【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part28【「第10章 声楽演奏のための種々な要素」p101_1行〜p104_4行】
本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第10章 声楽演奏のための種々な要素(p101_1〜)に入っていきます。
第10章 声楽演奏のための種々な要素(p101_1〜p110_20)
今回の三行まとめはこちらです。
・フレージングの最もシンプルな方法はいくつかの音程をまとめて1つの単位にすることである。
・発声器官が「完全な統一体」となることで、フレージングを作り出す「声の流れ」が現れる。
・フォルテにおいて重要なのは、「内筋の働き」と、それによって現れた「核心」を「膨らませて響かせるための喉頭懸垂筋群の働き」である。
この章では、ここまでの内容で学んできた「声」に関する知識をベースとして、様々な声楽歌唱テクニックについての解説が行われます。
・フレージングー「声の流れ」(p101_1〜p102_10)
内容に入る前にそもそもフレージングとは何か、ですが
簡単な説明として「フレーズを作り上げる技術」「旋律をフレーズに区切ること」といった表現がされます。
ではこの一般的にも用いられる「フレーズ」を言葉で説明するとどうなるか、
「楽曲の中で一区切りを感じさせる音符のまとまり」、あるいは「旋律のまとまり」と表現されます。
入れ子構造の説明となってしまいましたが、それを作り上げることが「フレージング」と呼ばれるということです。
ではここからフースラーの記述を見ていきましょう。
『フレージングの最もシンプルな方法は、いくつかの音程をまとめて一つの単位にすること。』
”声楽的フレージングの何よりも簡単なやり方は、いくつかの音程をまとめて、ひとつの旋律的な単位に結合すればよいのだ。”
この文は先ほどのフレーズとフレージングの説明を前提とすると、難なく理解できる文かと思います。
最も簡単な(シンプルな)フレージング、すなわちフレーズのまとまりを感じさせる技術は、「いくつかの音程をまとめて、一つの旋律的な単位に結合する」であると述べられています。
具体例を挙げるといくつかの音程の変化が続く中で、途中でノイズが入ったり、声色の突然の変化、いわゆる声区の断絶とも呼ばれる現象が起こったりせず、スムーズに音程が移行して1つの単位にまとめられていること、それが最もシンプルなフレージングの技術であると述べられているわけです。
『歌手は「声の流れに乗せて演奏しなければならない」と言う。科学的な学者は「気流は一定の方向に流れるが音波は全ての方向へ広がる、すなわち音の流れというものはありえない」と言う。』
この段落は歌手の意見と学者の意見が相反するものであることを述べています。
・歌手にとっては音楽の美的感覚として「声の流れ」「音の流れ」が存在する。
・学者にとっては、当然気流には「空気の流れ」が存在するが、音波は広がるものであって一定の流れは存在しない、故に「音の流れ」というものは存在しない。
このように分けて書くと理解しやすいです。
フースラーは学者の意見を、”物理学的には声の流れはなくても、”と続けており、その科学的な意見を受け入れているように読めます。
しかし、それを受け入れた上で、『声の流れは発声器官で「決まったやり方」が行われた結果生じており、「声の流れ」は存在する。』と述べます。
では「声の流れ」とはどういったものなのか、さらに記述を見ていきます。
『発声器官の全体がよく強調しあって、例の「完全な統一体」となった時に「声の流れ」は自動的に現れる。』
この回答は「またか!」あるいは「やはりか!」となるかもしれません。
フレージングについての解説で初めに「フレージングのシンプルな方法としていくつかの音程をまとめて一つの単位にすること」と説明しましたが、その際の具体例で挙げた内容を今一度振り返ります。
”具体例を挙げるといくつかの音程の変化が続く中で、途中でノイズが入ったり、声色の突然の変化、いわゆる声区の断絶とも呼ばれる現象が起こったりせず、スムーズに音程が移行して1つの単位にまとめられていること”
これを逆説的に考えると理解しやすいはず。
すなわち、旋律的に美しい一つの塊「フレーズ」を作るにあたって、想定されていないノイズなどが入ってくることこそが、発声器官が「一体」と成らず「崩壊」してしまっていることを示しているということです。
発声器官を「一体」と成すこと、これが実現すれば美しい旋律の塊「フレーズ」を作り上げることができるというフースラーの主張は、ここまでの記述と一貫性があり、非常に理解しやすいです。
こういった考え方を土台にして、フースラーは「流れるように歌えない歌手は発声器官が重度の協調障害に陥っている。」と述べているわけです。
『フレージングの難易度と発声器官の天性(訓練される前の解放具合)によって、簡単なフレージングは行えるものの、やはり発声器官を制御下におけていなければ難しく芸術的なフレージングを行うことは難しい』
『オペラの下稽古をする音楽家は、発声器官が十分に解放されていないのに、芸術的なフレージングをやらせようとさせられるが、非音楽的なつぎはぎ細工にしかならないのが常である』
と続けられ、フレージングについての記述は終わります。
結論、発声器官の解放が十分にされ、それを構成する器官達が一体(統一体)となって初めて、美しいフレージングが実現するのだというのがフースラーの主張であると捉えることができます。
・フォルテ(p102_11〜22)
『声帯内筋の働きによって現れる「強声の核心」と、それを膨らませて気持ちよく響かせるための喉頭懸垂筋群の働きが重要である。』
強声=フォルテ、一言で表せば「強い声」です。
この見出しは以下の2点が肝です。
・声帯の内筋(声帯筋)が収縮し、全幅で振動することによって強声の本体(実体、実質)が現れる。
・”その上さらに”喉頭懸垂筋群の働きによって声にふくらみ(幅、量)が付け加わり、気持ちよくひびくフォルテが可能となる。
二つまとめて表すと、内筋の働きによって強声の核心となるものが現れ、それを喉頭懸垂筋群の働きによってより「ふくらみのある、気持ちよく響く」声へとしていく、ということです。
そして『喉頭懸垂筋群の働きがある状態、すなわち「膨らます能力を失ってい無い時にだけ」本当の声楽的な音質であると見なすことができる。』
『そうで無い場合には声を強めることが必要になると、何らかの力ずくで押し通すやり方で行われる。』
とフースラーは続けます。
読みにくく感じる方もいらっしゃるでしょうが、こういった表現一つ一つがが理解を妨げていると言えます。
これらの文で言いたいことは一体何なのか、その答えはシンプルです。
『喉頭懸垂筋群が働かなければ、本当の声楽的な音質の声とならない。』
これが言いたいことの「結論」と読み取れる訳です。
・誤っているか、そうでないとしても疑問のある強声の出し方(p102_23〜p104_4)
先ほどまでのフォルテについての記述、フースラーの主張を踏まえた上で、それに当てはまらないフォルテの出し方について疑問を投げかける見出しとなっています。
強声=フォルテを出すための方法がいくつかあり、比較的優れた歌手によって「高度のドラマティックな効果」を出すために用いられていると始まります。
しかし、その方法は「声帯を自由に楽々と振動させる」という原則を否定するものであると続けられる通り、フースラーはこの「フォルテを出すためのいくつかの方法」に否定的な意見であることがわかります。
「声帯を自由に楽々と振動させる」という原則についてはこれまでの「呼吸」「声区」「アンザッツ」の章で詳細が述べられているため、ここでは要約されます。
早速その「フォルテを出すためのいくつかの方法」を見ていきましょう。
『1.強制的に横隔膜を下げることによって喉頭懸垂筋群を働かせる方法』
この辺りの見出しが読みにくい原因は「その方法」が結局何なのかが、文章の頭にきていないことにあります。
本ブログでは理解しやすい表現をとっていきたいため、まず「その方法」が何なのかを先に書いていく流れとしています。
この1の方法がこれまでフースラーが述べてきた原則からどのように外れているのか、それは呼吸器官に関連する記述で繰り返し主張されていた内容、「第2の傾向性」や「誤った支えのやり方」に相当します。
この方法では強制的に横隔膜を下げると述べられていますが、横隔膜を下げるというのは肺に空気が入っている状態を指しており、強制的に行うとある通り、肺にたくさんの空気を吸い込むという状態を述べていると考えられます。
そして、そのたくさん空気を吸い込んだ状態、胸郭を広げられた状態を無理やり作り出したことによる肺からの過剰な空気圧力によって喉頭懸垂筋群と仮声帯を働かせてフォルテ(後ほどこれを「このような大声を出す方法」と表現されます。)を出すという方法であることが記述から読み取れます。
これは「呼吸器官」の「第2の傾向性」の内容にあたります。
いわゆる咳、排便、お産などのさいに力んで胸腔内が圧迫される状態です。
『この大声を出すやり方は、発声器官が持つ機能的な合理性に背くものであって、あまりしつこくやっていると内外喉頭筋群と呼吸器官との間の強力の均衡が破壊されることがありうる』と述べられます。
「発声器官」を構成するのは内外喉頭筋群だけでなく、呼吸器官も含まれていることを考慮すると、これは由々しき事態です。
これがフースラーが「誤っている、あるいは疑問のある強声の出し方」の一つ目です。
『2.声門閉鎖筋が痙攣的に働いて出す、叫び声のような方法』
この2のやり方は文量としても少なく、説明する箇所が少ないです。
故に上の1のやり方との違いがわからないという方もいらっしゃるかもしれません。
最も簡単な違いは「喉頭懸垂筋群を働かせようとしているかどうか」です。
1のやり方は喉頭懸垂筋群を働かせるために、強制的に横隔膜を下げて…といった流れで、フースラーは誤っているやり方としつつも喉頭懸垂筋群を働かせようとしたものであると説明されています。
つまり外喉頭筋の働きが良い方法では無いにしろ有るということです。
一方、この2のやり方は声門閉鎖筋が痙攣的に働いて…とかかれている通り、内喉頭筋を強制的に働かせた叫び声のようなものであるといった説明がされています。
この声が声楽的美しさが欠けている声であろうということは、これらの説明からも容易に想像できるかと思います。
今回はフォルテについての説明までの更新となります。
次回はピアノについての説明に入っていきます。
よろしくお願いします。