多くの人が、正しいか間違っているかいいか悪いかを、とわに果てしなくジャッジし続けている。
先日、facebookの某グループにこんな書き込みをしました。
人を肯定するということは、相手のいいところを無理矢理探して、ムリしてほめるということではない。
いろんな在り方を面白がれる視点を、自分の中に増やすということなんだ。
自分と考え方の違う相手のそのままを面白がる。
自分の正解に相手を合わせようとするのではなく。
そうしたら、「相手の良いところや可愛いところを見つけたりするのはいいですね」みたいなコメントをもらいました。
あのですね、、、、
私が言いたいことは、そうじゃねぇ〜〜〜。笑
それに対して返した、私のコメントが下記。
いいところやかわいいところよりも、こいつやべー、こいつの怒りおもしれぇ、こいつの器のちっさいところが超すげーなー的に、世の中的に否定されているところを面白がるようになると、世界がひろがりますよーー
なんかさ、
よくしなきゃとか、よく思わなきゃとかいう、そういう信念が大きすぎるんですよ。ほとんどの人にそれがあるんですよ。
で、それがまったく違うんだって!
いいと思ったり、かわいいと思ったりするのも、自分のかけているメガネを通して見ているジャッジなんですよ。
常に常に、正しいか間違っているか、いいか悪いかを、とわに果てしなくジャッジし続けている。
そしていい風にとらえなきゃ、否定している、嫌っている自分はダメだと思い続けている。
目覚めるというのは、そこから出ることなんです。
いいも悪いもないんですよ。
あーそうなんだ、へー
みたいに、
あるものをただあるがままに見て、そのあるがままを面白がる。
言ってること、わかるかしら。
もちろん人間界に生きているわけだから、がまんならねー、大っ嫌いだと思うこともあるでしょう。
そうしたら、その自分の感情も丸ごとひっくるめて、ただ見て、面白がる。
おー、すごい、自分。
こんなところに反応するのね。
自分、ちっちぇえなー、
そして、そんなちっちぇえ自分が大好きだ、みたいに。笑
そもそも自分の偏ったメガネでジャッジしているし、
そのジャッジからむりくり何かを変えようと悪戦奮闘しているのが
ほとんどの人の人生なんです。
起きていることはすべて面白い。
自分の反応も、感情も含めて。
まるごと面白い。
そこから見てみると、
いろんな人がいろんな人の立ち位置から
ただ懸命に生きているだけだということが見えてきて、
もはや変えようとしなくなるんです。
変えようとするんじゃなく、楽しもうとし始めるんです。
あることや、起きてきたことを。