源氏物語の話22 かぐや姫の夜


第二帖「帚木」⑩/うるわしき人/方塞り/方違え/紀伊守/中納言兼衛門督/伊予介/藤壺との秘密/光源氏の要求/貴族社会の参入障壁/男たちの眼差し/中将をお呼びになったものですから/鬼神も荒だつまじき/「をかし」な女/匂いでわかる/かようなる際/なよ竹のかぐや姫/反実仮想/つれなきを恨みもはてぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ/身のうさを嘆くにあかで明くる夜はとりかさねてぞ音もなかれける/彦星に恋はまさりぬ天の川隔つる関を今はやめてよ



【以下 文字起こし】

さて、源氏物語解説の第22回です。「帚木」の解説としては10回目になります。

前回までは、いわゆる「雨夜の品定め」について話していたんですが、今回からはとうとう、光源氏とヒロインの具体的なエピソードが展開されます。

そもそも、なんであんな座談会やってたのかっていうと、物忌で身動き取れなかったからなんですよね。やがてそれも終わり、降り続いていた長い雨が晴れると、光源氏はいよいよ、宮中にこもっている理由がなくなる。

この頃の彼って基本的に、宮中から出たくないんですよ。それは憧れの女性である藤壺さんの近くにいたいからって理由もあるし、妻である左大臣家の娘、葵上とうまくいってないから、そっちに行きたくない、って気持ちも大きい。

とはいえ、左大臣はひたすら手厚く身の回りのことをお世話してくれていますから、光源氏としても、疎遠にしすぎるのは申し訳なくて気まずい。

そこで久しぶりに左大臣邸へ足を運ぶわけですが、自分の妻の様子っていうのが、彼にはやっぱりしっくりこない。

「けざやかに気高(たか)く、乱れたるところまじらず」って書いてあるんですけど、これぞ葵上! って感じの描写ですね。ピシッとしてて、気位が高くて、どこにも隙がない、と。

別に光源氏も、彼女のそういうところが全部悪いと思っているわけではないんですよ。雨夜の品定めにおいて、頼りない妻では困る、って話も出ていましたからね。信頼のおけるしっかりした女性だ、って点に関しては光源氏も認めてはいるんですけど、そうは言っても、「あまりうるはしき御ありさまの、とけがたく恥づかしげに思ひしづまりたまへる」って様子に関しては、不満を感じていたらしい。

「うるはし」っていうのは、きっちりしている、端正で折り目正しい様子の美しさを表す言葉です。しかしそういう美しさっていうのは、過剰だと堅苦しいんですよね。だから葵上が静かに取り澄ましている姿っていうのは、光源氏にとって打ち解け難い、「恥づかしげ」なものでした。

この場合の「恥づかしげ」というのは、その様子を見た相手がなんとなく気まずい、居た堪れない気分になるほど立派だ、という意味です。立派すぎてこっちの息が詰まる、くつろげない、というふうに光源氏は感じている。

そこで彼はどうしたかっていうと、他の女性にばっかり話しかけたんですね。お世話係の女房がたくさんいるんですよ、葵上のそばには。そして彼女って名門貴族のお姫様だから、雇ってる女房のレベルも高い。美人だったり、教養深かったりしてね。そういう人たちとおしゃべりしてる方が光源氏も気楽で楽しいわけですよ。

これがねー、なんと言うかまぁ、読んでるこっちは気まずいというか、そりゃ、こんな調子ではいつまで経っても夫婦仲深まらんわな、って、思わされます。

ちなみにここ、ちょっと面白い対比が描かれていまして。蒸し暑い季節のことだから、女房たちと歓談してる時の光源氏って、衣服を結構だらしなく着崩してるんですね。それがまぁ、女性陣にはある種セクシーな美しさとして喜ばれるわけなんですけど、その一方で、どれだけ暑かろうが寒かろうが絶対衣服の乱れなんて見せない葵上って存在がそこに同居しているわけですよ。このコントラストがねー、面白いけど切ない部分です。

以前も話しましたが、葵上ってもともとは皇太子に嫁ぐ女性として育てられてたはずなんですよね。だから、彼女の立ち居振る舞いにはある種の矜持が宿っているようにも見えます。つまり、果ては帝の妃にまで登ったかもしれない人生、あり得たかもしれない未来の残り香みたいなものが、過剰な折り目正しさって形で彼女の周りに漂っている。単なる性格的なミスマッチだけじゃないんですよね、この夫婦のぎこちなさって。

そうこうしていると、左大臣、つまり、葵上のお父さんが光源氏のところへやってきました。日頃寄り付かない義理の息子が珍しく帰ってきたもんだから、彼も嬉しいんですよね。そこで、熱を込めていろいろ長話をするんだけど、光源氏はそれ対して、「この暑いのによくもまぁ」みたいな顔をする。でも、そういう彼の表情って、左大臣からは見えていないんですよ。なんでかって言うと、彼が服を着崩していたため、直接姿が見えないように几帳越しの対面をしていたからです。几帳って、って、あれね、移動式のカーテンというか、布製のパーテーションみたいなやつね。それを隔てて会話していた。

だから、光源氏のちょっと嫌そうな顔を左大臣は見てないんだけど、几帳の内側にいる女性陣、女房たちはそれに気づいているから、くすくす笑っちゃうんですね。それに対して光源氏は、こらこら、静かにしなさい、なんてささやきながら、のんびりゆったり構えている。

で、そうこうやっているうちに、多分これ、左大臣が退室した後のタイミングだと思うんですけど、誰かが、「そういえば今夜、宮中からこの左大臣邸の方角は方塞がりでした」と言い出す。

これ一体何の話してるかって言いますと、「方塞がり」とか「方違え」っていう概念が、当時はあったんですよ。中国から輸入した陰陽道の中の考え方なんですけど、この世界にはたくさんの神様がいるっていう前提が、まずあるんですね。で、その神様の中には、時々天から地上に降りてきて、いろんな方角をうろうろ巡る存在もいるんだ、と考えられている。これは多分、夜空の星の運行に由来するイメージだと思われます。

で、この神様はただ意味もなくうろうろしてるんじゃなくて、縁起の悪い方角を塞いで守ってるんだ、とも考えられていて、だからその期間、その方角には近づかない方がいい、ということになりました。これが「方塞がり」です。方角の「方」に「塞がる」ですね。

とはいえ、社会生活を行うにあたって、特定の方角に五日間近付けません、とか言われても困るじゃないですか。そこが自分の家や職場だったらどうすんの、って話になる。なので、塞がってる方角に進みたいときは、現在地から直線的にそっちへ向かうんじゃなくて、一旦別の方角を経由して、そっちで一泊過ごした後なら構いませんよ、という仕組みになっていた。これを「方違え」と言います。方角の「方」に「違う」ですね。

こういう考え方が、当時の人々にどこまで本気で信じられていたかってことに関しては結構微妙で、古典文学を読んでいると、自分が特定の誰かに会いたくない時に、方塞がりを都合のいい言い訳として使っている場面をしばしば目にします。

今回の光源氏も、宮中から左大臣邸に来るのは方角的によくないですよって言われた後、めちゃくちゃ面倒くさそうにしてるんですよね。二条院っていう、光源氏のお母さんがかつて住んでいて、今は彼自身の家になっている邸宅があるんですけど、そっちも方角一緒だから、もう行く所ないじゃん、ってことで、そのまま寝ちゃおうとする。

それに対して、左大臣邸の人々は結構しっかり咎めるんですね。「いとあしきことなり」と書いてある。

で、どうすることになったかっていうと、左大臣家に親しく出入りしている紀伊守が中川っていう水辺のあたりに涼しい邸宅を持ってるから、そこへ方違したらどうですか、って話になった。

これ、いろいろ意味わかんないと思うんですけど、まず前提として、受領階級とかそれ以下の人々が、公卿やってるような名門貴族の傘下に入って目をかけてもらう、っていう関係性が当時はあったんですよね。今回でいえば紀伊守、つまり今の和歌山県あたりを担当している受領が、左大臣家の世話になっている。多分、除目の人事異動とかで融通してもらう代わりに、色々下働きを担ったり、お金かけて接待したりしているのでしょう。

その紀伊守が、中川、という川のあたりに家を持ってるらしくって、そこの水を庭に引き込んでいると。暑さにうんざりしてた光源氏にとって、水辺の涼しさはおあつらえ向きですから、そいつは丁度いい、今夜はそこへ行こう、ということになりました。

実際のところ、光源氏ってその気になれば、他にも行くところはあったんですよ。でもそれって、自分の実家でもなく、左大臣家でもないってことだから、つまりは、他の女性の家なんですよね。恋人としてこっそり通ってる相手の家なら、多分いくつか候補がある。だけどそんなところへ行ったと知れたら左大臣家の人たちも気分悪いはずだから、今回は憚られる、という話です。

でも、じゃあ、紀伊守の家に向かうことが左大臣家や葵上に対して誠実な行いだったのかと言うと、そこは結構微妙なところなんですよね。一体どういうことか。本文続きを読んでみましょう。

そもそも、紀伊守の側は光源氏みたいな身分高い人が急に泊まりに来ることになって大丈夫なのか、って話があるじゃないですか。でもまぁ、嫌だなぁとか都合悪いなぁって、仮に思っていたとしても、断れないんですよね、力関係的に。だからもちろん、光源氏からの申し出を彼は引き受けるんですけど、話終わった後、裏でぶつぶつ言ってる声が聞こえてくる。

曰く、今日は元々、先客がいるって言うんですね。彼のお父さんの家の女性たちが、故あって今、紀伊守の邸宅にやってきてるらしいんですよ。ここの事情は正直よくわかりません。「つつしむことはべりて」と本文には書いていますので、何かしら、当時の風習や陰陽道的に憚らなければならないことがあって、女性は家から出る必要があったらしい。

なんにせよ、今晩紀伊守邸では、二組の客がバッティングすることになるわけで、これ、シンプルに狭いですよね、家が。特に、光源氏みたいな高貴な存在をおもてなししなきゃならないってなった時、こんな手狭な状況で失礼にあたらないだろうか、ということを紀伊守は案じている。

ところが、彼がそういう心配をしていると知った光源氏は、かえって喜びます。「その人近からむなむうれしかるべき。女遠き旅寝はもの恐ろしき心地すべきを、ただその几帳の背後に」と書いてあって、人が近くにいる方が嬉しい、旅先で女っ気のない夜を過ごすのは恐ろしい心地がするから、几帳越しに、その女性たちの近くで眠りたい、と光源氏は言う。何を気色悪いこと言ってるんだこいつって話なんですけど、この発言の裏にある真意については、もう少し先まで読んでから説明しましょう。

兎にも角にも、光源氏は左大臣家から紀伊守邸へ移ることになりました。ちなみにこれ、左大臣には伝えずに出ていってます。なんだか、やましい感じがしますね。

で、いざ現地に行ってみると、紀伊守家の人々はまぁそこそこ迷惑そうな顔してるわけですよ。そりゃそうだよね。でも光源氏御一行はそんなの無視してずかずか中に入っていく。

評判通り、邸宅の庭は結構いい感じでした。風情ある感じで水が引かれていて、風も涼しいし、垣根とか植え込みも工夫を凝らしてある。どこからともなく虫の音が響いてきて、おまけに蛍まで飛んでいた。

こりゃあいいやということで、光源氏のお供でついてきた人々は、水辺の近くの涼しそうなところに陣取って酒盛りを始めます。

一方光源氏は、ゆったりとあたりを見回した後、「かの中の品にとり出でて言ひし、この並ならむかし」なんてことを考えていた。

これどういうことかって言いますと、以前お話しした雨夜の品定めの下りで、光源氏以外の男性陣が中の品の女性の話をしてたじゃないですか。受領階級の中流貴族っていうのは財産を溜め込んでるから、娘の養育にもお金がかかってる、みたいな、あれね。

あれを思い出した光源氏は、なるほど、これが裕福な中の品の邸宅かぁって、のんびり思った。

そんな彼は次に、「思ひあがれる気色に聞きおきたまへるむすめなれば、ゆかしくて、耳とどめたまへる」と動きます。

これ結構衝撃的なことを言っていて、気位高く構えている様子だと聞いていた娘だから、どんな人か気になって耳を澄ましてみた、って書いてあるんですよ。

ここで言っている娘というのは、光源氏御一行とバッティングしてしまった、紀伊守のお父さんのところの女性陣を指します。だから、耳を澄まして様子を伺ってみようって話になってるわけですが、この中の一人が「気位高く構えている」らしいことを、光源氏は事前に知っていたという。

あれ? ってなりますよね、ここ。なんでそんなこと光源氏が知ってんの? ってところが、我々読者にはわからない。これ。もう少し後まで読むと種明かしされるんですが、先に理解しておいた方が便利なので、少し時間を取って、説明してみましょう。

新しい人物を一人覚えてください。中納言兼衛門督って身分の貴族です。中納言は公卿の位ですし、衛門督は衛門府の長官ですから、まぁそこそこの身分ですね。少なくとも、単なる受領階級は遥かに凌駕している。

そんな彼には、大切に養育していた娘があって、この子をいつか桐壺帝に宮仕えさせたい、と、打診してきたことがあったらしい。桐壺帝っていうのは、光源氏のお父さんですね。けれど結局、中納言兼衛門督は死んじゃうんですよ。だから娘が宮仕えする件は立ち消えになり、彼女は帝じゃなく、伊予介っていう受領階級の中流貴族の妻となりました。しかも後妻です。

後妻っていうのは、もともとの妻と死別、あるいは離縁した男の新たな妻となった女性ですね。だから伊予介は、死んだ衛門督の娘を娶ったタイミングで既にもう高齢でした。つまりこれ、どういうことかっていうと、父親が死んだ後、生活に困ったから、とりあえず財政的には余裕があるはずの受領階級へ身を寄せたって流れなんですよ。そしてこの伊予介っていうのが、今回話題になっている紀伊守の父親だったんです。

人間関係、大丈夫でしょうか。改めて、逆の流れで整理し直してみましょう。

今光源氏たちがやってきている邸宅は、紀伊守という人物のものです。ここには今、彼の父親である伊予介の家から女性たちが訪ねてきている。その中には伊予介の後妻も含まれていて、彼女は死んだ中納言兼衛門督の娘だった。衛門督は生前、いつか娘を宮仕えさせたい旨を桐壺帝に打診していたため、父である桐壺帝から伝え聞いて、光源氏はそういう憐れな姫君の存在を知っていた。

だから、光源氏って、最初から彼女を目当てにして紀伊守邸を訪れてるんですよ。ただし、これが偶然掴んだチャンスだったのか、もっと周到な作戦に基づくものだったのかは議論が分かれるところです。

どういうことかっていうと、紀伊守邸に伊予介の後妻が来ていることを、光源氏は最初っから知ってたんじゃないか、と主張する研究者もいるわけなんですよね。

雨夜の品定めによって中流階級の女性に興味を抱いていた光源氏は、そういえば、左大臣家の配下である紀伊守のところに、ちょうどいい姫君が滞在してるらしいな、自分が方違を面倒くさがってウダウダしてたら、誰かが紀伊守邸へ向かうことを提案してくれるんじゃないか? そうしたら、自然な流れで例の姫君とお近づきになれるぞ。と、ここまで考えて行動してたんじゃないか? って推しはかる意見もあるわけです。さてさて、みなさんはどう思われるでしょうか。

まぁそこまで裏を勘ぐらないにしても、紀伊守から先客の存在を聞いた瞬間には、遅くとも彼女のことを思い出していたはずで、そのことが例の「旅先で女っ気のない夜を過ごすのは恐ろしい心地がするから、几帳越しに、その女性たちの近くで眠りたい」って発言につながっているんですよね。

で、いざ実際に聞き耳を立ててみると、仕切りの向こう側から女性たちの声がする。あっちはあっちで光源氏御一行の来訪を知ってるから、笑い声ひとつあげるにしても、声を抑えたよそ行きな感じです。光源氏としてはもっと詳しい様子が知りたいんだけど、覗き込む隙間すらないから、ただただ耳を澄ますしかない。

するとどうやら女性たちは、光源氏について噂話をしてるらしかったんですね。たとえば、「いたって真面目で、まだお若いのに身分の高い伴侶がお決まりだなんて、つまらないですわね」みたいなことを言っている。世間一般の光源氏に対する認識って、こんな感じなんですよ。めちゃくちゃ魅力的な貴公子なのに、真面目でお堅くて、元服した直後から左大臣家の娘が連れ添ってるから、面白くないね、という評価に一応なっている。

でも、彼の実態はそうじゃないわけですから、その点に関する噂を耳にしている人もいて、「だけど、しかるべき忍びどころには、うまく隠れて通っているようですよ」という声も、仕切り越しに聞こえてくる。

ここでね、光源氏はドキッとするんですよ。胸が潰れたって本文中には書いていますから、めちゃくちゃ本気で心配してることがわかる。つまり、それだけ重大な、やましい秘密が彼にはあるんだって話なんですけど、これどういうことかっていうと、実はこの時期、光源氏って既に藤壺と関係を持ってるんですよね。

えー!?ってなるでしょ、これ。特に、源氏物語について調べたことがなくて、頭から順番に本文を読んでいるだけの人ほど驚愕する。

藤壺っていうのは、光源氏の実母である桐壺の更衣と顔がそっくりなことで知られる内親王であり、更衣の死後、桐壺帝がもっとも寵愛している女御であり、光源氏にとって、幼い頃からずっと憧れの存在だった女性です。

その藤壺さんと光源氏が、いつの間にか関係を持っていたと。え、そんな大事な場面、明記せずに省略したの? って疑問が当然湧くわけで、桐壺と帚木の間に、藤壺関連の内容が描かれた物語がもともとは存在していたんじゃないか、と考える研究者もいます。

だからまぁ、そういう本文が実在したかどうかについてはなんとも言えないところですが、少なくとも設定上、二人の間にそういう事件が発生していたことは恐らく事実でして、それが明るみに出てしまうことを、光源氏は切に恐れてるんですよ。

そりゃそうですよね。相手は義理の母親だし、父親は帝だし、藤壺自身も皇族だし、光源氏は左大臣家の婿だし、どう考えたって世間にバレていいスキャンダルではない。

けれどどうやら、伊予介のところの女性陣が話題にしているのは、全然別の恋愛に関する噂らしかった。

式部卿っていう、桐壺帝の弟に当たる男性がいるんですけど、その人の娘に対して、光源氏がアプローチをかけたことがあったんですね。つまり、自分のイトコに当たる皇族の姫君に、恋を仕掛けたことになる。そのとき、光源氏は朝顔の花を添えて和歌を送ったんですけど、どうやら歌の内容が世間に流通してしまったらしく、そのことについて、仕切りの向こうの女性たちはやいのやいの言ってるんですよ。

ほっとした光源氏は、途中で聞き耳立てるのをやめて、この女たちは品のない、しょーもない連中だな、と結論づける。多分彼女たちは伊予介の後妻に仕えている女房たちなんですけど、これでは主人の人柄もたかが知れるな、一時は宮仕えを考えていた姫君だということだったけれど、いざ実際に逢ってみたらやはりがっかりするかもしれない。と、いうようなことを、彼は考えた。

ここは結構重要な判断でして、もしこのとき光源氏が、この女房たちはなかなか立派な連中だ、こんな女性たちの主人に当たる姫君となれば、上流貴族の娘にも劣るまい、みたいに思ってたとしたら、このあとの展開は全然違ったものになっていたはずなんですよ。けれど、実際に光源氏が抱いたのは軽蔑の念だった。そこから生まれる行動は、相手を軽んじたものにならざるを得ません。

やがて、家の主人である紀伊守が接待のためにやってきます。すると光源氏は、「とばり帳」の用意はどうなっているのか? と問うた上で、「そこが不十分では、興醒めな接待であろう」と告げました。

これどういうことかっていいますと、「とばり帳」の用意はどうか? って問いは、直訳すると、寝室の準備はどうなっているのか、くらいの意味なんですよね。で、実は、このフレーズって、とある催馬楽からの引用になっていて、それがですね、家の主人が客人に、女性による性的な接待を提案するって内容の歌なんですよね。だから、そのワンフレーズを引用することによって、光源氏は自分の要望を伝えていることになる。そんな下品な歌があるのかよってびっくりする人いるかもしれませんけど、催馬楽っていうのは宴の席で楽しまれた流行歌なので、あるんですよ、そういうちょっと下世話な感じの作品もね。

で、それに対して紀伊守は、自分も光源氏と同じ催馬楽から別のフレーズを引用しながら、「何がお気に召しますやら、わかりかねまして」と返します。ここは微妙なところです。

同じ催馬楽を引用するっていうことは、光源氏の言わんとするところを私は理解しましたよってことを示すアンサーになります。一見するとはぐらかして躱そうとしているようにも読めるんだけど、本気で拒むんなら、催馬楽の引用に気づかないフリをした方が有効だったはずですから、このときの紀伊守の返答は、暗に、光源氏の要望を受け入れたようにも思われる。

しかし一方で、光源氏の発言が表面上はただの冗談で、紀伊守はその冗談に理解を示すような返事を返しただけだ、と解釈することもできますので、諸々全部ひっくるめて、なんとも微妙なやり取りです。つまり、ここのくだりをめちゃくちゃ軽やかな、平安男子ジョークの応酬くらいに捉えることもできるし、もうちょっと腹黒い、権力者側である光源氏の思惑と、それを拒んでいるのか受け入れているのか測りかねるような絶妙な応答、と理解することもできる。

これって結構大事なところなんですよ。だって、この問題をどう解釈するかによって、ストーリー全体のトーンが変わってくるじゃないですか。つまり、物語としての明るさとか、光源氏という主人公像の爽やかさがね、結構大きく左右されてしまう。だから私も、この辺りの語りかたは悩むんですけど、さてさて、みなさんはどう解釈されるでしょうか。

では、そろそろ話を本文に戻しましょう。紀伊守との際どいやりとりをひとしきり繰り広げた後、光源氏はふと、子どもたちの存在に目を向けます。家のどこかにいるのが偶然目に入ったのか、紀伊守がわざわざ引き連れてきたのか、ちょっとよくわかりませんが、とにかく光源氏は、やたら物腰の上品な男の子を一人見つけて、この子は一体誰の子だ? と問う。

紀伊守曰く、それは死んだ衛門督の息子でした。つまり、伊予介の後妻となった姫君の弟です。大層可愛がって育てられていた息子なんですが、幼くして父を亡くしてしまったため、姉と一緒に引き取られたのです、と。学問もよくできる、見込みある少年だから、殿上童にしてやりたいと望んでおりますが、そう簡単なことでもないようです。みたいなことを、紀伊守は説明しました。

殿上童というのは、まだ成人年齢に達していないにもかかわらず、顔見せのために殿上の間に登る貴族の子息を指します。これを動詞化して童殿上と言ったりもしますね。「わらわ」っていうのは、児童生徒の童、わらべ歌の「童」って字を書きます。で、殿上の間というのは、あれね、公卿とか殿上人とか呼ばれる、上流貴族しか入ることが許されないエリアね。そこにちっちゃい子供を登らせるって一体どういうことかといいますと、次の世代に向けた人脈作りをしてるわけですよ。身分高い家の奴らで一族の子供をお互いに紹介しあって、うちの子が成人したらよろしくね、みたいなことをってやっている。つまりこれ、既存の権力関係を維持したり再生産したりするための仕組みなんですよね。

で、今回光源氏たちが話題にしているのは、中納言だった父親が死んでしまった少年であると。もし親父が生きていたら、彼は公卿の息子として、当たり前のように童殿上して、有力貴族たちの人間関係の輪の中に入っていけたことでしょう。育ちがいい子で、能力的にも見込みがある。今だって、殿上童として上手くコネとかツテを作れたら、零落した状況を抜け出すような出世が望めるかもしれない。けれど根本的な問題として、今となってはその童殿上そのものが難しいわけですよ。参入障壁が高い。コネやツテを作るためのコネやツテが必要になってしまっている。貴族社会の権力構造を象徴するような、切ない話です。

これには光源氏も胸を痛めたらしく、「あわれのことや」と述べています。心揺らされる、不憫な話だっていうんですね。で、ちょうどいい話の流れだから、彼はそのまま、気になっていた姫君について尋ねます。この男の子の姉が、紀伊守の新しい母親というわけか、とね。

当然、紀伊守は肯定するわけですが、それに対して光源氏は「似げなき親をもうけたりけるかな」と返します。似合わない親を持ったものだな、みたいな感じです。まぁ、確かにそうですよね。もとは帝に宮仕えしようかと考えていたような女性が、突然年配の受領に嫁いで、自分と同世代の息子の義理の母親になっているわけですから。そりゃ確かに、歪な状況ではある。

光源氏はそういう、桐壺帝から伝え聞いていた事情なんかも引き合いに出しながら「世の中っていうのは、どうなるかわからんものだな」と、やたら大人ぶったコメントを述べました。

それに同調する紀伊守は、「中についても、女の宿世はいと浮かびたるなむあはれにはべる」と返します。中でも特に、女性の運命というのは、浮き草のように不安定で憐れだって言うんですね。

こういうセリフを、女性本人じゃなく、男たちが勝手に言ってるところが、今回重要なところです。長い前振りとして機能してるんですよ、これが。雨夜の品定めで出てきた言説も含めて、当時、とある立場や境遇にあった女性が、男たちからどんな眼差しを向けられていたかってことが、多分すごく大事で。そうやって勝手に憐れまれたり、下心のある好奇心を向けられたりしている女性が、それを自覚したり内面化したりしながら、一人の人間としてどう生きているのかってことを、これから私たちは読んでいく。

「伊予介はかしづくや」と、光源氏は問います。若くて生まれのいい後妻を手に入れた伊予介は、さぞありがたがって大事にしているだろうな、と言うわけですね。

実際どうやら、伊予介は彼女のことを相当丁重に扱っているらしく、父は彼女のことをまるで主君と思っているようですとまで、紀伊守は評します。いい歳した親父がそうやって女性をちやほやすることに対して、自分たちは不服だ、とも彼は言う。

一見するとこの批判は、老いてもなお好色な父親に対する意見として真っ当なようにも思われますが、ここで光源氏は鋭く、「だからといって、年齢的に相応しい君たちに下げ渡してくれるわけでもあるまい。彼はなかなか嗜みがあって、歳の割に気取っているからね」と返します。つまり、父親に文句言ってる紀伊守自身が実は、年若い義理の母のことを狙ってるんじゃないかってことを、看破してるわけですねー、光源氏は。だからと言って、まだまだ若いつもりでいる伊予介が自分の妻を息子に譲ってくれるはずもあるまいよ、と彼は言う。

これ別に、光源氏は相手のことを責めてるわけじゃなくて、このあたりのやり取りって多分全部、当時の男性にとって当たり前の人情をからかってるだけなんですよね。

受領クラスの年配男性が、自分より家柄のいい若い後妻さんを手に入れたら張り切ってちやほやするでしょうねっていうのも当たり前の感覚だし、歳の近い義理の母ができたら、親父じゃなくて自分の方が相応しいんじゃないかって気持ちになるのもまぁ、わからん話ではない、と。そして、それらをからかう光源氏自身もまた、単なる好奇心から、彼女のことを狙っているわけですね。

で、ひとしきり話した後、光源氏は結構ストレートに、「いづ方にぞ」と尋ねます。彼女は今、屋敷の中のどこにいるのか? ってことですね。これに対する紀伊守の返答がまた微妙で、彼なんて答えるかっていうと、「女性陣はみんな、下々の者が住む別の建物に移しましたが、彼女は退出できていないでしょうか」みたいなことを言うんですよね。これがまた結構ややこしい。

今夜、一つの邸宅に二組の客がブッキングしてしまったわけですけど、当然光源氏の方が優先すべき相手だから、先約だった身内の女性陣は、粗末な建物の方に移らせることになった。けれど、多分スペースの都合で、完全に全員を移すことはできなくて、今話題にあがっている後妻の女性は、光源氏の滞在スペースの近くにまだ居残ってるんですね。

この状況って、考えようによっては紀伊守のホストとしての不手際ですから、言い訳的なニュアンスで、いやー、身内は全員退出させたはずなんですけど、もしかしたら全員は無理だったかもしれませんねー、彼女もまだそのあたりにいるかもしれません、って言っているのかもしれない。

あるいは、もうちょっと裏を勘ぐるなら、紀伊守は光源氏が彼女を狙っていることを重々承知していて、ちょっと探せばまだ近くにいるはずですよってことを遠回しに伝えている可能性もあります。

いずれにせよ、あぁ、彼女は案外近くにいるのかもしれないなってことを理解した状態で、光源氏は就寝時間を迎えました。酒飲んでたお供の連中も寝静まってね、屋敷全体が静まっていく中で、光源氏の目は逆に冴えていく。一人で黙って寝るつもりなんてないわけですよ。どうにかして、例の女性とお近づきになりたい。

自分が今いる部屋の北側から人の気配がするなってことに気づいた光源氏は、あの憐れな女の隠れ場所はあそこか、と推測して、耳を澄まします。

すると男の子の声が聞こえてくる。さっき紀伊守から紹介された、彼女の弟の声です。彼はどうやら、暗がりの中で姉を探しているようでした。すると、寝ぼけたような気の緩んだ声が、ここですよ、と答えた。

これ不運ですよね。彼女は弟の質問に答えただけなんですけど、それが結果として、光源氏に自分の位置を知らせてしまっている。彼女の弟ってまだ幼くて変声期前だから、姉妹の声はよく似ていたらしいんですよ。そこでもう、光源氏は確信するわけですね。

彼女もどうやら光源氏のことは気になっていた様子で、お客様はもうお休みになりましたか、とと尋ねました。それに対して弟は、「もうお休みになりました。噂に聞くお姿を拝見しましたが、本当にご立派でしたよ」と、アイドルに出会った一般人みたいな報告を返します。

まぁ実際、光源氏ってそういう立ち位置なんですよね、世間一般的には。もう一目でもいいからお姿拝見したい! って感じのアイドルとして認識されている。

だから姉の方も「もし昼間だったら、私もこっそり覗き見申し上げるのだけど」って一応言うんですが、その言い方が面白くて、彼女めっちゃ眠そうなんですよ。

もしこれが、もっとミーハーで、光源氏に強く興味がある女性なら、実際顔を合わせた弟に対して、根掘り葉掘りいろいろ聞くはずなんですよね、興奮して。でも彼女はそうじゃない。それより、お客さんが近くの部屋にいたら気を使うなぁとか、今日は気疲れして眠たいなぁとかの方が大きいんですよ。

ここが面白いですね。ザ、源氏物語のヒロインって感じです。光源氏ってある意味では気の毒な人で、藤壺にしても葵上にしても、彼が密接な関係を持つ女性たちって、別に最初は光源氏のこと大して好きじゃないんですよね。むしろちょっと迷惑がってたり、敬遠してたりする。世間一般にはアイドル扱いされてるのに、直接交流する相手とは一筋縄ではいかないってところが、彼の主人公らしいところです。

今回のヒロインも同じで、世間並みの興味関心は持っているけれど、そこまで熱烈な思いを光源氏に向けているわけではない。彼はそのことにがっかりしたらしくって、姉弟の会話を盗み聞きしながら、なんだよ、もっと私に興味持ってくれよって不満がっていますね。

で、弟と一緒に寝直そうとする彼女なんですが、意識を手放す前に「中将の君はいづくにぞ」という問いを口にしています。この「中将の君」というのは、どうやら彼女に仕えている女房の呼び名のようでした。女房の呼び名ってちょっと特殊で、男性社会の官職名を持ってきてそれを女性の通称として使うんですよね。清少納言とか紫式部の「少納言」とか「式部」とかも親族の男性の官職名です。

で、今回彼女が探している中将の君って女房は、多分一番身近で世話してくれてる、信頼のおける相手なんでしょうね。彼女が用事のために席を外していることを不安がりながら、姉弟は眠りに落ちていきます。

そういう声も全部聴いていた光源氏は、これめっちゃチャンスやんけ、と思う。いや、ごめんなさい。本文にはそんなこと書いてないんですけど、多分そう思ったであろうことが予想される。なぜなら、そばで主人を守るはずの女房が今なら不在であることを彼は知ったからです。

いよいよ行動を開始します。光源氏の居場所から向こうへ入っていくためには、仕切りになっている襖の鍵を開けなきゃいけないんですが、なんとこれがあいていた。セキュリティとしてあまりに甘いため、ここも解釈が分かれるところです。ストーリー上のご都合主義として、本当にただ偶然鍵を閉め忘れていたと取ることもできるし、ホストである紀伊守が、光源氏の行動を全部承知の上で開けていたんだとする説もあるし、注釈書によっては、女性の側が無意識的に光源氏のことを受け入れようとしていたんじゃないのかって書いているものもありますけど、それはどうかなぁ。

いずれにせよ、これ幸いとばかりに関門を突破した光源氏は、するする侵入していきます。当然物音や振動をゼロにはできませんから、彼女の方もうっすら目を覚ましてうるさそうにするんですけど、頭まで布団かぶって寝てますから様子は見えませんし、多分席を外してた女房が戻ってきたんだろう、くらいに思っていました。

ところが実際は光源氏がいるわけでしょ。ここから先の彼って、ほんとにもうひどい口八丁手八丁を展開するわけなんですけど、まず最初に何言うかっていうと、「中将召しつればなむ。人し知れぬ思ひのしるしある心地して」ってのたまうんですよ。

これどういうことかっていいますと、彼女さっき、中将の君って呼び名の女房を探していたでしょう。で、偶然なことに、今現在の光源氏って官職が中将だったんですよね。だからそれにかこつけて、「中将をお呼びになったものですから、こうして参上しました。人知れず、あなたをお慕いしていた甲斐があったかと、嬉しく思いまして」とかなんとか言ってるんですよ、これ。嘘ですけどね、当然。人知れずお慕い申し上げておりました、みたいに言ってますけど、ただの思いつきですからね、彼女に手を出してるのは。

ここ女性の側のリアクションも面白くって、光源氏は一言目からすでに口説きにかかってるわけなんですけど、彼女の方はパニック起こしてるからもうどうでもいいんですよそんなこと。当たり前ですよね。とにかく何かヤバい存在に襲われてるんじゃないかと思って、悲鳴をあげようとする。

一方の光源氏としては、ここで彼女に大騒ぎされちゃ困るわけですから、一生懸命言葉を尽くしてなだめすかしにかかります。

突然のことを、浅はかな思いつきでの行動だと思われてしまうのはものの道理です。と、彼はまず言う。そうだよね、びっくりしますよね、ただ衝動的に襲いかかってきたみたいに思いますよね、って言った後、だけど違うんですよー、と彼は続ける。

そうじゃなくって私は、長年お慕いしてきた心のうちをわかっていただこうと思って、今夜行動を起こしたんです。直接お会いできるチャンスをこうしてずっとお待ちしていたことこそが、浅からぬ思いの証拠とご理解いただけませんか。みたいなことを、物腰やわらかーく彼は述べる。

こういうときの光源氏って、ちょっと現実離れした魔性の魅力があるみたいなんですよね。本文の描写も凄くって、「鬼神も荒だつまじきけはひ」と書いています。荒ぶる神をもなだめるほどのご様子だって言うんですね。

だから、話を聞いているうちに、あ、こいつ光源氏だ、って気づいた女性の側も、手荒く突っぱねたり大騒ぎしたりできなくなっちゃうんですよ。逃れることを諦める。だけど当然、この後我が身に起こることを思うとやるせないし、あってはならないことだと思うから、精一杯の抵抗として、「お人違いでございましょう」と告げました。

その弱々しい姿が、光源氏には刺さったらしくって、「消えまどへる気色 いと心苦しくらうたげなれば、をかしと見たまひて」と書いてあります。直接会う前の、彼女の境遇だけを知っていた頃は、ただひたすら「あはれ」だと感じていたんだけど、今は「らうたげ」で「をかし」な女性になったって言うんですよ。罪悪感も抱きつつ、恋の対象として、本格的に魅力を感じ始めているんですね。

で、さらなる口説き文句として彼何を言うかっていいますと、まずね、人違いなんてするはずがありません、って、断言するんですよ。なぜなら、自分は真実の恋心に導かれているから。笑っちゃうでしょ、嘘すぎて。でもまぁ、こういうのは堂々と貫くのが大事なんでしょうね。むしろ、人違いでしょ、みたいにとぼけているそっちの態度のほうが心外だ、と彼は言う。こっちは真剣なんだから、まっすぐ受け止めてくださいってことですね。

加えて彼は、「すきがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ」と告げました。色好みめいた姿は決してお見せしません。ただ、思いの丈を少しお伝えしたいだけなのです。みたいな感じですね。要するに、性的な関係を迫ったりはしないから安心してください、ってメッセージなんですけど、まぁ当然これも嘘ですね。ただの常套句です。

で、ここまで言ったところで、光源氏はとうとう、彼女をひょいっと抱き上げてしまう。凄く小柄なんですよ、今回のヒロインって。だから有無を言わさず抱き抱えて、自分の寝室まで運ぼうとするんだけど、このタイミングで、席を外していた中将の君が戻ってきてしまう。

憶えてますか、中将の君。今回のヒロインのお世話をしている女房ですね。当然彼女は、自分の主人を守るのが仕事です。大ピンチじゃないですか。暗闇の中、知らないうちに男が入り込んできてるわけですからね。ところが彼女は、この不審な状況に対して、とっさに行動が起こすことができない。なぜか。

めっちゃいい匂いがしたからです。意味わかりますか? めっちゃいい匂いがしたから、彼女は何もできなかった。

平安貴族社会ってお香文化だから、衣服にもしっかり香りがついていて、近づくとわかるんですよ。そして、高貴で魅力的な人物ほど、いい匂いがすると相場が決まっている。美しい人は匂いからして美しいんです。だから、光源氏みたいな超絶貴公子が目の前にいたら、匂いですぐわかる。

中将の君もわかったんですよ。うわ、これ、今、あの有名な光源氏様が、私のご主人様を連れて行こうとしてるんだ、って、瞬時に気づいて驚愕した。これもう、どうしようもないな、って、彼女は思う。

普通の男が犯人だったら、何してるんですか! って言って乱暴に引き剥がすこともできるけど、そういうケースですら、大ごとになってしまったら主人にとっては恥を晒すことになるわけで、対応が難しい。まして相手が帝の息子ともなれば、手出しのしようなんてないわけですよ。

だから彼女、やばいやばいって焦りながら、ただひたすら、とりあえず光源氏のあとについていくんですよ。だけど光源氏の方は泰然としたもんで、彼女にできることなんて何もないとわかってるから、お構いなしに寝室へ入って行って、「朝になったらお迎えに来なさい」とだけ命じて、襖を閉めてしまいました。ぴしゃりとした、有無を言わさぬ感じがあります。

一方、連れてこられたヒロインはこの時何を考えてたかって言いますと、「この人の思ふらむことさへ死ぬばかりわりなき」と思って、だらだら冷や汗を流していた。

ここは文法的に面白いですね。「らむ」は現在推量です。述語の「思ふ」が敬語じゃないから、主語の「この人」は女房の方の中将の君だとわかる。つまり、自分が光源氏に抱かれて寝室へ入っていく様子を見た中将の君が、今何を考えているかって想像すると死ぬほど辛い。

これ、ちょっと解説が必要だと思うんですけど、彼女としては、今のこの状況が、自分で望んだものだと思われることが一番心外なんですよ。つまり、女房が席を外している瞬間をわざと狙ってね、自分が光源氏を手引きして、進んで関係を持とうとしてるんじゃないか、みたいに判断されるのが一番辛い。

しかも、副助詞「さへ」がくっついていますから、これはプラスアルファの辛さなんですよ。ただでさえ、光源氏に突然攫われて辛いのに、おまけに、自分の女房にまで変な誤解をされたんじゃないかって思うと死ぬほど辛い。

そういう様子を見てとった光源氏は、彼女のことを気の毒に思う。気の毒に思うんだけど、もちろん解放してあげるつもりはないから、今までの女性経験の中で培ってきた口説き文句っていうのを、つらつらつらつら並べ立てていきます。全部嘘なのに、こんな上手な言葉がどっから湧いてくるんだって感じの台詞をね、たくさん重ねるんですよ。しかも、嘘だとわかっていても絆されてしまうくらい、感情を込めた優しい口ぶりを何度も何度も繰り返す。

そんな光源氏に対して彼女は、彼女のヒロイン像を象徴するような、とても印象的な台詞を口にします。

「数ならぬ身ながらも、思しくだしける御心ばへのほども いかが浅くは思うたまへざらむ。いとかようなる際は際とこそはべ(ん)なれ。」

これ凄く切ない台詞でね、何言ってるかっていいますと、私はものの数にも入らないような低い身分です、ってことをまず認めるんですよ。だけど、そんな私だけど、あなたが私のことを見下していらっしゃるってことはちゃんとわかるし、どれだけ言葉を飾ったところで、その奥に隠されたあなたの気持ちが、浅はかな、ほんの気まぐれに過ぎないってことも重々わかってます、って言うんですよ。だって、今の私みたいな、こんな身分の女は、しょせんその程度の扱いしかされない立場なんだって、世の中では言うでしょう? と。

これがね、ほんとに、泣けるくらい切ない。彼女にこれを言わせるために、なっがいなっがい雨夜の品定めのくだりがあるんですよ。彼女みたいな立場の女性に対して、男たちが一体何を考えて、どんな好き勝手なことを口にしているか、さんざん描いてきた上で、それを全部自覚して、内面化している女性として、彼女を描いている。

光源氏が今やってることだって、やっぱり乱暴なんですよ。言葉だけ見れば、さも昔から、真剣に慕っているように口説いてますけど、行動を見れば彼の本音がわかる。どうせ抵抗できまいって馬鹿にしてるから、こんな無理強いするんでしょ、私が高貴な姫君なら、こんな扱いしなかったでしょ? ってことを、彼女は最初っから痛いほどわかってるんですよ。なぜなら彼女には、高貴な姫君だった過去があるからです。

この苦しさが、若くて未熟な光源氏にはわかんないんですよ。彼はできると思ってる。貴族社会における身分差と、自分の恋愛経験があれば、男同士で女を語る下世話な冗談の延長線上で彼女をモノにできるって軽々しく考えていた。自分の振る舞いが、彼女の目の前にどれほど鋭く、グロテスクな現実を突きつけることになるのかが、全然わかっていなかった。だから彼は、ことここに及んでも、聞くに虚しい口説き文句をさらに重ねることしかできない。

私にとってこれは、あなたが気にする、その身分どうこうという問題すらまだ知らない、初めての恋なのです。と彼は言う。それを世間一般の浮気な色恋として同列に扱うだなんて、ひどいことではありませんか。私のことは、これまでに自然とお耳に入っていたでしょう。でしたらご存知の通り、こんな風に自分を抑えられず、強引に関係を持つようなことは、今までまったくありませんでした。つまり、あなたは特別な相手なんです、ということを彼は訴える。なるほど確かに、あなたからこうして冷たくあしらわれるのも当然の振る舞いだってことは自覚しています。ですが、なぜこれほどまで心乱れるのか私にもわかりません。これこそ、二人の運命ではないでしょうか、とね。

そんな感じのことを色々と誠実そうに語るんだけど、彼女の心はもう別のところにあって、彼女このとき何考えてるかって言いますと、あぁ、光源氏様って、本当に類稀な美しさなんだなぁ、
って思ってるんですよ。そして、私みたいな女が、こんな美しい若者に肌を許したら、きっと、一層惨めな気持ちになるだろうなぁってことを、考えている。

こういう引き裂かれるような悲しみを、彼女はずっと抱え続けます。光源氏が魅力的な男性であることは、極めて絶対的で、否定の余地がないんですよ。だから彼女も、そこに心惹かれないわけではない。だけど光源氏が高貴で魅力的な貴公子であればあるほど、コントラストがはっきりして、今の自分の惨めな境遇が際立ってしまう。

もっとはっきり言うならば、この後、自分と光源氏がそういう関係を持ってしまうことは避けられないだろうなってことを、彼女はもう諦めている。その上で、じゃあせめて、自分にコントロールできることはなんだろうかってことが、今の彼女にとっては問題だった。

そこで彼女は決意します。たとえどれほど、強情で意に沿わないやつだって彼に思われたとしても、色恋の相手になんてならない、つまんない女で通そう、と。

ここの描写はとても印象的で、「人がらのたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず。」と書いてある。柔らかい人柄なのに、無理やり強く心を張り詰めているものだから、なよ竹のような感じがして、容易く手折ることができない。という、光源氏の主観を表現しています。彼はそういう風に感じたって言うんですね、彼女のことを。

「なよ竹」っていうのは、柔らかくしなやかな竹のことを指します。しなやかさがあるから、パキッと折ることができない。

この言葉を女性と結びつけた例として最も有名なフレーズは、「なよ竹のかぐや姫」でしょうね。源氏物語は随所に『竹取物語』の影響が見受けられますから、ここの描写においても、彼女とかぐや姫を重ね合わせるような意図があったかもしれません。かぐや姫って、貴公子たちからの求婚を拒み切って、果ては帝のアプローチすら、強情に跳ね除けようとしたヒロインですからね。拒むからこそ引き立つ美しさ、みたいなものを読み取ることもできるでしょう。

だけど同時に、現実世界において、かぐや姫のような生き方なんてできないんだってことも、我々は思い知らされる。ここの描写って逆説的な仕組みになっていて、草花を「折る」って表現は、男性が女性をものにすることの比喩なんですけど、「なよ竹」みたいにしなやかだから折ることができない、って書くことを通して、逆説的に、紆余曲折の末、最後は折れたんだってことを暗示してもいるんですよね。そういう遠回しな表現を、源氏物語はします。

だからここの描写って、基本的には彼女の精神性の話をしているんだけど、同時に、ある種の身体性というか、生々しい感触も仄めかしている、絶妙な文章なんですよね。

で、そうやって光源氏に押し切られた彼女は、彼の強引な振る舞いが心底辛くて涙を流します。光源氏はそんな彼女を憐れに思うんだけど、この機会を逃していたら、きっと後悔していただろう、とも考えている。彼女の魅力を実感してるんですね。で、自分は心惹かれているのに向こうはずっと辛そうだから、ついつい恨み言を口にしてしまう。どうしてそんなに、私を嫌うんですか、と。

こういう思いがけない出会いこそ、前世からの因縁なのだと、運命的に考えてください。男女の仲を知らないわけでもあるまいに、そんな風にとぼけてらっしゃることが私は辛いです。みたいなことを、彼は訴える。

ここらへん、説明の仕方が難しいですけど、男のことを全く知らない少女が、突然のことにショックを受けてるんだったらわかりますよ? だけどあなたはそうじゃないでしょ? って理屈を、光源氏は言ってるんですね、多分。

で、彼の名誉のために、というか、源氏物語が描こうとしているものを繊細に捉えるために、ちょっと補足をするんですけど、今回みたいに、男性側の勝手で無理に女性と関係を持つってことは、まぁ無くはないんですよ、当時の社会において。もちろん褒められたことではなかったと思いますけど、少なくとも現代社会における刑法とか倫理観に照らしたときほどの強いお咎めは、当時受けなかった。

だから本当、この辺りの感覚って微妙で。たとえば今回光源氏は、自身の身分の高さゆえに、己の望みを叶え得たわけですけど、もしこれが世の明るみに出たとしたら、それはやっぱり、ちゃんと醜聞なんですよね。隠すべきことではある。そして女性の側も、たとえそれが光源氏という高貴な相手に無理強いされたことだったとしても、夫ある身でこんなことになってしまったっていう事実は、明確に後ろ暗い、悲しいスキャンダルです。

でも多分、そういうところの是非にばっかり目を向けていたら見落としてしまうことが、彼女の涙の向こうにあるんですよね。光源氏はそれをわかっていない。

「いと かく うき身のほどの定まらぬ ありしながらの身にて、かかる御心ばへを見ましかば」と、彼女は仮定します。「ましかば」っていうのは、反実仮想の表現ですね。もし私が、こんな風になってしまう前の、まだ中納言家の姫君でいられた、あの頃の身で、こうしてあなた様と出会えていたなら、と、彼女は言う。

もしそうなら、分不相応にもうぬぼれて、いつかまた、もう一度、今度はもっと本気で愛してもらえるかしらと、心慰めることもできたでしょう。けれど、現実はこのように、いっときの儚い関係にすぎないことを思いましたら、他の何とも比べようのないほどに、思い惑うのです、と。

やがて彼女は、吹っ切るような声と共に、「今は見きと な かけそ」と告げました。これは古今和歌集に載っている歌からの引用で、私のことはすっぱり忘れて、どうか、口にも出さないでください、くらいのニュアンスですね。こういうところにも彼女の生まれの良さが滲み出ていて、いっそう切ない。

彼女の抱える苦悩について、源氏物語本文は「思へるさまげにいとことわりなり」と評しています。彼女の立場、彼女の境遇なら、こうやって悲しそうにするのも道理だっていうんですね。当然光源氏にも、色々思うところはあったはずですが、彼にできることは、ただ何度も何度も未来の再会を約束をするばかりでした。それがどれほど虚しい慰めかってことはもはや自明だから、本文中にも、具体的な言葉の内容は書かれていません。

そうしてとうとう、朝が来ます。鶏が鳴き、人々が起き出し、さまざまな話し声がざわめきとなって耳に届く。鶏の声っていうのは、古典の中によく登場するモチーフで、男女の別れの合図なんですよね。

だから光源氏は考える。もう二度と、今回みたいな機会はないだろう。彼女を訪ねることも、手紙を送ることも、きっとできない。胸を痛めた光源氏は、なかなか彼女を手放そうとしませんでした。夜通しずーっと待ってた中将の君が辛そうにしてるもんだから、一旦は解放するんだけど、やっぱり名残惜しくて、また引き止めてしまう。けれど鶏の音は止まず、慌ただしく別離を急かします。思い余った光源氏は、涙ながらに歌を詠みました。

「つれなきを 恨みもはてぬ しののめに とりあへぬまで おどろかすらむ」

「しののめ」っていうのは、うっすら明るい夜明けの時間帯を指す言葉です。「とりあへぬ」というのは、取るもの取りあえず、という慌ただしい様に、朝を告げる鶏の「とり」が掛かっています。だから内容としては、「つれないあなたへの恨み言も言い終わらないうちに、空が白んできます。どうして鶏は、忙しなく朝を告げるのでしょうか」みたいな歌だと読める。

こんな風に別れを惜しみながら涙を流す光源氏なんですけど、それに対する彼女の気持ちを描いた文章がまたすごくて、「女、身のありさまを思ふに、いとつきなくまばゆき心地して、めでたき御もてなしも何ともおぼえず」と書いています。

朝が来たせいで、よりはっきり見えてしまうことがあるって話なんですよね。二人っきりの夜が終わり、他の人々の声や生活音が辺りを包むと、いよいよ痛切に、我が身の現実が胸に迫る。日の光の元ですら美しく眩い光源氏と、それに到底釣り合わないみすぼらしい己を改めて実感した彼女は、これほどの男が自分のために泣き、歌を詠んでいるという現状に対しても、まともに心を動かすことができない。

じゃあ今、彼女頭の中で一体何を考えてるかっていいますと、この時ずっと、伊予介のことばっかり考えているんですよ、彼女。自分の夫です。常日頃は愛するに値しない相手だと思って見下してた彼のことばっかりが頭に浮かんで、あの人は今頃、私たちのこの様子を夢に見ているだろうか、とか考えて、怯えてるんですよ。

これも本当、すごい描写だなって、思ってて。だって、彼女の人生が見えるじゃないですか、ここから。ああ、そうやって生きてきたんだなってことがわかる。いつか宮仕する女性としてね、大切にかしづかれていた少女時代ってものが、彼女にもあったわけですよ。でもそれが父の死によって突如終わりを告げて、生活するためにやむを得ず、老いた受領の妻になるんだけど、当然、零落した我が身が辛くないはずはなくって。そんな中彼女は、夫を軽蔑することによって、精一杯心の尊厳を保ってきたって言うんですよね。私は本来、こんな男の妻になるはずじゃなかったって思うことでしか守れないものがあったと。責めれないですよそれは。そうやって心のバランスとりながら、懸命に現実を生きてきたわけでしょう?

そんな彼女の目の前に、光源氏という絶世の貴公子が現れてしまう。これがいかに残酷なことか、我々は頑張って想像したほうがいいね。

「身のうさを 嘆くにあかで 明くる夜は とりかさねてぞ 音もなかれける」

我が身のつらさを嘆き足りないうちに夜は明け、鶏の鳴く声と重なるようにして、私も声を上げて泣いてしまいます。みたいな歌ですね。びっくりする人いるかもしれませんけど、彼女こうやって、ちゃんと歌を返すんですよ、光源氏に。こういうところが本当、アンビバレンツで切ない。もちろん内容は全部恨み言なんだけど、でもちゃんと、掛け言葉を駆使してるし、光源氏の歌に使われたキーワードを流用してるから、アンサーソングとして、手を抜いてはいないんですよ。育ちのいい一人の女性として、男がよこした歌にちゃんと応えている。こういう捨てきれなさが、このヒロインの切なくいじらしいところです。

とうとう部屋から出ていった彼女を、光源氏は入り口まで見送りました。襖が閉まる瞬間、彼はあまりの心細さに、「隔つる関」だな、と思った。これ、和歌でよく使われるフレーズなんですけど、たとえば伊勢物語には、「彦星に 恋はまさりぬ 天の川 隔つる関を 今はやめてよ」という歌が出てきます。心を閉ざし、顔を合わせてくれない女性に対して男が詠んだ歌なんですが、「あなたに対する私の恋心は、織姫を愛する彦星の想いにも負けません。だからどうか、天の川のように二人を隔てるのはやめてください」くらいの意味になっていて、光源氏もまた、この瞬間は同じような気持ちだったのかもしれません。

やがて衣服を整えた光源氏が表に姿を現すと、最後に一目、彼の姿を拝んでおこうとする周囲の視線が集まりました。「身にしむばかり思へるすき心どもあ(ん)めり」とありますから、ミーハーで色好みな女房たちなんかは、体がぞくぞくするような思いでこの美男子を盗み見たらしい。こういう俗っぽさがまたね、光源氏の今の心情と皮肉なコントラストをなしています。

そして、本文はここで、とても印象的な美しい情景描写を挟む。

「月は有明にて 光をさまれるものから、かげ さやかに見えて、なかなかをかしき あけぼのなり。何心なき空のけしきも、ただ見る人から、艶にも すごくも 見ゆるなりけり。」

夜が明けても未だ空に残る月は、光こそ弱まっているけれど、その姿形をはっきり見ることができるから、かえって風情がある。空の様子は、見る人の心次第で、美しくも寂しくも映る。

やがて光源氏は、今となってはもはや伝える術もない想いを胸に抱え、何度も後ろ髪ひかれながら邸宅を去りました。

二人の物語はまだしばらく続くんですけど、ひとまず今回は、最初の夜が明けたところで区切りとしておきましょう。ではでは、お疲れ様でした。また次回。

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