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静かな声で真髄に問う 今、何に興味があるかと
創造するこだわり
興味があるモノとは流動的に生きていると数々、魅了する出来事に出合っては、また瞬時に興味を失うモノも必然的に訪れるものであると歳を重ねる毎に実感をしている。その中でも変わらず興味が持続しているモノ、それはファッションである。私は所謂ファッションと区別するために、MODEと称えている。
東京で学生生活を送っていた頃、音楽+ファッションがロンドンから押し寄せ、おおいに影響を受けた。美術を学び、フランス文化に憧れ、躍動なる感覚でヌーベルバーグの映画に魅せられた。池袋の西武百貨店の最上階に西武美術館が出来、横には、画集や美術本と現代音楽を扱うアール・ヴィヴァンというショップがあった。ブライアン・イーノなどのミニマル系がいつも流れていた。現在の六本木ヒルズ辺りにはWAVEというミュージックショップがあり、地下には、シネ・ヴィヴァンと言う映画館があった。上野の国立西洋美術館でもコンテンポラリーアートの旗手たちが紹介され、当時の東京では、ヨーゼフ・ボイス、ローリー・アンダーソン、ナム・ジュン・パイクらの LIVEクリエーションが味わえたのだ。
ブライアン・イーノ(Brian Eno、本名:英語: Brian Peter George St. Jean le Baptiste de la Salle Eno[1]、1948年5月15日 - )は、イギリス・サフォーク州のウッドブリッジ出身の音楽家である(イーノ本人は自らを「ノン・ミュージシャン」と呼んでいる)。作曲家、プロデューサー、音楽理論家である。ソロの音楽家としてはおそらく、「アンビエント・ミュージック(環境音楽)」の先駆者として知られている。 ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys、1921年5月12日-1986年1月23日)1921年ドイツ・クレーフェルト生まれ。脂肪やフェルトを素材とした彫刻作品の制作、アクション、対話集会のほか、政治や環境問題にも介入し、その活動は多岐にわたった。
ローリー・アンダーソン(Laurie Anderson、1947年シカゴに生まれ)アメリカのアーチスト。幼い頃からクラシックのバイオリンを学び、72年頃から現代音楽に属するパフォーマンス活動を開始した。 https://laurieanderson.com
ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik、漢字表記:白南準、1932年7月20日 - 2006年1月29日)は、韓国生まれのアメリカ合衆国の現代美術家。ビデオ・アートの開拓者であるとともに、その代表的な存在である。
服を創り出す行為をアートと捉えていた私は、ファッションから観た社会とは矛盾に歪んで映っていた。アイデンティティーを形成するにあたって腑に落ちない何かを希望に変えるツールであり、MODEを通じてメッセージを発信し、表現するコトで新たなる社会を導いていきたいと考えていた。
それが、いわゆる自我でもありMODEを通じてメッセージを発信するコトが指針となって、新たに訪れる出会いに感謝をし、興味を持つコトが出来るのである。
服を意識してから、何十年もの月日が流れているが服へのこだわりは保たれており、相変わらず興味は持続している。しかし、最近は、ふと「ファッションが時代を創造する時代でも無いよな」と、移り行く時代を少し冷めた瞳で俯瞰し、眺めていた自分が存在しているのも、また実感していた。
つい、最近までは。
創造の源
東京での暮らしに終止符を打ち、田舎で生活を始めると服は機能美を必要とされた。都会の生活では、なかなか感じられない切迫力が伴う。見渡す周りは、山や田畑だ。お米や野菜を作るの事はとても大切だが、もっと自分らしい〝田舎+ART〟を模索し始めていた。そんな折、仕事でミャンマーの農村地帯を訪れ、調査する幸運に恵まれた。
訪れた先は未開の地。日本人を初めて目にする少数民族のエリアだった。無論、私にとっても初めて目にする人達だった。高原地帯シャン州の農作物市場を訪れると多種多様な民族衣装に彩られた人たちで溢れていた。率直な第一印象は、STAR WARSのワンシーンに宇宙酒場が必ず登場するが、正に、その印象がピッタリと感じられた。それはそれは、今までに受けたことが無いインパクトであった。「美しい」という感情と「強い」という印象が入り混じった姿だった。その人たちが纏っている民族衣装は正真正銘のホームメイドだ。綿花を育て、糸を紡ぎ、草木や藍で染め、木機で織り、手で縫い、刺繍を施している。これほど芸術的なMODEがあるだろうか。
私は、こんな服づくりに携わりたいという憧れを抱いた。
今、一番実現したい〝Yume〟になった。
アジアには、まだ幾つか伝統的な生活の中で、布作りをしている村が在る。
そんな貴重な村人たちと、いつか一緒に物づくりがしたいと熱望している。
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