「地域視考」を始めます
「地域視考」とは何かを語る前に、いつも通り少しばかり前置きを書きたいと思う。
ありがたいもので、本noteを閲覧いただいている方々が増加傾向にある。本noteは、記事一覧を見ていただけると分かるように、気仙沼市の紹介が中心となっている。開始からおよそ3年程度を経て、気仙沼市に関心を寄せる方々が増えていると考えると、望外の喜びである。
さて、本noteは公開している記事の多くが気仙沼市についてであるが、更に俯瞰して見たとき、散策記録が大半を占めている。というよりほぼほぼ10割が散策記録である。極めて一部の読者は知っていると思うが、元々様々な記事を書いては消し書いては消しを繰り返した結果として至った形である。
とはいえ、散策記録を始めた当初も一体いつまで続けられるものか疑問は感じていた。だからまさか3年以上も続くと思っていなかった。これもひとえに気仙沼市あってのものである。大船渡市を中心に散策記録をやろうと思っていたら、恐らく半年と保たなかった筈だ。
そんな散策記録であるが、いくらか課題を抱えている。その一つが、そもそも散策しなければ記事を出せない点である。それはそうだろう。誰もがそう思うだろうが、結構深刻な課題である。何せ筆者は、散策記録で飯を食っているわけでない。
フリーライターのみを生業にしていた当時は、海外法人(と言っても相手は日本人である)からの受託制作がほぼほぼ10割であったし、今は兼業状態である。つまり、どの時期においても、散策記録は飯の種としては少し端っこの存在となっている。これが何を意味するか?
金をくれ。なんて話ではない。金とは稼ぐものであって貰うものではない。散策記録があくまで事業の一オプションでしかない現状、おいそれと散策に行って散策記録を出すわけにいかないのである。生きるには金を稼がなければならない。世の常である。
結果的に、記事の更新に穴が開きやすくなる。去年、一昨年の記事一覧を見てもらえば一目瞭然だが、更新が非常にまばらになるのである。何せ散策記録は、一本記事を挙げるのに非常に時間がかかる。基本的に丸一日かかるのである。おいそれと更新を行えない。
というわけで、散策記録以外の記事制作にも手を伸ばしているのが、ここ最近の動きである。直近の分かりやすい例で言うと、以下の記事が挙げられる(散策要素も入っているが)。
いわゆる地域の取り組みの紹介や地域の取り組みに参加した簡易的なレポートである。散策の場合、場所の選定や書きたい大枠のテーマを予め決めた上で歩かなければならない。一方で、前者ならばそもそも外に出る必要がなく、後者ならば歩く必要がない。
とはいえ、前者にしても後者にしても、実際のところはとても受動的であり、そもそも材料がないと記事を挙げられない。ある意味、散策記録よりも記事を挙げるのが難しい課題を抱えている。そのため、散策記録だけだと記事更新に空きが生じる課題の解消に上手く繋がらない。
そのため、もう少し別の切り口で記事を挙げるためのテーマを必要としていた。そして至ったのが、「地域視考」である。
「地域視考」とは何か
前置きが長くなった。それでは「地域視考」の話に移ろう。「地域視考」とは、文字通り『地域を視て(見て)考える』を意図している。視考なんて言葉が存在しないのは誰もが知っている通りで、造語である。造語なので、念のため商標登録がされていないか確認している。危機管理。
ちなみに、これくらいの造語ならば当然ながら過去何かの形で使われているものである。少し検索すると、上記他、何冊かの書籍が見つけられる。とはいえ、視考という単語に含めている意図は、各々若干ながら異なっているようである。
筆者が視考に含めている意図は、先ほど伝えた通り、視て考えるである。取り立てて深い意図はない。一方で、今回「地域視考」と言葉を打ったのには理由がある。
「地域視考」と銘打った理由
そもそもの話として、筆者は地方という存在について、持続可能性はないと考えている。また、日本という国全体の将来を考えたとき、多くの自治体を閉じ、人口を集約化・少ない数の自治体に集中させなければならないと考えている。そうしなければ、肝心の生活基盤そのものが破綻するためである。
一方で、そうした未来が実現されるまでに、膨大な時間を要するのは明白であり、その期間中も人々は生活を成立させなければならない以上、地方の各地域ごとに生活基盤が崩壊しない程度の活気(経済力)を確保する必要があると考えている。
なぜならば、誰もが合理的に将来を考えて都市部に転居するわけもなく、国が強制力を振るおうにも財産権の侵害程度を抑えながら実行できるだけの資力が乏しいためである(改憲の必要性は何とも言えないと考えている)。そもそも今なお地方移住促進を掲げている国に期待できるか疑わしい。
それはさておき、いずれにしても一定以上地域の活力を上げ続け、人々の生活基盤の崩壊を止める必要性は大きい。そうした中で、多くの自治体や団体が、地方創生・地域活性化の取り組みを行っている。だが、それのほとんどは芳しい成果を上げられていない。
筆者は、多くの自治体や団体が地方創生・地域活性化の取り組みにおいて上手く成果を上げられていないのは、そもそも視点を誤っている点に大きな問題を抱えていると感じている。
たとえば、昨今、近隣市町村が華やかな話題を出し続ける中、なぜか一自治体だけ不景気な話題ばかりを出し続けている大船渡市を例にすれば、市内ばかりに視点が向いており、身近な競合である近隣市町村さえ視られていない。全国、全世界なんて更に視られていないといった具合である。
つまり視野が非常に狭くなっているため、どんな施策を行ったところで、さほど人の心に響かないのである。当然ながら社会的な影響力も小さい。結果的に多くの予算を使っただけになり、負債に負債を積み重ねるばかりになってしまう。
こうした話は、何も自治体による施策に限った話ではない。企画・プロジェクト、イベント、事業、公共施策、何を行う際にも、視点をどのように持つかは極めて重要である。
※どの視点をどのように置くべきかは、対象となる施策などによって大きく異なる。何に対しても広い視点を持てば良いというものでないし、いつでも自分の半径数mだけを見ていれば良いというものでない。
「地域視考」は、視て考えることを意識している。つまり、ただ頭の中だけで考えるのではなく、また自分とその周りだけの小さな世界だけを視るのではなく、適切な視点を設定した上で地域を視て考えることを指す。
筆者は、今後より一層衰退し、消滅に向かうことが確定している地域を何とか支え続ける上で、「地域視考」が重要になると考えている。だからこそ、今回「地域視考」と銘打ち、このテーマに沿った記事を挙げていきたいと考えている。散策記録に加えて、今後「地域視考」も出していく意向である。
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