吸うより吐くのが大事だけど、労力が必要
インプットとアウトプットの話です。インプットって、すればした分だけ「身についた」「知った」気になれる、リコチン(タバコの成分ですよね?)の1種だと思うんです。健康に害を及ぼさない分、たちが悪い。
インプットは、すんごい楽。だって、ぜーんぶ受け身でいいから。五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、感覚)を無意識で使用すればいいだけです。
そこから得た情報をもとにして、感想とか考えを膨らませる。そしてそれを発出させる。ここまでやって、やっとアウトプットになります。
感想とか考えを「自分の中で」膨らませるのは、インプットです。牛が草を食べるように、自分の中で反芻(はんすう)してるだけじゃ足りません。それをどんな形でも外に出せば、アウトプットになります。たとえそれがどんなにお粗末なものだったとしても。
願わくば、アウトプットしたあと、フィードバックがあるのが理想です。フィードバックから、改善点を見つけれるから。
だけど、アウトプットすることの方が大事だし、何よりアウトプットし続けれないとフィードバックの意味がありません。たった1つをアウトプットして、それに来るフィードバックに永遠と向き合い続けるのは、おかしな話です。
散弾銃のように発砲しなければ、フィードバックの数を得られません。
「インプットよりもアウトプットが大事」と言われるけど、「アウトプットを継続するのも大事」を追加したほうが誤解がないと思います。
アウトプットが大事だとまだまだ抽象的で、いわば「明日からダイエットする」宣言のような感じ。アウトプットを継続するのも大事も抽象的ですが、継続することこそに価値があることは伝わるかなと……。
ぼくは、1に大変なのは始めるまで、次に大変なのは継続だと思っています。たとえば、明日から早起きしようと思って、出来なかった方は星の数ほどいます。さらに、それを継続できる方は、一握りの砂程度です。
継続と聞いて、開始してから自分が天に召されるまで続けることだと思われるかもしれません。まさにそれが継続の壁になっています。
私たちは、ロボットでも機械でもAIでもありません。ただの人間であり、人間であるからサボりたい生物です。なのに、継続=ずっとやるものと考えるのは、人間を過大評価し過ぎです。
1度止めてもまた再開すれば、継続していることになります。破線になっても、遠目で見れば1本の線に見えるのと同じです。
インプットよりもアウトプットが大事。そしてアウトプットし続けるのも大事。
さらに言えば、インプットの質やアウトプットの質を気にしたり、フィードバックから改善点などを見つけたりするのは、継続できてからでもいいし、何より継続のハードルを必用以上に気にしないこと。
とにかく、ゆるーく考えて行動するのが、堅い戦略です。