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やなせたかしという詩人
先日、本屋で平積みされていた『やなせたかし詩集:てのひらを太陽に』(河出文庫)に目を引かれ、なんとなく手に取って頁をめくってみた。
あまりの暗さに驚いた。
人生の虚しさ、寂しさ、悲しさ、そういったブルーな感情を直截的に綴った詩がとにかく多い。『てのひらを太陽に』のようなポジティブな雰囲気の詩が浮いて見えるほどだ。
だが、それゆえに面白かった。やなせたかしの本領はこの暗さにあるんだなとつくづく思った。
特に良いと思ったのは『人間なんてさびしいね』という一篇。全文だと少し長いので、最後のパラグラフだけ引用する。
どうせこの世はまともじゃない
オレもオマエもみなさんも
ほんとはマチガイかもしれない
信ずるものはあるもんか
大群衆のまっただなか
石やきいもをかじりつつ
孤独のおもいに胸せまる
たったひとりで生れきて
たったひとりで死んでいく
人間なんてさびしいね
人間なんておかしいね
マチガイだったらよかったね
この暗さよ……
平易な言葉で書かれている分、こちら側へまっすぐ届いてくるのも良い。自己憐憫的で大衆的なセンチメンタリズムだと批判することもできそうだけど。
一昔前の下北沢には「私の詩集」と題した手書きポエムを路上で売ってる人がちらほら居たが、やなせたかしの詩はそれに近いものを感じさせる。良くも悪くも、素人っぽさがある。
木や草や花に
生れたかったと
おもうときがある
木や草や花は
人間になりたいと
おもうことがあるだろうか
一度でも
この『ねがい』という詩はこれで全文だ。やなせの詩には、自身の半生や人生訓を長々と語るようなスタイルのものも多いが、それらはどうしても冗長な印象が拭えない。こういう短めの作品の方が、シンプルで美しいと思う。
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私の幼少期は常にアンパンマンと共にあった。親が買ってくれたおもちゃは大抵がアンパンマンものだったし、スーパーで親にねだるのはアンパンマンチョコかアンパンマングミが鉄板で、行きつけの小児科の待合室ではアンパンマンのビデオがいつも流れていた。平成一桁代の話だ。
その後ポケモンの時代がやって来て、日常のほとんどがポケモンになった。同時に、いつの間にか「アンパンマンは幼稚園児が見るもの」という認識が芽生えて、気がついたら卒業していた。アンパンマンのおもちゃやぬいぐるみは全て年下の従兄弟にあげてしまった。
やなせたかしというクリエイターが、けっこう尖った表現者らしいということに気づき始めたのは高校生くらいの頃だ。
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当時のネット界隈(主に2ちゃんねる)では、なんでか知らないが、やなせたかしを過剰にネタにするノリが一部で流行していた。不条理で意味不明かつお下劣なアスキーアートの中には、実際のやなせたかしのエキセントリックな言動が元ネタとなっているものもあった。
幼児向けの話を書いているにも関わらず、どこか闇の深さを感じさせる所がなんともシュールで面白く、それがネタにされるゆえんだったのだろう。服装も奇抜で、楳図かずおと同じカテゴリの変人アーティストというイメージが強かった。
亡くなった時のニュースは今も鮮明に覚えている。「まだ死にたくねぇよ」「面白い所に来たのに俺はなんで死ななくちゃいけないんだよ」と呟くやなせは、悲痛だった。
やなせの詩には、常にこの「悲痛さ」が流れているように思う。人生に対する嘆き、絶望、やりきれなさ、虚しさ、死にたくないのに死んでしまう悲しさ、それらを陰画(ネガ)にして浮かび上がった陽画(ポジ)が『てのひらを太陽に』や『アンパンマンのマーチ』だったのだろう。
さびしさは
ゆっくりとやってきて
ぼくとならんで
腰をかけた
あっちへいけといったのに
いきなりぼくにしがみついた
詩集を読んで俄然やなせたかしに興味が湧いてきたので、自伝の『アンパンマンの遺書』も読んでみた。これがめっぽう面白かった。
高知で育ち、上京して旧制高校に入学、やがて徴兵され中国戦線へ、敗戦後は新聞社や三越の宣伝部に勤めつつ、ひとかどの漫画家を目指していくのだが、無名の日々が延々と続く。
手塚治虫の長編アニメに携わったり、詩集や絵本を出したり、絵皿などの陶器のデザインをしたり、様々な仕事に着手するが、漫画家としての成功はいつまでたってもつかめない。所属している漫画家団体の旅行にも誘われなくなってしまう。
漫画家の中では相かわらずランクは眼にも見えない下の方で、相撲の番付けでいえば序二段ぐらいのところだ。
そして、漫画集団世界旅行というのにもさそいの声さえかからなかった。自分が完全に無視されている、存在していないとおなじ、ということが身にしみた。
ぼくより十年も二十年も年齢の下の連中が、花形としてもてはやされているのに、湯呑み茶碗の絵を描いたりしてごまかしながら生きているのはみじめだった。
アンパンマンのテレビアニメがきっかけで、やなせはようやく日の目を見るようになるが、企画から放送開始までのムードは極めて悪かった。
「顔がアンパンのヒーローなんてウケるわけがない」と企画を蹴られ続けたり、やなせ自身が体調を崩して手術したり、極めつけにはやなせの妻が末期癌ステージ4と判明、余命数ヶ月との診断を受けてしまう。昭和天皇の病状も悪くなり、社会全体が暗い雰囲気に包まれていた。
不気味な世紀末の暗雲漂う中に、激動した昭和という時代は最後の幕をひこうとしていた。そして、まさにその年の十月、ようやくアンパンマンのテレビ放送が決定した。
月曜日、午後五時という再放送しかやらない時間帯の自主制作、関東四局のみという、まれにみる最悪の条件で、ひっそりと出発した。拍手する人は誰もいなかった。
昭和天皇の御病状はますます悪く、マスコミは派手派手しい番組、イベントを自粛し、新番組スタートの恒例となっているパーティも催し物も何もなかった。
プロデューサーの武井英彦はこう言った。「これは従来、何をやっても二パーセントしかいかないという時間帯ですから期待しないで下さい」
さしたる期待もされず、原作者のやなせ自身も意気消沈し、世間のムードも暗い、そうした逆境の中での出発だった。そんなアンパンマンの境遇を考えながら主題歌を聴くと、その悲壮さがますます際立ってくるように思う。
時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
アンパンマンの主題歌の中で、特にこの一節が好きだ。
焼け跡の街で将来を誓い合い、長年連れ添ってきた最愛の妻が、もうすぐ癌で死ぬ。自分自身も気づけばもう老境で、遅かれ早かれ人生が終わる。この曲はそんな状況の中でリリースされた。
やなせは、自分が作詞したこの曲をどんな気持ちで聴いたのだろう。「だから君はいくんだ」と歌われるヒーローの勇姿は、きっとヒーローを創造した作者自身をも強く励ましたに違いない。
事実、アンパンマンはやなせの暗雲を打ち払うように、歴史に残る大ヒット作品となった。
ずっと日陰に生きてきたやなせは、アンパンマンのおかげで日の目を浴びた。妻は闘病の甲斐があって、余命数ヶ月という診断を覆して生き延びた。ようやく運が巡ってきたのだ。
アンパンマンは皆を助けるヒーローだが、何よりもまず、やなせたかしという詩人を救うために現れたヒーローである気がしてならない。