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小説:駐在最後の日の悲劇(小姐に嵌まる男たちマガジン)


【はじめに

「帰任が決まったんだって?」
「そうなんだよ」
「それでいつなの?」
「一ヶ月後。浜名には本当に世話なった。ありがとう」
「何言ってんだよ。でもあと一ヶ月かあ。あっという間だろうなあ」

 帰任が決まった澤田は上海で出会った飲み友達だ。僕と同じ五十歳で、同じ五年前に上海に来た。共通の友人である酒井を介して知り合い意気投合。酒井は僕の高校時代の友人で、澤田と酒井は大学時代の友人だ。週に二回はこの三人で食事、いや飲んでいる。今日も三人で焼き鳥屋にいる。

「帰国することは、もうヤンヤンには言ったの?」
 僕も気になっていたが、酒井が先に聞いてくれた。

「いや、まだなんだ。今日言おうと思っている」
「そうか。じゃあこれから桃結びに行きますか!」

 ヤンヤンとは澤田の付き合い初めて二年ほどの愛人で、『クラブ桃結び』で働いている。毎月八千元のお手当を渡し、毎週土曜日の仕事上がりの夜から月曜日の朝まで澤田のマンションで一緒に過ごす。
 スラっとした綺麗系で、日本語も上手な店でも人気のある子だ。毎月八千元であんな美女と週末一緒に過ごせるというのは、中年駐在員の憧れである。しかも彼女はお手当以外に金銭を要求することはないらしく、他にかかるのお金と言えば、たまに一緒に行く旅行費くらいで、誕生日プレゼントも高額な物は要求しないらしい。それに一緒にいる週末の食事はいつも彼女が作ってくれるらしい。
 こんな愛人、男だったら誰だって欲しいに決まっている。こういうのを見せつけられると、自分にも中国ではそれができる可能性があるかも? なんて勘違いをするものだから、日本人男子は小姐に嵌るのかも知れない。

 結構早い時間帯に着いたのに『クラブ桃結び』は相変わらず日本人客で賑わっていた。平日なのに凄い人だ。さっきの焼き鳥屋を出た時に予約をしていて良かった。

 個室に案内され、僕と酒井は二十人ほど並んだ小姐の中から好みの小姐を選び、澤田のところには少し遅れてヤンヤンがやって来た。

 僕と酒井は、澤田が帰国する話しをヤンヤンにいつ言い出すかワクワクしていたが、選んだ小姐があまりにも好みのタイプで会話が弾んでしまい、澤田の帰任の話しを忘れてしまっていた。

 小姐とカラオケを歌おうと思い、澤田の前にあったリモコンを取ろうと、澤田とヤンヤンの方に目をやった。

 ヤンヤンは泣いていた。声を出さずシクシクと泣いていた。澤田はヤンヤンの肩に手を回し、そっと抱きしめていた。

 本当は澤田がヤンヤンに帰国の話しをする時に、茶化してやろうかとも思っていたのだが、それを恥じた。

 酒井もヤンヤンが泣いていることに気が付き、キョトンと澤田たちを見ていた。僕の選んだ小姐は、
「どうしたの? 大丈夫?」
 と小さな声で僕の耳元で囁いた。

「彼、帰国するんだよ」
 と答えると、

「え゛! え~っ!」

 と小姐が大きな声で叫んでしまった。僕は急いで彼女の口を手で塞いだが、時既に遅し。数秒みんなの動きが静止した。

 ただ、そのみんなの静止がなんだか面白くて、みんなで笑い出してしまった。ヤンヤンも笑っていた。

 その後のヤンヤンに元気はなかったが、僕たちを楽しませようと立派に仕事をこなしていたように思う。

 この日、澤田はヤンヤンを連れて帰った。

***
 澤田が帰任する三日前、澤田の妻と娘が日本からやって来た。上海赴任が五年もなるのに、一度も家族が来たことがなかったので、最後に呼んだらしい。この日は澤田家族三人と酒井と僕の五人で、外灘の夜景が綺麗に見えるホテルで食事をした。

「ほんと、上海って綺麗ですね」
 澤田の奥さんが言った。

「上海のことを魔都って言いますもんね。夜景が魔都だもん」
 娘さんが言う。

「言い当ててはいるんだけど、魔都とはそういうのじゃないんだよね」

「じゃあ酒井さん、魔都ってどういう意味?」

 ドキッとした。思わず澤田の方を見てしまった。澤田は、こっちを見るな! みたいな顔をした。

「魔都っていうのはね。いろんな誘惑がある街のことを言うんだよ」

「ふ~ん、そうなんだ。どんな誘惑?」

 僕はまたドキッとして、澤田の方を見ると、話しを変えようとしたのか、澤田が話し出した。

「上海はね、なんでもあるんだよ。それでなんでも手に入る。お金があればね。そんな気分にさせる街なんだ。この夜景はそれを物語っている感じはするよね」

 答えになってないでしょう? 何を言っているかわからなかった。

「ま、いいや。誘惑が多いから気をつけなさいってことだね」

「そうそう。ところで、ご家族はどこに泊まってるの?」
 僕は話題を変えようと思って言った。

「お前、何をトンチンカンなこと言ってんだよ。澤田のマンションに決まってるだろう」

「あ、そっか」
 みんなが笑った。話題を変えられた。良かった。

「いや、実はホテルなんだよ。マンションは今日引き払ったんで」
「えっ? そうなの?」
「だから今日から僕もホテルなんだ」

 澤田のやつ、家族にマンションを見られないように先に引き払ったに違いない。そう言えば、ヤンヤンとはうまく別れられたのだろうか。今聞く訳にはいかないので、まだ今度聞いてやろう。

***

 澤田の帰任前夜、澤田から電話があった。家族と蘇州まで観光に行っていて、ホテルに戻ったのが遅くなってしまったので、会うことが出来ず、申し訳ないと言っていた。

 そして、ヤンヤンとはさっきまで一緒にいて、ちゃんと別れて来たと言っていた。家族には、僕と酒井に会うということでホテルを抜け出し、ヤンヤンに会いに行ったと言っていた。僕と酒井を利用してしまったことも謝っていた。ヤンヤンにお金を渡そうとしたが断られてとも言っていた。こいつら愛人とはいえ、愛し合っていたんだなと思ったが、お金を受け取ってもらった方が澤田に取っては気が楽になったかも知れない。

「また日本でお会いしましょう」と約束をし、電話を切った。

***

 夜中の一時、携帯電話が鳴った。酒井からだった。

「もしもし。澤田と一緒じゃないよね?」

「違うよ。もう寝てたもの」

「澤田が帰って来てないらしい」

「どういうこと?」

「さっき、奥さんから電話があって『俺と浜名に会いに言ってくる』と言って出て行ってから帰って来てないって」

「えっ!? 1時間くらい前に電話あったよ」

「俺もあったよ。ヤンヤンに会って来て、ちゃんと別れて来たって」

「電話は?」

「通じない」

「とにかく家族がいるホテルまで行こう」

「わかった。じゃあ後で」

***

 ホテルに到着した。酒井がロビーで待っていた。

「『桃結び』に電話したらヤンヤンは今日は休んでるって。それでなんとかヤンヤンの連絡先を聞き出したところ」

「そっか。電話してみよう」

 ヤンヤンは電話に出た。十二時くらいまで一緒にいたとのことだった。心配なのでヤンヤンもホテルまで来るとのことだった。

「家族どうする?」
「ヤンヤンのことは言えないから、心当たりを探すので、部屋で待機していて欲しいと伝えよう」
 と言って酒井は家族に電話を入れた。

 僕たちはロビーでヤンヤンが来るのを待ちながら、澤田が行きそうな店に電話を入れたが、澤田はどこにも立ち寄ってはいなかった。

「ヤンヤン遅いな」

 酒井が痺れを切らし始めた。ヤンヤンに電話を入れてから三十分は経っていた。すると酒井の携帯電話が鳴った。ヤンヤンからだった。

「もしもし」

「・・・・」

「もしもし」

「・・・・もしもし」

「もしもし、ヤンヤン?」

「うん。どうしよう」

 ヤンヤンの鳴き声が漏れて聞こえる。

「どうした?」

「交通事故」

「交通事故!? 澤田がか!?」

***

 澤田は駐在最後の日、家族のいるホテルを抜け出しヤンヤンに会いに行った。ヤンヤンの青春の二年間をもらった、いや、恐らくもう一度青春というものを五十歳手前で経験させてくれた二年間のお礼として、現金を渡しに行った。だがヤンヤンはそのお金は受け取らなかった。最後の言葉は「今まで本当にありがとう」とお互いに言ったと言う。

 ホテルへの帰り道、酒井と僕に電話を入れた。その後、飲酒運転の高級車に轢かれて亡くなった。

 お金は無くなっている。

 僕も酒井もヤンヤンも警察に事情聴取された。死亡したのが外国人ということもあり、あまりややこしくしたくないからか、僕と酒井は、澤田との関係性と最後の電話の内容を聞かれただけで解放されたが、ヤンヤンは根掘り葉掘り聞かれたようだ。

 最後にヤンヤンに会いに行っていたことを家族に隠すことは出来なかったが愛人関係であったことは言わなかった。奥さんは薄々感じていたのかも知れないが、酒井にも僕にもそういうことは聞かなかった。

 駐在最後の日に、家族に黙ってホテルを抜け出し、愛人にお金を渡しに行ったが受け取ってもらえず、そして家族の元に帰る途中に車に轢かれて死んでしまい、愛人に渡すはずであったお金は紛失。

 澤田! ロケンローの歌にもならねえよ!

 澤田、頼むよ。

 澤田、頼むよ。

 澤田、頼むよ。

(終わりz)

【小姐に嵌まる男たちマガジン


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