悩める現代サッカーの課題…
2024年 7月6日(土)
昨日の景色…
〈気になる記事・後半…〉
ウルグアイ代表ビエルサ監督が現代サッカーに警鐘 「魅力はどんどん失われている」
(記事全文…)
ウルグアイ代表を率いるマルセロ・ビエルサ監督が、ブラジル代表とのコパ・アメリカ2024の準々決勝を前にした記者会見で、現代サッカーについて警鐘を発したとブラジルメディアの『グローボ・エスポルチ』が5日に報じた。
ビエルサ監督は初めてトップチームで指揮を執ったニューウェルズ・オールドボーイズ(アルゼンチン)で、1992年にコパ・リベルタドーレスで決勝へ進出するも、PK戦の末にブラジルのサンパウロに敗れて準優勝に終わった。
当時のことについてブラジル人ジャーナリストから質問を受けたビエルサ監督は、「サンパウロのフォーメーションを覚えているか?素晴らしい監督とブラジル代表の選手ばかりで、“地元”のサッカーをしていた。(当時は)ライー、アントニオ・カルロス・ザーゴ、ロナウダン、カフー、ピンタード、ミューレル…。みんなヨーロッパに渡った選手たちだが、コパ・リベルタドーレス決勝でプレーしていた」と回想したあと、南米サッカーについての持論を話し始めた。
「それからサッカーに何が起こったのか?本来、大衆の財産であるサッカーになにが起きたのか?貧しい人々は幸せを買うためのお金を持っていないから、幸福をほとんど手に入れることはできない。しかし、サッカーは無料だから人気があるし、大衆の起源と言える存在でありえた。かつてサッカーは最も貧しい人々が持つことができた数少ないものだったんだ。だが、いまや(今夏にパルメイラスからレアル・マドリードへ移籍する)17歳のブラジル代表FWエンドリッキや“パルメイラスのウインガー”(来年パルメイラスからチェルシーに加入する U-17ブラジル代表FWエステヴァン・ウィリアン)も移籍してしまった。今日、批判されるようなことを言わなければならないとは、なんと残念なことだろう」
有望な南米の若手選手が18歳になると次々にヨーロッパに渡ってしまい、現在の南米で暮らす人々が有力な選手たちを見る機会が失っていることを嘆いたビエルサ監督。
さらに、高度なテクノロジーが導入され続けたサッカーは、予測可能なものになってきたと指摘し、「より多くの人がサッカーを観るようになったが、その魅力はどんどん失われている。サッカーを世界一のスポーツにした部分は、もう好まれていない。観ている人たちが守られていない。ただ、これはビジネスには有利な状況で、ビジネス的には多くの人が試合を見ることが重要だ。しかし、時が経って、見る価値のあるサッカー選手が少なくなり、試合が楽しめなくなれば、この人為的な観客の増加は削減されるはずだ。サッカーは5分間のアクションではなく、それ以上の存在。文化的表現であり、アイデンティティとしての一つの形態なのだ」と、現代サッカーが向かう方向性についての懸念を表明した。
👉この記事のビエルサ監督が例に出している1992年当時のブラジル…。
そのブラジルでは…
特にそのサンパウロFCの輝かしい時代でもありました…。
そして…
そんな魅力的なブラジルサッカーの全盛期であったとも言えます…。
そのブラジルサッカーの魅力が…
すなわち当時の「サッカーの魅力そのもの」でもありました…。
それが最近よく言われている…
「古き良き時代のサッカー」でもありました…。
わたしがブラジルに初めて渡ったのが高校3年生になる前の春休みの時でした…。
そしてその約2ヶ月間…
ブラジルで滞在しお世話になったのが、この記事にあるサンパウロFCでした…。
そのサンパウロFC本拠地スタジアムの「モルンビースタジアム」…。
その観客席の下の建物の中には、選手たちが寝泊まり滞在出来る宿舎も完備されていて、わたしもそこで2ヶ月間過ごしました…。
その楕円形のスタジアムの内部半分は、プロ選手たちが滞在し過ごす豪華な宿舎…。
一方もう半分は、アマチュア若手選手たちが滞在し過ごす質素な宿舎…。
わたしはその同世代のアマチュア若手選手たちと共にそのベッドとロッカーだけのシンプルな宿舎で共に過ごしました…。
でも…
そのスタジアム周辺の敷地内では…
ごく普通にプロ選手たちも居て、ごく普通に喋ったり触れ合うことも出来ました…。
そしてその当時のサンパウロで既にスーパースターとして活躍していたのが、この記事にも出て来る「ミューレル選手」…。
またこの記事に出て来る「ライー選手」は当時のサンパウロFCのサブにいて、途中出場してもファンからブーイングされていたような時代…。
後の彼の輝かしい活躍からは考えられないような若き頃の立ち位置でした…。
そんな「古き良きわたしのブラジルの想い出」の時代でもありましたが、まさにその当時のブラジルサッカーはわたしにとってだけでなく、サッカー界全体にとって「魅力あるサッカー」の時代でもあったようです…。
このビエルサ監督に言わせると…
「サッカーを世界一のスポーツにした部分」
そしてそんな…
「見る価値のあるサッカー選手たち」
そんな“観る者を楽しませる選手”というだけでなく…
“楽しみながらプレーをして人々をも楽しませるサッカー”…
そんな魅力あるサッカーが…
いつしかその「放映権」「放映料」などの「商業的な部分」に、「VAR」やその高度なテクノロジーによる厳密なジャッジやレフェリング、そしてより綿密な「戦術」とそのコーチング、またそのプレーに関する「強度」と「スピード」にその「フィジカル」を重視強調したプレースタイル…。
それらすべてが…
いつしかどこか全然違う方向へと進んでしまっているようです…。
それを「進化」と言うべきか…
それか「発展」と言うべきか…
それとも…
いずれにしても…
何かどこか改善しなければ…
そのかつてあったサッカーの魅力というものを、一生失ってしまう事になりかねません…。
そこのところのいくつかのヒントが…
このビエルサ監督の言葉から読み取れます…。
ひとつは…
「南米で良い選手のプレーを観る機会が無くなった」という事…。
それはすなわち…
大衆の大半があまり裕福ではない家庭に育つ子どもたちですが、それでもかつては毎週末のスタジアムで直にスタープレーヤーたちのプレーを観ることが出来ていました…。
ただ今となっては…
その見事なサッカーのセンス・才能というお手本を見る事が出来なくなっているという現実…。
見て知ることが出来なければ…
そのセンス・才能を得ることも磨き育てることも出来ません…。
そして「サッカーを世界一にした部分」という言葉…。
いろんな解釈が出来るかもしれませんが、わたしはそれが「見る価値のあるサッカー選手」という言葉とリンクしているように思えます…。
かつて魅力ある時代のサッカーでは…
常にそこにスーパースターたちが存在していて、そのいろんなタイプのいろんな個性がぶつかり合って、その対決・凌ぎ合いというものがありました…。
チームスポーツでありながら、個人プレーの個人対決というものも…。
そしてファンやサポーターたちは…
それぞれが好きなタイプのスタープレーヤーのレプリカユニフォームを着て応援し、そのスタジアムでのプレーと感動を共に共有し、その選手に自分を重ね合わせる“擬似体感”をするかのようでした…。
でも…
今のハイレベルの選手たちのプレーというのは、そのスピードやフィジカルありきのプレーなので、観る者からすれば“疑似体験”するどころか、そのプレーの“センス”や“感覚”をイメージする事すら難しくなっているようです…。
あまりにもミスの無い完璧なロボットのような精度のサッカーマシーン…。
でも…
みんなそのプレーは“予測可能”で、ただスピードやフィジカル面でついて行けないだけな話…。
だからどこのチームを観ても…
どの選手を観ても…
ほとんど大差のない同じようなプレーの同じようなサッカーを観ているに過ぎない感じがしてしまいます…。
そしてまた…
やってる選手本人も…
特別なセンスや感覚に能力はあまり必要なく、ただスピードとフィジカルの部分で競い合うだけのスポーツになり掛けてしまっているので面白くはないでしょうね…。
残念ながら…
自分が楽しめなければ…
おそらく見る者を楽しませる事も出来ないでしょう…
そこが…
もしかしたら今のサッカーに最も足りていない部分なのかもそれません…。
「楽しむ」「遊ぶ」部分…
確かにかつてのサッカーは「遊び」でしたが…
今のサッカーは「仕事」のようです…。
あまりにも“プロフェッショナル化”し過ぎるのも良し悪しなのかもしれません…
「サッカーは遊び」
そんな単純な原点に還る必要があるのでしょうね…
〈気になる記事・前半…〉はこちらから…
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