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異様に引きが強い件について。

「人は生まれながらにして完璧であり、不完全な形をより求めて人間界に落とされるんです。これが、私だ。私はこんな人間だ。そもそも、私とは何ですか?それは、あなたが作り上げたものでしょう?私、なんてものはありません。いわば魂が求めるもの、それが自我になるわけです。」


ぼんやりと、こんな話を2時間聞いている。


「私があなたにヒールを送ります。だから、あなたは扉を開けて欲しいのです。開きますと。」

「開きます」


開いているのかどうかすら定かではない。
この男から何かが体内に注入されるらしい。


「これから少しずつヒールを送ります、効果の出方はそれぞれですが、ヒールを受け入れられる場合は、少し眠くなったり、体のだるさを覚えます。逆に信じていなかったり、開いていない場合は、イライラすることもあるようです。」


今夜は夜勤だ。合計で16時間、私はこの施設のナースとして、滞在しなければならない。6階建ての箱型のこの施設には、高齢者80人が住んでいる。



私は、仕事をするのが異常に早い。経験側というのもあるし、こんなもんだろう、という惰性だけで割り切っていることがある種、効率良く進んでいる理由だと言える。


「受け入れましたか?」


 その男は、真っ直ぐこちらを見ている。あまり、面と向かって人の顔を見ることもないが、こんな顔をしているのか、と突如顔の特徴が浮き上がり、掌がぶ厚いことや、指が極端に短いことが、違和感でしかなくなってくる。この兆候が出てくると、私はまずい。ドン引きの境地だ。



私は、いま、変な男に引っかかっている。


仕事が早く終了させてしまった弊害が、変な男に隙を与えてしまったのだ。どんよりとした、脂汗がマスクの中を流れるのを感じた。毛穴がいつもより開いている気がする。


「はい、受け入れられた気がします」

 男は続ける。


「受け入れられない方は異様にイライラされるようです。逆に受け入れられた方は眠くなったり、体がだるくなったりと言った症状が現れるようです」


 ちなみに、私はこの男の話を聞きながらずっと気怠い。このラリーが私の体を蝕んでいる気がしてならない。ただ、なんだか本音も見透かされそうなので、遠くを眺めることにした。正確には、羽虫の賑わう蛍光灯を、ただ、注視した。天を仰ぐ。今ならその先の、宇宙まで見えそうだ。

 今一度、振り返ってみよう。
やはり、私は今、変な男に引っかかっている。


 この男は何者なのか。

 ただの介護職員である。よく、働く。可もなく、不可もない。一日を通して、彼に対して、何も思わない。そつなく仕事をこなすため、全く印象にも残らない。この会話がなされたのは、私が離婚というものを境に姓が変更になった、という、他愛もない会話から生まれたものだ。ただ、それだけ。離婚原因も、人並み。性格の不一致。よくあるやつ。

男運ないよね。

そんな言葉を今までどれだけかけられただろうか。

「もう一度言います。あなたとは、なんでしょうか?己を愛して下さい。ただ、それは自己愛になってはいけません。意味がわかりますか?」

 考えることをやめた。新しい境地だ。身を任せて、静かに寝たふりをした。この方が色々都合がいいだろう。

「私のヒールは眠くなるでしょう?
オートで30分、行かせていただきます。」

 ことごとく、私は人に縁がない。
 残り、あと13時間。

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