさることながら、こんな山奥での森の生活となると、当然風呂には入れない。
しかも1週間となると、綺麗好きな人にはハードルが高いだろう。
どうしても、と言うか普通なら、山小屋にお世話になるのが無難である。
風呂や食事の心配はない。
沢の水で頭を洗い、濡らしたタオルで身体を拭く。
環境負荷を考えて、石鹸などは当然使わない。
だがそれだけで、心身共に驚くほどスッキリした。
ついでに洗濯用ネットに衣類を入れ、流れにさらして濯ぎ、手揉みで洗う。
これももちろん、洗剤は使わない。
水が綺麗なおかげで、汚れはそれなりに落とすことが出来た。
週間天気予報によると、明日は激しい雨になる。
そうだ、今のうちにその準備もしておこう。
タープとビニール紐を取り出し、設置に取り掛かった。
先ずはタープの棟(屋根のてっぺん)を作るため、布の二方の短辺を確認する。
両サイドの中央には " ハトメ " と呼ばれる穴があり、そこに一本のビニール紐を通しておく。
こうすると、屋根の中心がズレない。
次に、テントとその間に隙間が出来るよう、おおよその高さを決めたら、
側に生えている細木の幹に、ビニール紐の一方を縛り付ける。
もう片方は、反対側の生い茂った低木の枝を一纏めにして縛る。
まだビニール紐の高さとテンション(張り具合)が足りないので、流木を " つっかえ " にして調整する。
後はタープの四つ角を、それぞれ紐とペグで、その辺の石なども重しに利用しながら固定して完成だ。
初めてにしては、なかなかうまくできたんじゃないか。
風の流れも考慮し、頑丈に設置できたから、恐らく少々の風雨ではビクともしないだろう… 多分。
台風前の子供の様に、逆に雨が待ち遠しくなってきた。
4日目
今日も穏やかな朝を迎えられた。
空は曇り気味ではあるが、まだ雨は降っていない。
酷暑の都内で働く同僚たちには悪いと思いつつ、飽きずにまた竿を出す。
今朝はフライフィッシングで狙ってみる。
本来なら、水面に浮かぶカゲロウの類を狙って魚たちが飛びつき、そこかしこで " ライズリング " と呼ばれる波紋を作り出していただろう。
そんな時は、" ドライフライ " という、水面に浮く毛針の出番だ。
しかし、残念ながらそれは見られない。
湖が濁っているせいで、水面に浮かぶ虫たちを魚が見つけられないからだ。
よって今回は、水中に沈めて使う、" ウェットフライ " を選択する。
濁りで見えないのは、水面も水中も同じだが、魚はその濁りに隠れていて、ウエットフライが目の前を通りがかった瞬間にアタックしてくる。
これにも様々な種類があり、カゲロウの幼生をイメージした一般的なものから、小魚を模した " ストリマー " など、ベーシックなものから派生種まで含めると、数万や数十万では効かぬほど多種多様だ。
以前は " タイイング " と言って、自分でもフライを巻いていたが、老眼も進み、ネットオークションなどで、素晴らしい出来の完成品フライが格安で出品されるようになったので、それを買うようになってしまった。
お約束通り、今日も魚は濁りの中に隠れていた。
そこにフライをキャストし、ゆっくりと沈めつつ流れに漂わせる。
アタリがあるまで何度もフライを打ち返す。
30年も前のパックロッドの名品が綺麗なカーブを描く。
Fish on !
当時憧れだった品物も、今は中古で数千円で売られていたりするから、有り難いやら悲しいやら複雑な気分だ。
フライフィッシングの場合、雰囲気を重んじるなら、効率重視の最新の物ではなく、むしろ骨董品のような古い物の方が良かったりする。
釣り味も魅力的で、使いこなす楽しみもある。
なんなら100年近く前のバンブーロッド、いわゆる竹竿も、まだまだ現役で使えたりするから面白い。
黒部ダムのニジマスは、かなりの割合で、体格の割に目が大きいものがいる。
身体の成長は、栄養のバランスにより、短期間で大きくなったり、逆に発育が悪く、小さいままだったりとバラツキがある。
ところが、目の大きさは、栄養の具合に拘らずほぼ一定のスピードで成長するようだ。
これは個人的な考察だが、
魚体に比して、目が大きいと言うことは、それだけ成長が遅いのかもしれない。
理由はこの湖のニジマスの数に対して、エサが少ないからだろう。
現に黒部ダムでは、イワナとニジマス以外の魚を見たことが無い。餌となる小魚がいないのだ。
今回の釣行でも数は釣れたが、40cmを超えるような良型に出会う事はなく、揃ったように殆どが30cm前後だった。
アウトドアで引きこもり
釣りをしない時は、なるべくテントの中に居て、痛めた足を労ったり、記録を取ったり、時折湖の沖を行く遊覧船を眺めたりして過ごした。
そこで気付いたのは、遊覧船が現れるる時にだけ、スマホがオンラインになる事だ。
こちらと遊覧船との距離は、人物を目視出来ないほど離れているのだが、観光客のために強力なWiFiでも積んでいるのだろうか。
そんな時は、天気予報を確認したり、友人にメールを打つ事もできた。
仕事を休んで楽園で遊び呆けている自分に、
下界から同僚の恨み節が返ってくる。
危険すぎて心配だから、来年はもう行かないように!と、" 東京の母 "からは釘を刺された。
今回持って来た2つのモバイルバッテリーは、大容量とはいえ、スマホ以外にもライトやコンデジのパワーも賄っているので、あまり無駄使いは出来ない。
まあ、こんな山奥に来てまでガジェットに依存するのは、如何なものかと思わなくもないが。
予報は的中、昼食後に雨が降り始め、徐々に強さを増していった。
しかしタープの、布切れ一枚が有るのと無いのとでは、こうも安心感が違うものか。
激安だったので、正直多少は不安だったが、
おかげでテント自体は殆ど濡れる事もないし、ベースが砂地でもあるので、雨は染み込みテントまで流れて来ない。
我ながら上出来、
快適過ぎて、雨のキャンプが好きになってしまった。
とはいえ、雨の中、カッパを着てまで釣りをする気にはなれない。
身体も万全ではないし、
ここで風邪でも引いたら大変だ。
テントは小型なので火は使えない。
タープの " 軒下 " で、湯を沸かし、紅茶を飲む。
ティーバッグとスティックシュガーは便利なマストアイテムだ。
天幕の縫い目から水滴が染み出すのを見つけた。
補強のシームテープは施されていなかった。
安物なので仕方ない。
撥水スプレーを塗布した薄いタープの表面を、雨粒が纏まり、つるつると生き物のように滑り落ちる様子が、影絵のように裏から透けて見える。
する事が無いので、スマホで雨の動画でも撮ってみよう。
それは、単純でなんの刺激も無かったが、
猫じゃらしを前にしたネコの様に、
次はどこを流れるのかと目で追っていると、知らず知らず思考も単純になって行った。
あたかも、それを初めて見る子どものような、純粋で無邪気な心へと引き戻されるような感覚だ。
俗人なので、ヨガや瞑想はしないが、これも一種のトランス状態なのかもしれない。
張り詰めたタープは傘と同じように、強く打ち付ける雨をバラバラとモノトーンの音に変換する。
ああ、この心地よさ、これもホワイトノイズなのだろう。
持参したトルストイの「人生論」を開くが、一向に頭に入って来ない。
単純化された思考では、それは文字の羅列に過ぎず、意味を読み取る事を意識は拒絶してしまった。
その後、日が落ちてからも、風雨は一晩中止まなかった。
強風がテントをバタつかせ、大粒の雨がタープに打ちつける。
敢えて灯りはつけない。
真っ暗な闇が、その音を一層増幅させた。
それは同時に、他の一切の情報を遮断し、小さなテントの空間が、底なしの虚無、深淵に漂っているようにも感じさせた。
全く怖くはないと言うと嘘になるが、
それも望むところでさえあったから、意外と容易く恐怖を飲み込めた。
音はしないだろうが、1人で宇宙空間に放り出されたら、こんな風に感じるのだろうか。
身体がしんど過ぎて、もはや考える事が面倒だったのもある。
恐れを克服することは、自分の人生の命題の一つだが、
この現実世界も自分が創り出していると言うことへの理解は、それに打ち勝つ助けとなっている。
そしてこれまでの経験から、エゴの明け渡し、 " サレンダー " の積み重ねが、さらなる自由を与えてくれることも知っているつもりだ。
それとも、これも単なる " 正常性バイアス " というものだろうか。
しかし、それなくしては、いかなる冒険も成立し得ないのも事実だろう。
未明頃、ようやく嵐は過ぎ去った。
そこには、安堵の気持ちよりも、何かのイベントが終わった時のような、得も言われぬ寂しさがだけが残っていた。
台風の後、学校が再開する時の子供の気持ちにも似ていた。
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