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個別最適化のその先は“才能教育”?
「才能教育」という言葉が出てきて、色んな意味で笑ってしまった。
才能教育とは何か
最近(2022/7/25)に「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議(第12回)」が行われたらしい。
我が国においては、これまでスポーツや文化などの分野 では学校外において特異な才能を伸長するシステムが作られてきているが、特 異な才能のある児童生徒に対する教育(以下、「才能教育」という。)に関し、我 が国の学校において特異な才能をどのように定義し、見いだし、その能力を伸長 していくのかという議論はこれまで十分に行われてこなかった。
才能という言葉は個別最適化との相性がとても良さそうだ。しかし一方で、「個別」に最適化を進めるということと、「才能」という枠組みを決めるということは矛盾はしていないのでしょうか。
この"才能を持つ子どもたち"の特性については以下の通り。
特異な才能のある児童生徒の認知や発達の特性として、強い好奇心や感受 性、豊かな想像力、高い身体的活動性、過敏な五感など 6や機能間の発達水準 に偏りがあることなどが挙げられる。また、しばしば、これらの特性が過度に表出し、環境に馴染めないことによる困難を抱えていることがあることも指 摘されている。
また、「2E(twice-exceptional)の児童生徒」と言われる、特異な才能と学 習困難を併せ有する児童生徒の存在も指摘されている。こうした児童生徒は、 通常の学級に在籍していることや、障害の程度によっては、通常の学級に在籍 しながら通級による指導を受けていたり、特別支援学級に在籍していたりす ることも考えられる。
何を才能とするのか
今はスポーツや文化の具体例にとどまっているが、今後求められる「人材」として、プログラマー、エンジニアにはじまるIT分野、数学などの理数分野などでも定義づけられるようになるのだろうか。
個別最適化と才能について
つぶやき
個別最適化というのは、個々人の特性に合った環境作りではないのかね。
個別最適化の、個々人に特性があるという考え方は本当の意味での絶対評価につながるのではないかね。
才能教育という、社会で相対的に価値があるとされている才能を伸ばしていく、という考え方は相対評価につながるのではないかな。
絶対評価と相対評価、学校の役割から考えるとこれらが常に共存しているが、それをあらためて定義するということはどのような意味があるのかなあ。
まずは個別最適化ってなんだったっけ、ってところから調べなきゃなのかなあ。