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人と音楽のあいだを満たすものについて

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人たちのかけがえのないいとなみと連動する音楽のことを考えたい。 音楽学者ではないけれど、いえ、だからこそ見えてくる音楽があるはず。音のない音楽のことや、自然のなかの音楽のことなど…
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#music

手加減、目分量、こんな感じ・・と音楽と

今日のお話 手加減とか目分量っていうのは ざっくり、っていう感じと、そっと、という感じがあいまって それが程よいランニング感になっていくとうまくいく気がします。 それは、昔よくやっていた編み物や縫い物も、 そして音楽も、同じかもしれない。 という話と、 ちょっと宣伝もしてます。 手芸の手加減、目分量 昔、まだ30代だった頃、縫い物や編み物が好きでした。 一枚のセーターを作る前に、作ろうと思っている毛糸で小さな四角いゲージというのを作ります。それで自分の手加減や、編み棒の

小さい声に、小さい声で答えること。

ピアノレッスン生のグループワークの時。 幼児さんクラスは 生徒の一人が即興で何か歌い出したかと思えば、 それをいつしかみんなで歌っていたり、 クレヨンを人に見立てて友達とごっこ遊びをやったり、 好き放題やっているようだけれども、 私が小さい声で話し始めると、同じようにトーンを落としてくるようになった。 場を読み、場を作るのが上手くなってきてるなと思う。 そういう遊びの言語をだんだんとこの子達は身につけてきている。 歌はいつも手遊びや、ドローイングと一緒に。 歌を歌だけで歌

音と音のあいだに音楽がみえる

どうして音楽に心揺れるんだろう音楽って、私たち、わかっているようで、結構謎なところもありますよね。 謎も人それぞれなのかもしれませんが。 ”音楽ってなんやろうなあ、どうしたらもっとなかよくなれるのかな・・”と思い巡らせて、結局私がたどり着いたのは、音楽って音の点のところではなくて、音と音の間にあるんだということでした。 そこ、音と音のあいだって、人の感覚や体験があるところでもあります。 実際何か音楽から直感的に受け取っているのは、音一つ一つではなくって、そういう体験の

譜読みの仕方をかえてみる

なにか新しい曲に取り組みたいと思いました。 と、同時に譜読みの仕方でひとつ取り組んでみたいやり方があるので、それを試して見たいと思います。普段の習慣にないやり方って、根気がいるから、できるんかな。一応ここに宣言してみる。 普段の譜読み〜納得の演奏までのプロセスまあ、演奏に完成なんかないと思っているので、自分が納得が行くまでしつこくやり続けてしまいます。演奏会とか試験とかの期限がないというのは自由でいいぞ。 ただその分、いつまでも掘り下げて、いつまでも同じ空き地でずっと遊んで

譜読みの仕方を変えてみる2

今までの譜読みのやり方を変えて新しい曲に取り組んでみています。 生徒への対応にも影響しそう。今までの習慣を変えるって、どんな苦行になるかと思っていたけど、以外にも夢中です。いやー楽しい。 選曲も良かったのかなと思います。ベートーヴェンに飢えていたらしい。 今日は第二テーマ23小節目から。ここから徐々に転調・ドミナントトニックの冒険が始まっていきます。 なんていうかな、解読しながら森の中の迷路を進んでいくような。だから意外な次の展開におおっ!てなります。それつまり、アナリ

音楽と腹の括り方

中学校の音楽の先生に教えられたのは、”音楽”と”腹の括り方”が、深い関係にあるということだったかもしれない。昨日、私の音楽室の掃除をしながら、懐かしく先生の姿や声を思い出しながら、そんなことを考えていました。 ひとつひとつ整理しながら、先生はそういえば、壁のが額縁もきっちり飾るように気を配っていたし、床も自分で拭いておられた。爪の垢ほどのものにもなれない私だけど、こういう有事だからこそ、整えたいと思うのは、先生の影響もあるのかもしれない。 そうして、音楽室を整えながら、気持

子どもから音楽は奪えない

どの口が・・・・数日前に、こうやってつぶやいた私ですが、 全くどの口が言うかな、とあとから冷や汗出ました。 私は、親としてはからきしだめなやつでした。 娘のピアノを教えていたとき、レッスンのときだけでなくて自分で練習してるときも指の上げ下ろしに文句つけていたし、 息子には、我が子ゆえにレッスンの時間は後回しで飛ばしがちになったうえに、せっかく練習していた曲を人に聞いてもらったときに無茶苦茶いちゃもんつけたりしました。多分、そういうときの私は鬼のような親だったと思います。

これからの音楽教室を考えてみる

是非音楽教室の先生にも考えてもらいたいとおもいたって、書いています。もちろん、音楽教室の人ではない人にも読んでいただけたらうれしいです。 求む、同志。ウチは街の小さな音楽教室で、働いている私も音楽大学も短大卒で、化粧とかは適当だし、すごいなにかの賞をもらったこともなく、猫も時間の途中で邪魔するし、犬は吠えるし、忘れ物は多いし、年賀状も書かない、あまりに音楽教室としての一般的なイメージから遠いので、じぶんでももっと音楽教室らしくならねば、と思うことも、以前はありました。でも、

五感って、感覚が5個ってわけでもない

ゲーテの目ゲーテは目の人だった、 と、なにかで読んだことがあります。なにだったかよくおぼえていないのですが・・それはどういう意味だったのだろうか、とときどきふっと思い出します。 よく、現代は視覚情報が溢れていて、人間の感覚も視覚過多だ、というようなことを耳にします。あと、視覚優位か、聴覚優位か、とか。現代人が視覚の情報過多、というのはそのとおりだと思うし、視覚に対峙させるのが聴覚、というのもわかる。でも、自分はどうなんだろう、ということでこれを考えてみると、私はどうも、ひ

音楽を”見る”ために必要なことと必要のないこと。

立派な学歴や業績があるではないけれど、いいの。 私にはなんの後ろ盾もない。 それで、正直すごく心細い。 なにか目に見える実績があるでなく、 立派な学歴や業績があるでなく、 日々、utenaの戸を叩く人と一緒に 音楽とともに生きようとする動線を描いてきて 延々それが語りかけるもの、見えるものから 教えてもらいながら、 人から生まれる音楽と、もう出来上がっている音楽をながめていた。 音楽というのはその人の中にある。 喜びにもいろんな喜びがあるし、 悲しみにもいろんな悲しみがあ

音楽理論は点、それと名前のない音楽のなにか

音楽っていうのは音の点の集まりではなくって 時間だったり、空間や質感だったり、だとおもう。 でも確かに点もある。 点があるから楽器で奏でることができる、人と共有もできる。 点は、楽譜に振りまかれた音楽のこの世的な顕在化。 だから音楽理論に基づいて音を鳴らす点を表した楽譜は 音楽がこの世的に着地するポイントを表す。 ”音符”という点で。 楽譜が点なのは、音楽理論が点だから。 音符は音をだすその瞬間の現れを書いてある。 音楽を理解するのに、これはこれでちゃんと見えて、聞こえて

絶叫グループレッスンが静かになった日

可愛すぎる音符の玉は、なぜか低学年の男の子が大好きなやつ。 これだけはとまらない・・・・ これまでのグループレッスン風景男の子二人のグループレッスンはいつも大騒ぎで、これまでの1年間子どもたちはふざけまわり、一時間のレッスンのあいだの実質20分ほどしか学習にならないような感じでした。 人の話は聞かないわ、突っつくわ、抱きつくわ、教室のものは勝手に持ち出すわ、譜面台は振り回すわ・・・ ふたりとも音楽は暴走気味。拍も拍子も共有もなく、とにかく喚いて楽しんでいる様子。 それでも、

音楽教室と自閉症の相性

半年ほど前から utena music field に通ってきている小学校1年生の男の子の様子が少しかわりはじめてきた。 坊の登場最初ご両親と一緒にやってきたその子は、部屋の中のものを引っ張ったり、叩き落としたり、水道の蛇口を思い切りひねってみたり、大声もだすし、しまいにはグランドピアノの弦が張ってある本体の中にものを突っ込もうとして思わず、私もそれはやめてくれ!と声をあらげたり、で、ご両親によろしくおねがいしますと言われましても、正直、やっていけるんだろうか、と思った。こ

教えるではなく、伝わる、を目指して。

音楽教室、の「教室」というのにどうも馴染めないから、屋号から「教室」というのを取っ払って、でも、「街のおとや」であることはわかるようにしとかないといけないから、代わりにmusic fieldをいうのを、つけた。英語は苦手だから、正直これもこそばゆいけれど、教室より、自分としてはずいぶん気が楽になった。それでやっていこうとしたのだけど、なにさま田舎なご自宅の一室、やっぱりほどほどな「教室」というほうが人様には馴染みよく、子どもを教える一部は今も「教室」と呼ぶ。気持ちだけは、狭い