家事までは気が回らなかった(2019/8/16(金)のメモ)
2019/8/16のメモ
毎年恒例
僕は例年三重県のナガシマスパーランド(以降「ナガシマ」と記載します)のジャンボプールに夏の間一回は行く。
行く際は花火開催日を選んで夜まで楽しむ。
ナガシマの花火は打ち上げる毎に解説してくれるので、毎回楽しみにしています。
夏の期間同じ花火師が上げ続けるわけではないので、毎回違う花火師が楽しめます。
実家の掃除
メモには殊勝にも掃除に行くようなことを書いているが、結局掃除を目的に実家に行ったことは店を閉めるまでの間にはなかった。
この頃
この頃はまだ店をやっていたこともあり、親の見守りといっても店に顔を出す程度だった。
まだ動けるこの時期に親を色々連れて行けばよかったと今は後悔している。
「孝行したい時に親はなし」とは言うけど、いてもいなくても親が動けなくなってきたらできる孝行も自ずと限られる。
時間とともに動けなくなっている親の世話をするというのも孝行の一つではあるとは思うけど、想定していたものとは違った。
それはおそらく親も同じだと思う。
親世代
僕の親世代は世間的な「団塊の世代」のちょっと下の世代なので、広くは「団塊の世代」に含まれると思う。
長男長女ではないので仕事の為に高校を卒業後、親元を離れた。
だから両親は親の介護を経験していない。
地元に残した兄弟に資金的支援はしていたと思う。
たまに会うだけなら年老いた親というのも可愛いもんだと思う。
介護というのは外から見るのと実際にがっつり関わるのとでは、印象が全く異なる。
僕の場合は自分自身の加齢による体力、意欲等の低下を全く考慮していなかった。
親も加齢とともに色々状況が変わるけど、僕自身も変わっていく。
分かっているようで実は分かっていなかった。
両親はそんな介護の辛さがあることを自分達が経験していないので知る由もない。
この感覚の齟齬は結構シンドイ。
2024年現在
介護に踊り場はない。
あるとしても一息つく暇はないというのが、今の僕の実感。
まだまだ続く。
たまに「いつ死ぬのかな?」と夢見るように想像してしまうことがある。
親が死んだ後、自分の人生を楽しむ気力が残っているかな?
まとめ
最近今の介護状況が精神的につらいこともあって、メモを見ると自分の書いたことながら「気楽だな」と思う。
今回の写真のメモの日付の写真です。
名古屋市熱田区の旧東海道「七里の渡し」近くのマリーナのボートです。
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