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【エッセイ】~impressとexpress~苦しみを愛せるか~

4月30日投稿「感受性を殺してでも生きるべきか」の続きである。

私が10代後半から30代前半まで苦しかったのは、単純にストレスなどによる抑うつ状態だったからではない。

私は空や雲や風、音楽などの芸術作品、総じて主に美しいものに触れると、味覚を除く五感がめいいっぱい開き、それを自己の中に留めておきたくて、でもそれができずに、体中から、感覚で受け取ったものがあふれ出して、抱えきれないことによって、ずっと苦しんできた。

周りの大人たちは、日記を書け、詩を書け、油絵を描け、と言った。私は忠実に様々な表現方法を模索した。

これは、impressとexpressの問題である。im-という接頭語はギリシャ語で「中へ、内へ」という意味であり、ex-は「外へ」という意味である。すなわち、私は外部から「内へ」受け取るものに精一杯で、それを「外へ」表出することができないから、苦しんでいたのだ。以前はよく、感動すると死にたくなる、と言っていたのだが、impressは「内へ」「pressする」であり、感動するという意味である。他方、expressは「外へ」「pressする」であり、すなわち表現する、という意味なのである。

入退院を繰り返していた大学院生あたりの頃は、大学病院で格好の実験材料となり、たらい回しにされていた。会う先生ごとに同じ話を繰り返す。皆一様に、感動=希死念慮の原因がつかめずにいた。私自身もそうだった。だが一人の先生が、全ての話を聞き終えて、ぽつんと言った。「多分、感動するっていうことと、死にたいってことは、つまり、同じことなんじゃないかな。」

今、私は感覚をある程度閉ざしているから(もしくはそのコントロールができるから)日常生活をさほど苦しまずに送れている。だが、たまに葛藤も生じる。

10代の頃は語彙も少なく、苦しみぬいている世界が私本来の姿であると思っていたので「私は非現実から、現実へ逃避している」(本来の姿ではない)と言っては、日常生活を送ることに非常な罪悪感をおぼえていた。今も、感覚を閉ざして普通に日常生活を送り、苦しみぬいて廃人になるような生活を送らないのは、本当に私の生き方として肯定していいものだろうか、と、ふと、迷うことはある。

だが、10代の感受性は、戻らないのだ。そして、それは、無理をして取り戻せるものでもないのだ。そのことを嘆くのではなく、その時の感受性も自分の歴史の一つとして、受け止めていかなくてはならないのだ。

きっと、自然や音楽の全てを内に取り込みたい、そしてそれをずっと保持していたいという願望は「無常に対する必死なまでの抵抗」であったのだ、と今、思う。

あるいはその自己分析は間違っているかもしれない。だが、どんなことでもそうだが、先に進むためには、ひとまずその仮定を一旦受け入れ、それを出発点とすべきだと思う。

さて、では「無常に対する必死なまでの抵抗」を有していた「10代の頃の感受性は戻らない」という事実に向き合った今、その当の私自身は、一体何かをしなければならないのか、あるいは、何ができるのだろうか。

おそらく「その過去の自分自身とその感性、生き方、全てを優しく受け入れることだ」といった答えがでてきそうではある。だが、私としてはもう一歩踏み込んで、もう一つ何か、新たな地平を見出し、そこに立ってみたいという気がするのである。そのための努力は惜しまないつもりである。


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