源氏物語の話15 平安中期の階級意識

第二帖「帚木」③/「きざみ」と「しな」/雨夜の品定め/高貴すぎて知らない世界/零落と成り上がり/上達部(かんだちめ)/位階/貴族=五位以上/三位(さんみ)/殿上の間/昇殿/参議/公卿/左馬頭と藤式部丞/左馬寮右馬寮/式部省/藤原為時/四位の中将、五位の左馬頭、六位の式部丞/どっちも中流/受領(ずりょう)/国司/守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)/遙任(ようにん)/公地公民/人頭税/制度破綻/人頭税から地税へ/受領=徴税請負人/受領=代表的中流階級/受領は儲かる/英才教育と玉の輿/藤原道長の母、時姫/摂津守藤原中正/中宮定子の母、高階貴子/儀同三司母/藤原道隆/高階成忠/受領の娘、紫式部/笑う光源氏、心得ぬ発言

【以下文字起こし】

さて、源氏物語解説の第15回です。「帚木」の解説としては3回目になります。

前回なんの話をしたかといいますと、とある雨の夜に、光源氏が義理の兄にあたる宮腹の中将と女性談義をしている場面について話しましたね。やがて話題は、上流、中流、下流の違いへと移っていったのですが、こういう階級とか身分、家柄のことを、当時は「きざみ」とか「しな」という単語で表しました。「しものきざみ」といったら下流の家柄を指すとか、「なかのしな」って言ったら中流階級を指す、みたいな感じです。

ちなみにこの「しな」って言葉は、漢字で表記する場合「品物」の「品」と書きます。商品の「品」の字ですね。今でも「品定め」って言葉ありますけど、あれって人や物の良し悪しを見定めてランクづけする行為じゃないですか。「しな」っていうのは、昔からそういう意味なんです。

で、今回光源氏たちがやってる女性談義も、ある種の品定めなんですね。さまざまな立場や階級の女性について、あーだこーだ好き勝手良し悪しを語っている。だから紫式部自身、後にこの場面のことを「雨夜の品定め」と表現していて、源氏物語に関するキーワードの一つとして今もそのまま流通しています。

この場面がなぜ重要なのかというと、光源氏という超絶上流貴族が、さまざまな立場の女性、ヒロインと関係を結んでいくことになる最初のきっかけだからなんですね。ここまで読んできてわかる通り、彼が葵上以外の女性とも恋を楽しんだ過去があることは本文中でかなりはっきり仄めかされています。しかしその相手というのはおそらく範囲が相当狭く限られていて、多分最上級に高貴な姫君か、あるいは逆に、ものの数にカウントされないような女房たち、くらいしか恋愛の対象としてこなかったはずなんですよね。宮腹の中将がわけ知り顔で語る中流や下流の事情についてまるで知見がない。だから彼は興味が湧いて、中将に次のような質問をします。

まずそもそも、上中下の階級はどう区別しているんだと問う。例えば、元来は高貴な身分に生まれながら、何らかの事情で零落して、人並みの暮らしができなくなった者はどうだ。あるいは逆に、名門ではない普通の身分から上達部まで成り上がって、得意げに家の中を飾り付け、周囲へ対抗意識を燃やしている者はどうだ。こうした人々の区別はどうつければいい? ということを、光源氏は尋ねる。

上達部というのは、上と下の「上」に友達の「達」、部活の「部」で「かんだちめ」とよみまして、貴族の政治家の中でもトップ層の人たちのことを指します。当時、政治家とか役人には位階っていうランクが割り振られていて、順位の「位」に階段とか階層の「階」と書くんですけど、まぁ一位に近づけば近づくほど偉い。で、「貴族」って言葉で表現されるのは、基本的に五位以上の人たちなんですね。六位までと五位以上では、給料とか家の立地とか、相当な差があったらしい。

さらに貴族の中でも、三位以上かどうかでまた一つ区別がある。なぜならこの人たちは、殿上の間という場所で帝と空間を共にすることができたからです。めちゃくちゃ特権的なことなんですよ、天皇と空間を共にできるってのは。御殿の「殿」に「昇る」と書いて、昇殿を許される、と表現することもあります。

ちなみに、三位以下であっても、参議という役職の人たちは昇殿が許されました。会議に参加するで参議。文字通り、国を動かす政治的な話し合いに参加するのが仕事です。つまり、左大臣右大臣内大臣大納言中納言あたりの三位以上の貴族に参議を加えたメンバーが、帝と一緒に国の政治を主導していたわけで、この人たちのことを公卿といいます。そして、公卿のメンバーから最上級の大臣たちを除いたものが、上達部という言葉で表現される人たちだったそうです。

このあたり結構ややこしくて、正直あまり自信のない知識でしゃべっています。例えば私自身よくやるミスで、大納言中納言小納言をひとまとめにして話したりすることがあって、多分このポッドキャストでも過去やらかしていると思うんですけど、実際のところ中納言と小納言の間にはかなり大きな壁があるんですよね。名前は似てるけど、小納言は公卿じゃありませんから。

そろそろ話を光源氏の発言に戻しましょう。彼何を言ってるかっていうと、相当ダイナミックな階級移動が、当時の平安貴族社会でザラに起こっていたってことなんですよね。公卿レベルの家柄の人が没落して一気にランクダウンすることもあったし、逆に取るに足りないような地位から上達部まで成り上がるものもあったと。そういう上から下、下から上へと動いた人はどこにランクづけすればいいんだ? ってことを光源氏は問うている。

これに答えたのは中将ではありませんでした。折よく新たな登場人物として、左馬頭と藤式部の丞が二人の前に現れたからです。

左馬頭ってのは役職の名前なんですが、宮腹の中将と同じように、役職名を書くことで特定の個人を表しています。漢字は、左の馬の頭。当時、朝廷の中に馬を管理する部署っていうのがあったんですよ。今より馬の活躍する場面が多かったから、結構大事な仕事で、左馬寮と右馬寮っていう二つの部署が設けられていました。寮は、以前菅原道真の話をした時に出てきた大学寮の寮と同じ字を書きます。左馬寮の「さ」は左、右馬寮の「う」は右です。

昔の日本の部署とか役職って、なんかやたらと左右でワンセットにされがちなんですけど、あれはなぜなんでしょうね。左大臣右大臣とか、以前紹介した近衛府も、左近衛と右近衛に分かれてますし。気になるけど、今は勉強不足でよくわからないなぁ。

まぁ細かいことは一旦脇に置くとして、この左馬寮って部署の長官、トップに当たるのが左馬頭という役職でした。どっちかっていうと、武官、軍人寄りの立場でして、のちには武士たち憧れのポストになっていくんですけど、位階としては従五位ですから、まぁギリギリ貴族だねってくらいのランクです。

これ、結構面白いというか、残酷な話なんですけど、後の方まで読むと、この左馬頭って人は光源氏よりも結構年上だということがわかります。少なくとも七歳以上は年上かな。だけど位階はすでに光源氏とか宮腹の中将の方が上なんですよね。近衛の中将って位階でいうと四位、「よん」位ですから。この辺りは本当、生まれ持った血筋の差が重くのしかかる部分です。

あともう一人、藤式部の丞という人も出てきます。これもやっぱり、式部の丞というのが役職ですね。式部省って部署があるんです。漢字はわかりやすいですよ、紫式部の式部に、文部科学省の省です。これは役人の人事権とかを司る非常に重要な役職でして、まぁ基本的には勉強のできる賢い人が配属されますね。みなさんご存知の人物で言えば、菅原道真も式部省に勤めていたことがあります。ああいうイメージですよ。

あと、紫式部の父親である藤原為時という人も、式部丞を勤めていたことがあります。彼女にとっては馴染み深い役職だったわけですね。紫式部が紫式部って名前で呼ばれているのも、お父さんが式部丞だったからだって言われていますよ。じゃあ「紫」の部分はどっからきたんだって話になるんですけど、それはまた追々、然るべきタイミングで話しましょう。

ちなみに、丞というのは一番上のポストではなくて、上から三番番目くらいの、まぁ実務担当者の中でトップクラスの人だと思えばいいかな。位階としては六位にあたります。

長官だったら一人しかいないから、役職だけで個人を特定できるんだけど、丞は何人か同時に存在するので、それだけだと個人を特定できません。そこで頭に「とう」をつけて藤式部の丞と呼ばれている。この「とう」は、藤原氏の「藤」の字を書きます。つまり、式部の丞をやってる藤原さん、ということです。これなら一応、だれのことだかわかる。まぁ実際は、貴族社会に藤原氏が山ほど蔓延っているせいで、藤式部丞すら、ダブる可能性はあったりしますけれども。

ちなみに、さっきも言ったように、当時は五位と六位の間にかなりの差がありましたから、この人は左馬頭よりもさらに一つ低い階層の人だと思った方がいい。

ただ、本文中には「世のすきものにて、ものよくいひとおれる」って紹介されてるので、左馬頭も藤式部の丞も、恋愛経験豊富で、筋の通った話ぶりだから、お前ら一緒におしゃべりしようぜってことで宮腹の中将に捕まって、彼の代わりに、光源氏の質問に答える運びとなりました。

結論から言うと、「どっちも中流だ」というのが、左馬頭の返答だった。

下から上に成り上がってきた人は、たとえ今現在の位が高かったとしても、相応しい家柄ではないってことで、世間からの見る目がやっぱり違うと。また逆に、生まれは高貴な家だとしても、今現在栄えてる人たちとの繋がりが薄くなってくると、時代の流れについていけなくて、世間からの目というのも変わってしまう。心だけは昔のまま、高貴な立場だと思っていても、現実問題としては経済的にも苦しくなってきて、体裁の悪いことも出てくるでしょうと。

だからどっちも中流だ、上流とは言えない、って理屈なんですけど、これ面白いのは、成り上がり組にしても、没落組にしても、世間からの評価っていうのを重く見ている点ですね。世間が認めてくれないからまだ上流じゃない。世間の見る目が変わったからもう上流じゃ無い。いかにも平安貴族社会って感じです。

で、話は次に、「受領階級」っていう、中流ど真ん中みたいな人たちについて話題を移していきます。本文少し読んでみましょうか。

受領といひて人の国の事にかゝづらひ営みて、品さだまりたる中にも、又きざみきざみ有りて、中の品のけしうはあらぬ、えり出でつべき頃ほひなり。

今は受領階級にもいろんな人がいて、中流の中でも「けしうはあらぬ」、つまり悪くない、まあまあい感じの人をピックアップすることができる時代だと左馬頭は語ります。でもそもそも、受領が何かわかんないですよね。そこの話をしましょう。

受動態の「受」に領収書の「領」で「ずりょう」。どちらも「うけとる」という意味の漢字です。これは高校生になると、日本史で一応習うんだけど、土地制度に関連するややこしい部分だから、苦手にする人が多いね。

まず国司ってのがいるんですよ。国の司と書いて、それぞれの地方を治める行政官のことを指します。国司の中にもランクがあって、トップの、要は県知事みたいな立場が「国守」、そしてその下に「介」とか「掾」とかが続く。模試とか入試の古文読んでると、山ほど出てきますよ。讃岐守とか、伊予介とか、どこそこの掾とかね。

で、この国司は朝廷が任命して中央から地方へ派遣するんだけど、複雑なのは、ちゃんと現地に行って仕事する国司と、そうじゃない国司がいることなんですよね。自分は京都から動かないで仕事を他人任せにしちゃうケースってのがあった。

例えば、在原業平のお父さんで阿保親王っていたじゃないですか。彼、平城天皇の息子だったわけですけど、上総国っていう、今の千葉県あたりの地方を任されていたんですね。でも帝の息子が京都から出て千葉県で暮らすはずないから、実際に現地を治めていたのは、国司の中でナンバーツーに当たる上総介というポストの人でした。こんな感じで、国司が現地へ赴かないことを遙任といいます。字は、遙か遠くの「遙か」に任せる、任命するの「任」と書く。

参議が掛け持ちで国司のポストをもらった時も、基本的には遙任ですね。さっき説明したように、昇殿して中央政治を動かすのが参議の仕事ですから、地方に下っている場合ではない。

あと、宮腹の中将とか光源氏みたいな近衛中将やってる人たちも、国司を兼ねつつ、遙任してたみたいです。光源氏はこのとき中将兼伊予守だったんじゃないか、って論考してる人もいたりする。

その一方で、ちゃんと現地に赴いて仕事してた国司ってのもいて、この人たちは当時、激動の渦中にあった。

どういうことか、少し丁寧に説明しましょう。

そもそも日本の、律令国家って、公地公民制に基づく人頭税で運営されてたんですよね。戸籍作って、台帳作って、誰がどこに住んでるとか、この土地は誰それが耕してるって情報を管理して、じゃああなたは成人男性だから税をこれだけ払ってくださいね、みたいに割り振っていた。

けれどこの仕組みが、あんまり上手く機能しない。管理するって難しいんですよね、人を。みんなそれぞれ生きるのに必死だし、都合のいいようにルールの抜け道探すから。

特に、紫式部たちの時代の少し前、菅原道真とか藤原時平の時代には、完全にシステムが崩壊していた。地震、疫病、洪水、旱魃、みたいな、災害とか気候変動の影響で、作物も育たなくて、民衆からすると、税なんて払ってる場合じゃなかったらしい。

税が払えなくなった民衆はどうするかっていうと、まず逃げる。土地ほっぽってどっかに消える。もうこれで、戸籍管理システムは終わりだね。あと、場合によっては団結して、国からの徴税を武力行使で拒絶することもあった。こうなってくると、もはや税制が機能しない。

可哀想だよね、これ。みんな大変じゃん。生きるのに必死な民衆も辛いし、機能不全起こしてる国家で政治家やってた道真や時平も辛いよね。俺たちこの国どないしたらええねんってことで、特に時平なんかは相当頑張って立て直しを図ろうとしていたらしい。

だけどまぁ、結局もう無理で、地方のことを中央が管理するのは諦めようってことになりました。戸籍管理して一人一人から税を集めるのもやめよう、と。

そのかわりにどうしたかって言うと、各地域のことは、各地域に派遣されてる国司に任せた方が良さそうだね、ってことになっていった。権限増やすから、そっちで勝手にいい感じにしといてね、と。税も、個人に割り振るんじゃなくて、土地とか地域単位で割り振るから、国司が責任持って集めて、都に送ってねって仕組みに変わった。その代わり、あとのことは好きにしてくれていいから、と。これは結構大きな制度転換です。

こうして徴税を任されるようになった、権限と責任の増した国司のことを受領と呼びます。

なぜこういう言葉が当てられたかと言うと、前任者から仕事を引き継ぐ時に、私は確かに責任者としての引き継ぎを受けましたってことを証明する書類とかを受け取った、受領したからだそうです。

ただし、国司がみんな受領になったわけではなくて、その地域のトップ一人だけに権力が集中し、受領となりました。一番偉いってことは、普通に考えたら国守が受領になるんですけど、前述した阿保親王の例でいくと、本当のトップが遙任で不在だから、現地において一番偉い上総介が受領ってことになりますね。

けれどそういう、国守が遙任して現地にいない例を除くと、受領以外の介とか掾とかは、権限の失われたしょーもないポストだなってことになっていった。元々は役割も責任も分け合っていたんだけど、そうじゃなくなってしまったんですよね。

だから結局、受領以外の国司も、現地に赴かなくなっていったらしい。受領が全部を任されてるんなら、俺たちやることねーじゃんって感じでね。名前だけの役職になってしまった。その一方で、受領が自分の身内を国司にして、仕事手伝わせるために地方へ連れて行くこともあったらしくて、そのへんまで考え出すとかなり複雑ですね。

ただ一つ確かなのは、源氏物語の本文において、受領階級が中の品に分類されているということです。受領になる貴族って、位階でいうと大体四位とか五位くらいなんですよ。貴族としてはあんまり高いランクじゃないですね。だけど社会全体で言えば中流って扱いになるらしい。

帚木の本文だと、「受領といひて人の国の事にかかづらひ営みて、云々」って書いてあって、これ結構ひどい言い草なんですよね。「人の国」っていうのは、よその人の国、私たちとは違う人の国、つまり「外国」を表す言葉です。例えば中国とかね。それと同時に、都以外の田舎とか地方を指す言葉もありました。今回はこっちですね。つまり受領ってのは、都とは別世界である田舎の仕事にかかずらってる奴らだって言ってるわけです。

ただ、受領には一つ、とても大きなメリットがあって、それがお金儲けなんですよね。権限として、地方の税の取り立てを一任されているから、担当エリアに割り振られた分の税だけ都へ送れば、後はどさくさに紛れて自分自身の財産にすることができた。上手くやれば受領は儲かるんです。こういう社会常識が、源氏物語の内容にも大きく影響してきます。本文続きを読んでみましょう。

なま〳〵の上達部よりも、非参議の四位どもの、世のおぼえくちをしからず、もとのねざしいやしからぬ、やすらかに身をもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。

非参議の四位ってのは、位階としては四位で参議相当なんだけど、今はそのポストについていない人のことを指します。なれるけどまだなってない人もいれば、一回参議になったけど解任されて非参議の四位をやってる場合もあって、今回左馬頭が言ってるのは後者なのかなぁ。

中途半端に上達部やってる、必死にしがみついてる感じの人たちよりも、非参議の四位で、世間からの評判もそこそこで、生まれも別に卑しいわけじゃない人が、受領として財産を蓄えて、安らかにゆったり暮らしてるのは、大変気持ちのいいものだってことを左馬頭は語る。

悠々自適なんですよね、金銭的に余裕があるから。そのうえ生まれ持った血筋も悪くないとなれば、平安貴族社会の一つの理想像みたいな様相を呈してきます。しかもお金に余裕があると、育児のクオリティも高くなる。本文続きを読んでみましょう。

家の内にたらぬ事など、はたなかめるまゝに、はぶかず、まばゆきまでもてかしづける娘などの、おとしめがたくおひいづるも、あまたあるべし。宮仕へにいでたちて、思ひかけぬさいはひ取り出づるためしども多かりかし

家の中に余裕があるから、娘を育てるにあたっても、出し惜しみせず、眩いほど大切に育てることができると。だからこういう人のところには、おとしめがたい、ケチのつけようがない娘が育っている例がたくさんあるのだと左馬頭は語ります。お金があれば英才教育できるから、素敵な娘が育つっていうんですね。

さらにそこから、身につけた教養を武器に宮仕へ出て、思いがけない幸運を引き当てる例もある。どういうケースが思いつきますか? 例えば、いいところの息子に見染められて、玉の輿に乗るかもしれませんね。

現実社会の話をすると、平安中期最大の権力者となった藤原道長は、時姫って名前のお母さんから生まれたんですけど、彼女は摂津守藤原中正の娘でした。中正の位階は四位どまりなので、そんなメチャクチャ出世した人生ではありません。しかし娘は摂関家や天皇家と結びつく壮絶なランクアップを遂げています。

あと、これは以前、枕草子の話でも紹介しましたが、中宮定子の母親である高階貴子も、宮仕から玉の輿を掴んだ女性でしたね。百人一首だと儀同三司母という呼び名で知られます。高階家はもともと学者の家系で、娘の貴子は漢文も和歌もできる相当な才媛だったらしい。彼女は高い教養を生かして宮仕に励んだ結果、先ほど挙げた時姫の長男である藤原道隆に見染められました。

貴子が道隆と結ばれた頃、父親である高階成忠は全然高くない位階だったんですけど、彼は最終的に従二位まで位を進めています。二位ですよ、二位。今日初めて出てきましたね、ここまで高い位階。高階氏って、それまで一度も公卿を出したことなかった寒門ですからね。これは凄まじいことですよ。優秀な娘の宮仕をきっかけに親子揃って大躍進した例といえます。

平安中期、源氏物語が生み出された時代というのはこういう世相なんですね。そのことが、物語の内容にも影響を与えている。ただ、ここでちょっと難しいのが、紫式部本人はどういう意識でこれを書いていたのかってことですね。これについてはいろんな人がいろんなことを言っている。

さっきも話したように、紫式部の父親である藤原為時は式部丞を務めるような学者肌の男で、最終的には五位の受領階級どまりだった人です。紫式部自身、思いっきり中流の娘なんですね。その立場から、成り上がりも零落も両方中の品だろ、とか、いい感じに育った受領の娘は出仕して幸運を掴むこともあるって書くの、どんな気分だったんでしょうか。

一方で、彼女が女房として仕えた中宮彰子はメチャクチャ高貴な姫君だし、そういうハイクラスな人々も、源氏物語の読者として想定されていたはずです。これを言い出すと、帚木の内容とか源氏物語全体がどのタイミングにどういう状況で書かれたのかってことまで考えなきゃいけなくなってしまうから、今回はあまり深入りせず、ここまでにしておきましょう。

ただ、最後に一つ難しい問題があって、左馬頭の発言、中流階級の中には下手な上達部より良い、余裕を感じさせる人ってのがいて、そこの娘はお金かけて大事に養育された結果、おとしめがたい女性に育って、思いもよらない幸運を掴むこともある、って話に対する光源氏のリアクションがね、解釈迷うんですよね。

「すべてにぎはゝしきによるべきななり」とて笑ひ給ふ。

という風に、本文では書いてある。

「にぎははし」っていうのは、富栄えているとか、豊かで裕福である、って意味の形容詞です。

末尾の「ななり」は、断定の助動詞「なり」と伝聞推定の助動詞「なり」が重なって、「なるなり」の「る」が撥音便無表記化したものだから、訳としてはまぁ、「何事も総じて、裕福かどうかが左右するようだね」って感じかなぁ。

「笑い給ふ」ってあるので、はっはっはって、声出して笑いながらそういうことを言ったと。

ここ、本によっては「よるべきななり」の「よる」を、「基準にする」って意味じゃなく、寄りかかるとか、頼みにして接近するって意味でとってる人もいますね。

その場合、何事につけても裕福であることを頼みにするべきらしいね、とか、裕福な人へ近づくべきであるようだねとか、そんな感じの訳になるのか。いや、でもこれは、文脈的にどうかなぁ。

この笑ってる光源氏に対する宮腹の中将のセリフも実は難しくて、「こと人の言はむやうに心えずおほせらる」って言うんですよね彼。

「こと人」っていうのは異なる人、別の人って意味だから、「あなたらしくもないことをおっしゃる」ってニュアンスはほぼ確定だと思います。ただ、「心えず」って部分がわからんね。

「納得できない」とか、「理解できない」とかって意味の言葉だけど、まぁ、光源氏のセリフとしては受け入れ難いことを言ったって指摘なのかな。

だとすると、ここで光源氏が笑いながら吐いた言葉っていうのは、最上級に高貴な身分の人間が口にするとは思えないような、結構強烈な皮肉だったらしい。本来めちゃくちゃ上品な人が、「世の中金だね」っていって笑う、みたいな、そういう感じなのかな。まぁ、確かに、それはちょっとやだな。うーん。

というわけで、ラストの解釈は今ひとつすっきりしないんですけど、結構大量に、当時の官職とか階級の話をしたので、今回はひとまずここまでにしておきましょう。

日本史の授業みたいな説明ばっかりで疲れた人もいると思いますけど、これがわかってるだけで助かる場面とか、結構ありますからね。高校で国語の模試解いてたら、伊予介のほうが近衛の中将よりも身分高い、みたいな訳をとってる選択肢、敬語の問題で出てきたりしてね。そんなわけないじゃんって、一発でわかりますから。

正直言うと私も、学生時代からこのあたりの知識は整理が甘いです。いまも甘いかな。大嘘ついてて、後日訂正することがあるかもしれない。歴史学の専門家ではないので、厳密な説明だったかと言われると大分あやしいんですが、平安時代の身分とか階級の違いについて、まぁ大体こんな感じなんだなってことを、頭に留めておいてもらえると幸いです。

ではでは、お疲れ様でした。また次回。


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