遠目には黒い紐に見えた。近寄ってみると蛇の子どもだった。体長は二十センチちょっと。JR新幹線駅の東口を出てすぐの、駅前広場のフロアタイルの上に横たわっている。尻尾の後方の、コンクリートの柱と床との接合部に、蛇が出入り出来そうな亀裂が開いている。その奥に巣があるのだろう。小さな頭を僅かに床からもたげているが、なにしろ全身が真っ黒なので、どこが眼なのか皮膚から判別するのが難しい。駅前広場のずっと向こうを眺めているような姿のまま、ピクリとも動かない。その眼にはどんな世界が映っているのか。親や兄弟はいるのだろうか。皆で暗い巣の中で身を寄せ合って、地上へ旅立った家族の行く末を案じているのかも知れない。もしかしたら、この駅の地下は蛇の巣だらけなんじゃないか? 蝮や青大将がとぐろを巻き、山楝蛇や縞蛇やハブが這い回る、蛇の王国が広がっているんじゃないか? 外来種のでかい奴ものたくっている? 在来線の列車がホームに入る音がそんな想像をかき消す。背後を若い男女の笑い声が横切って行く。小さな頭が僅かに動いた。
⦅蛇の子どもは進み始める。生まれ育った場所に別れを告げ、駅前広場を這って行った遥か先には、迷路のような街が広がっている。それは彼にとって、穴や溝や亀裂やいろんな質感を備えた凹凸の連続だ。アスファルトやコンクリートばかりじゃない。樹や草や土や水場もある。餌になる虫にも困らない。そんな格好の遊び場を横目にしながら、蛇の子どもは進んで行く。漠然とした予感を胸に抱きながら、街の中心部を抜け、海岸べりの家と家の間の、暗い排水溝の縁を這って行くと、ふいに視野が開けて、蛇の子どもはいっぱいの光に包まれる。目の前には真っ青な海が広がっている。すると飛び魚のような胸ビレが左右に生えて、蛇の子どもは海へ、海の沖へと飛んで行く。⦆
駅構内のうどん屋で昼食を済ませた。職場への帰りにまだいたら駅員に告げようと思ったが、そこにもう蛇はいなかった。
*国民文化祭あきた2014 入選作品を少し推敲したもの
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?