『しろくま先生の心の伝言板』№2 プロローグchapter3「小さな世界」
昨年の秋、うつ と診断された ぼくは、約5か月もの間、心に鍵をかけて 暗い部屋に閉じこもっていました。
春の足音が聞こえる頃、うつから脱け出すために、SNSの発信を始めました。ブログの制作にも取り掛かりました。アウトプットすることが必要だと思ったのです。
若葉のころには ブログの「第1作」も書き上げ、ブログの準備は整いました。しかし、投稿ボタンを なかなか押せませんでした。
今 思えば、その頃の ぼくの心には、まだ、エネルギーが満ちていなかったのかもしれません。 また、5か月もの時間が過ぎてしまいました。
うつ という病は、そう簡単に回復なんかしないんだと つくづく思います。
全快した訳ではないけれど、今日、投稿ボタンを押しましょう。
ぼくの背中を押してくれた「小さな世界」と「広がる世界」と『一心一花』について書き始めます。
プロローグchapter1 小さな世界
ぼくは、毎日、ウオーキングに出かけます。
太陽がジリジリ照りつける日も、風の日も、雨が降りしきる日も。自分から進んで、喜んで出かけます。
スマホの歩数計とともに歩き始めて、ちょうど100日。約580㎞ 歩きました。京都から歩き始めるとすると、余裕で東京を超えたことになります。
父親が逝った日 以外、欠かさず歩いています。今では、大切な日課です。
こんなに続くとは、こんなに歩けるとは、思っていませんでした。自分の部屋に閉じこもっていた時には 想像すらできませんでした。
ウォーキングを始めたのは 健康回復のためでした。体を動かせば、食欲も出て、よく眠ることもできる。メンタルヘルスにも良い。主治医に勧められて半ば義務的に始めたのです。
始めた頃は、歩く時間も、距離も決めずに、歩数を測ることもせず、出かけたり。出かけなかったり。
「今日は雨が降りそうだから」とか、「無理はしないほうがいい」とか、三日坊主の言い訳を探す毎日でした。
ぼくは、99日前、スマホを持って歩くことにしたのです。そのことをきっかけに、ぼくの ウォーキングは大きく変わりました。
歩数や 歩いた距離を知れば、きっと やる気も出て 続けることができるだろうと スマホの歩数計で毎日計測することにしたのです。
ぼくの 思惑は的中しました。スマホの歩数計は、毎回、快く、ぼくを励ましてくれます。「目標を達成しました」とか、「模範的です」とか、「驚きの結果です」などと、電子音とともにメッセージを送ってくれます。
褒められるとすぐ調子にのる ぼくは、気を良くして、スマホのおだてに乗って意気揚々です。
明確な目標を持つようになり、スマホに励まされ、おだてられてウォーキングが楽しくなってきたのです。
調子に乗って、少しハードな目標にしたら、脚や膝が痛くなりました。しかし、少しぐらいのことには負けてはいられません。なんとか 目標を達成しよという気持ちが芽生えて、「頑張ろうとする ぼく」が そこにはいました。
このポジティブな気持ちが、うつ から抜け出すのに どれほど大切か。気の持ちようがメンタルヘルスに大きく関係しています。
今思えば、知らぬ間に 主治医の治療法を いい形で実践することになっていたのです。
スマホは さらに、いいことに気づかせてくれました。
それは写真を撮ることから始まりました。
ぼくが写真を撮るようになった「小さな世界」は、実に美しい。光り輝いています。毎日、違った表情で ぼくを待っていてくれるのです。そこには生命の輝きがあふれています。
いつの間にか ウォーキングの目的が「歩くこと」から「写真を撮ること」に変わったのです。さらに「キラッと輝く宝物に出会うこと」がぼくの望みとなりました。
これがウォーキング途中で見つけた「小さな世界」。
ぼくが 行く ウォーキングコースに、こんなに素晴らしい「小さな世界」が存在するなんて 気づいていませんでした。
スマホに 励まされながら、目標を達成することに喜びを感じていた その時の ぼくは、本当はスマホに尻を叩かれ、追われていたのかもしれません。
そんなぼくには、「小さな世界」は 見えていませんでした。
鳥の目になって あたりを見ながら、虫の目になって 足元を気にしながら歩いていると、パッと 光る何かが目に飛び込んできます。
パタッと立ち止まって、「なんだろう」と近づくと、そこが「小さな世界」への入口です。
息を止めて 瞳を凝らして じーっと見つめると、新しい発見があるのです。
雨に濡れてガラスのように透きとおった花。恥ずかしそうにしている花。仲睦まじく咲いている花。虫たちと戯れている花。語り合っているような花。
実に多彩で美しい。可憐で、繊細でいて、楽しそうです。
花々のハミングが聞こえてきそうです。
「小さな世界」の小さな小さな花々や、虫たちを見つめていると、なんだか「小さな世界」にすーっと引き込まれます。
穏やかさに包まれて、気持ちが落ち着いてきます。
ぼくの知らなかった、それまで気づきもしなかった 小さな小さな花々が、みずみずしく、生き生きと輝いています。ぼくの心を癒してくれます。「小さな世界」にフォーカスするたびに、心が解放されていくのを感じます。
ぼくが花々に魅せられて、「小さな世界」の虜(とりこ)になるのに、そんなに時間はかかりませんでした。
ウォーキングを本格的に始めたころは、スマホと ぼくとで決めた目標を 何とか達成しようと 頑張っていました。
そう、「頑張っていた」のです。
頑張ることが、うつ には決して 良くは働かない。ということはわかっています。しかし、頑張っていたように思います。
少しでも早く、少しでも遠くに 歩くことに喜びを感じていた ぼくに、周りの景色が見えるはずがありません。足元に咲いている小さな花に気づくこともありませんでした。
その頃は、こんな気持ちにはなりませんでした。
小さな小さな花々は、ぼくに語りかけます。
「しろくま先生、そんなに急いでどこへ行くの?」、「どうして私たちを見てくれないの?」 そんな声が聞こえてきます。
小さな小さな花々が、ぼくに教えてくれました。
「長い間、心を擦り減らしてきたから、しんどくなったんでしょ。」、「ちょっと立ち止まってもいいんですよ!」
虫たちも言います。
「ぼくたちの時間は限られています。」、「早く蜜を集めなくては、冬が来てしまいます。」、「でも、しろくま先生は、ゆったり、ゆっくり歩いたらいい。」とぼくの耳元でささやくのです。
もしも、写真を撮っていなければ、ゆっくり歩いていなければ、決して「小さい世界」は、ぼくには見えなかったでしょう。
前だけを見て歩いていたら、決して見えない「小さな世界」があるということを 花々は教えてくれたのです。
時には、立ち止まることも必要だということを教えてくれたのです。
不思議なことに、少し意識を変えただけなのに、ゆっくり歩いたり、時には立ち止まったりすると、次々に輝く花々が見えるようになってきました。
目標やノルマだけを気にしていたり、前だけを見ていたり、上を向いたりしていると、足元で、光輝いている せっかくの「小さな世界」が目に入らない。
これは、人の生き様とおんなじです。まるで、うつ になったぼくのよう。
与えられて自分で選んだ道をひたすらに突き進む。日々に追われて、歩を緩めることも、立ち止まることしないでいた ぼくは、いつのまにか大切なものを見失い、志も失っていたのです。
「小さな世界」は、そんなことに気づかせてくれたのです。
もうしばらく、ゆったり、ゆっくり歩くことにしましょう。
いつのまにか、どこかに置き忘れてしまった、大切なものを見つけるために、時には立ち止まりながら、ゆったり、ゆっくり歩きましょう。
じゃぁ、今日はこの辺で。
次回は「広がる世界」です。
ありがとうございました。次作もよろしくお願いします。