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病んでもタダでは終わらない~膠原病かと思ったら大腸癌だった/がん闘病記②

こんにちは。 #病んでもタダでは終わらない 渦巻(@uzumaki_628)です。
初回の闘病記では、Twitterのフォロワーさんたちを中心に、記事購入およびサポート支援をいただき、この場を借りて改めて感謝申し上げます。
……ううん、判を押したような定型文だと、まるで心がこもってないように感じますが、決してそんなことはありません。。

これは、想定外に我が身を突然襲った「がん」闘病記の第2弾です(2023年6月12日現在)。今は日本人の2人に1人が「がんになる時代」。一人でも多くの方に意識を改めていただき、早期発見を促進したいと考えています。

なお、この記事を有料化してクローズドとしている理由や、闘病記を発信に至る経緯などは、前回の初回記事冒頭(無料部分)にてご確認ください。

また、こちらで得た収益は、今後の治療費及び大腸癌早期発見の啓発活動資金に充てさせていただく予定でおります。


それでは、ほぼリアルタイムでお届けする「病んでもタダでは終わらない」と題した闘病記の第2回では、各種検査からの大腸癌ステージ宣告までを通し、がん患者としての自覚が芽生えていく過程を記していきます。
※なお、記事は「だ・である調」で綴らせていただきますので、予めご了承ください。

2022年5月上旬:大腸内視鏡検査を超速実施!

顔と首の皮疹をきっかけに、地元のクリニックから大学病院の皮膚科へ、そこから指定難病の疑いで膠原病科へ、そこからまたさらに今度は消化器内科のコンサルを受けることになった、というのが前回の内容。
「明日にでも受診して」
という膠原病科の医師の助言に従い、その翌日、同院の消化器内科へやってきた。

その日は消化器内科の初診当番で、肝臓専門の医師が診察に当たった。
「どう説明を聴いてるの?」と言うので「なんか大腸にありそうだよ、って言われました」と、そのままを正直に伝えた。
「そう、、すぐに大腸内視鏡検査した方がいいけど、明日かなぁ」
「え!明日ですか? 明日は歯科治療が入ってるかと」
左上の小臼歯の歯根が、一か所、腫れていて治療を始めたところだった。隣接した頬の裏側にある上顎洞にも、膿がある状態だ。

この話も、別途詳しく書こうと思っているが、紛れもなく膠原病の、つまり自己免疫疾患の影響だった。進行すれば、全身の弱い箇所→何らかの因子を抱えた場所から順番に、炎症を起こして腫れていくのだ。

「明日がダメなら明後日で」
「予約、混んでるんじゃないんですか?」
普通に内視鏡検査の予約を取れば、早くて1か月半待ちの状況で、翌日に捻じ込むほどって、どんだけなんだと。
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないから」
この時点で、勘の鋭い自分はだいたいの今後の流れが予測できた。きっと、かなりマズイ状況なんだろうって。
もしかして、肝転移の可能性もあったりするから肝臓専門の先生なのか?とか、などと、ぼんやりと最悪な妄想が浮かんできた。
それでもショックも覚えず、実に呑気でどこまでも他人事、我ながら天晴(あっぱれ)だ

5月1X日:証明された息子愛⁉ これまで娘命だったけど…

そうして、超速で大腸内視鏡検査を受けることになり、当日の朝9時に検査室へ行き、一般の人たちと一緒に総勢7人でに一連の説明を受け、下剤を飲み始めた。ポカリスエットを濃縮させたような甘じょっぱい塩水と言えば、
分かりやすいだろうか。
皆、代わる代わるトイレへ行き、便にほとんど色が付かない水そのものになれば準備完了。一番早い人は14時前には検査室へ入っていった。

ところが、なぜか自分だけ、いつまでたっても便の色が透明にならない。途中、何度もナースが様子を伺いに来て、その都度「先生に報告、相談してきますね」と言われながら、とうとう最後の一人になってしまった。
時刻はすでに16時を回り、完全に透明にならないまま検査室に入った。
腕に点滴の針を刺し「鎮静剤が入りますね~」とナースの声が聞こえた途端に、意識は飛んだ。

「渦巻さん、検査が終わりました」
ナースの声で目が覚めると、目元が涙で濡れていた。途中、何度か痛みで意識が戻ったので、そのせいだろうか。
「大丈夫ですか、起き上がれますか」
フラフラしながら起き上がり、ナースに支えられて待合のリカバリ(検査後に鎮静剤が抜けるのを待つ場所)スペースへ。ポルシェのシートかよというくらい上等なリラックスチェアで、小一時間ほど休憩するよう促される。
「ずっと、お子さんのことを心配しているようでしたが…」
「え! 娘のことですか?」
「いいえ、『息子が一人で待ってるから早く家に帰らないと』って」

潜在意識ってヤツなんだなぁ、と思った。
昨年の春、娘が就職で家を出て以来、自分は重度の娘ロスに陥っていたが、そんなことは甘ったるい感傷に過ぎなかったのだと自覚した。
実際は、もうすぐ17歳になろうというのに厨二全快で精神的な歩みのゆっくりな息子のことが、自分の何よりの心配の種なのだ。ましてや彼を、たった1人で家に残しているかと思うと、日々、気が気ではいのは紛れもない事実だった。
「ええ、そうなんです。ほかに頼れる身内がいないので…
入院棟と各科、および検査室のナースはそれぞれ担当が異なり、患者の細かい情報まで共有されていないだろうと思っていたのだが、これを皮切りに、自分はこの院内のナース網に「いろいろ大変そうな母親患者」としてマーキングされ、以後、何かの検査のたびに気遣われるようになった。
そのときの心境ツイートはこちら▼

大腸内視鏡検査後:「残念なんですが」なんて言わないで♪

「30分くらいしたら、検査した担当医から説明があるそうです」
ナースは満面の笑みを浮かべていたが、確実に何かがおかしかった
一般的なクリニックなどではその通りではないが、この大学病院に限っては、検査の最中や当日に本人に何ら状況説明をすることはない、と事前説明の書類に明記してあった。
実際、自分より先に検査を終えて帰って行った人たちの誰一人として、医師からなにか説明を受けてなどいなかったし?

約束の時間が来て、検査をしてくれた若い男性医師がやってきた。

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