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■【より道‐68】戦乱の世に至るまでの日本史_愛に飢えた息子
じぶんの両親にそこまで、怒りとか、恨みを持ったことがないので、じぶんの人生はしあわせなのだと思います。
しかし、じぶんの父は、とても、とても苦労したと思います。それは、父が1歳のころ、1940年(昭和十五年)に、母を張家口で亡くしたことからはじまります。
当時は、日中戦争の最中。じぶんの祖父は、蒙古連合自治政府で働いていたので、母が亡くなってからは、姑娘に育てられていたのでしょうか。しばらくは、男で一つで育てられていました。
当時の日本は「産めよ殖やせよ」というのが、国家の合言葉になり、兵力、労働者の増強をもとめていましたので、結婚適齢期を男性25歳、女性21歳と定め、各家庭、子供は平均5人以上を設けるように提唱されていました。
はやくに、妻を失った祖父は、国の命令で再婚を迫られたこともあったのでしょう、1943年(昭和十八年)に、再婚することになりました。やがて、父には、腹違いの妹と弟ができました。
そして、継母からは、これ見よがしに、冷遇されてきたと想像しています。その様子は、孫のじぶんにも伝わるくらいのことでして、幼少のころに、父の故郷、岡山県新見市にある高瀬村に帰ったときに、いつも感じてしまうほどでした。
父の口から、不遇の愚痴を聞いたことはありませんが、それだけ、腹違いの兄弟が生きるということは、大変なことなのだと思います。とくに、権力や相続が引き継がれる、当主制度であればなおのことです。
それは、中世の世を二分するほどの問題に発展するのですから。いくら現代の世の中で、少子化が社会問題になっているといえども、自由主義、民主主義だからと言って、一夫多妻制などの制度は導入できないというのが、個人的な見解です。
「腹違い」というのは、人と人との間柄を保つためには、とても、難しいことなのだと思います。
■南北朝の落としどころ
三種の神器と政権返上を条件に南朝を味方につけた足利尊氏は、1352年(正平二年)に足利直義を追い詰めて、3年間も続いた足利一族の内輪もめ、兄弟ケンカを終わらせました。
一方、亡き後醍醐帝の意思を引き継ぎ、大覚寺統による「正平一統」を成し遂げた、北畠親房は、足利尊氏の征夷大将軍の任を解き、京の都と鎌倉から足利一族の一掃を画策しました。
ふたたび、後醍醐帝の夢であった、王政復古「公家一統」の体制を目指したわけですね。
このとき、後醍醐帝の息子、後村上天皇を支えたのが、新田氏、脇屋氏、楠木氏、そして北条氏でしたが、足利直義派閥の山名氏や斯波氏が、足利尊氏と足利義詮親子に寝返ったことで「正平一統」は、わずか四か月で瓦解することになり、三度、北朝側、持明院統が治めることになりました。
しかし、「三種の神器」を南朝側から回収することができなかったために、南北朝問題は次の世代まで、続いていくのです。
■ 足利直冬の反抗
中国、九州地方で勢力を保っていた足利直冬ですが、実の父親である、足利尊氏が、養父である足利直義を殺害したと知ると、再び、憎悪の念が膨れあがります。
1354年(正平九年)に桃井氏、山名氏、大内氏など、亡き足利直義派閥の武将と共に、石見国(現:島根県の左側)から京都を目指します。また、もう何度目かわからないくらいですが、南朝と手を組み京都を奪還することに成功するのです。
しかし、それも一時のことで、東寺に陣をはり、足利尊氏、足利義詮の軍と戦いますが、最後は追い詰められ敗走したそうです。
足利直冬は、足利尊氏が若き頃に、家柄のわからない謎の女性に恋をして産ませた実の子でありながら、足利尊氏は実子と認めませんでした。
源氏の棟梁である足利尊氏が、わが子と認めることで、将来、足利直冬に人が集まり、やがて大きな影響力をもつことを、わかっていたのでしょう。しかし、弟の足利直義は、自らの子もいなかったので養子にして、権力争いに利用したというお話しです。
父親の愛情をうけなかった息子。腹違いの兄弟である、足利義詮ばかりが贔屓される様子をみている息子。父親の名前を借り影響力を増していった息子。南北朝の皇室に利用された息子。最後は、権力争いに巻き込まれ、武力で衝突した息子。
「親の心子知らず」とはいいますが、足利直冬にとって、征夷大将軍だろうが、なんだろうが、たった一人の血のつながった親だったわけです。彼は、単に愛がほしかったのだと思います。
もし、足利直冬の子孫が現代にもつながっているのであれば、きっと、親の愛情を大切にするファミリーヒストリーがつながっているはずです。そう、願いたくなりますね。