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【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part13【「第4章 解剖と生理」p45 19行〜p49 14行】『第3部 呼吸器官』その2

本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第4章 解剖と生理 「第3部 呼吸器官」の続き(p45_19〜)に入っていきます。
(今回は歌唱における呼吸器官の働き、特に呼気運動についての記述を追っていきます。)


第4章 解剖と生理

今回の三行まとめはこちらです。

・呼吸における足場枠組を作っていく純粋の呼気運動は、胴体下部から内上方への運動である。

・横隔膜の筋緊張によってある程度の度合いで下方へ向かって抑える運動が働いて、呼気運動が短時間で終わるのを抑制する。

・これとともに声門が閉じ、声帯が伸びることで、歌唱における呼気運動が出来上がる。


第3部 呼吸器官(p45_19〜)


・筋緊張性呼吸調整(p45_19〜p46_17)

筋緊張性呼吸調整とは何か、それがまずp46_1から説明されますが、結論は3行目から書かれています。

”横隔膜の筋緊張の増減は自動的に肺の空気の量によって調整される、これが筋緊張性呼吸調整である。”

どのように調整するのかは1行目からで、
①肺に空気が多くある時、横隔膜の筋緊張は少なくなり、張りがないため胸腔内へ引き込まれます。
(多く吸い込んだ時、は意訳です。原著の表現は②と対比できるこのような表現になっているようです。)
②肺の空気が少ない時、横隔膜の筋緊張は大きくなり、張りがあって比較的平らになり低い位置をとります。

呼吸という絶え間なく行われる動作の中でこのような法則に従って横隔膜は働き、律動的に運動を繰り返しています。

そしてこれは繊細な調整であり、極めて脆い、乱される、あるいは破壊される危険に晒されているとフースラーは述べます。

特に「重い声」いわゆる声楽におけるバスなどに属する方々は、クラシック声楽の発声指導により、胸郭を広く!であったり、胸を開いて!といった指導で肺を空気で膨らませすぎてしまうきらいがあり、その結果先ほどの法則に伴って横隔膜の筋緊張は失われます。
しかし歌を歌う際に横隔膜の筋緊張をなんとか作ろうとし、意識的に過度に緊張させた状態を作ってしまう、あるいは横隔膜の緊張を作ろうとした結果呼気圧迫が起こってしまい、結果として前呼吸器官を永続的に迫害し続けてしまうのだと述べています。

フースラー曰く、「偉大な歌手」たちはそのようにならず、この呼吸に伴う横隔膜の働きにかなったやり方を維持し続けており、「いつ息をついだかわからない」ように歌唱が進行し、フレーズの始まりと終わりにも雑音はなく、吸気を行うことなど問題にならないようです。

横隔膜は呼吸の際に働くもの、という認識は一般的にあるかと思いますが、横隔膜の働き方の記述については、フースラーと自分で認識と違ったという方がいらっしゃるかと思います。

実際にフースラーが述べたように働いているのであれば、特に呼吸に関して細かく指導し、不自然な(非生理学的、生理学的に正しくない)呼吸となってしまうと、結果的に歌声を不自由にしてしまう場合があるということがここの横隔膜の働きに関する記述からも推察できます。

そしてこの記述からわかる重要な点、それは「息をたくさん吸い込むことは、横隔膜の働きが鈍くなってしまうから、そうしないほうが生理学的に正しい」ということをフースラーが述べていると取れることです。


・呼吸の足場枠組(p46_18〜p47_8)

ここでフースラーは次に述べる体幹の筋肉が働くことで、呼吸の過程が妨げられずに運動を自由に行える「足場のようなもの」が整えられる。と述べます。

ずばりどのような筋肉のことなのか、それは25〜28行目に述べてあり、さらに図48にその筋肉のおおよその位置と働く方向が図示されます。

①深部にある長い背筋「脊椎伸筋」
(尾骨の上半部から起こり、脊椎を上方に走って頸部まで達する。頭蓋底まで連続するものも)

②下部の「腹筋」(およそ帯から下方)

③いくつかの「臀部の筋肉」(この過程の際は骨盤を前方へ回す)

といった3種類の体幹筋の働きとその方向が示されます。

こういった呼吸の足場を作る筋肉たちの働きはいわゆる現代人の一般の方々は発達がわるいようです。
逆に「天才的な自然歌手」はこの呼吸の足場を作る筋肉たちの働きが十分に発達しているということが述べてあり、故にこういった「天才的な自然歌手」は模範として注意深く観察してほしいとフースラーは述べます。

ここまで読むと「呼吸の足場」は「特定の姿勢」を取るということなのか、と考えられるかもしれませんが、フースラーはそうではないと述べます。
「固定した姿勢」によるものではなく、運動の中から獲得するべきもの、そして次の見出しで述べられるように、歌を歌う際に呼気の動作が正しく行われるのであれば、この「呼吸の足場」は自ずと出来上がるのだとしてこの見出しを締めくくります。

ここから、呼吸の足場を作るための「特別な訓練」や、「特定の姿勢」があるわけではないということがわかります。

一つ前の見出しの説明でも、息をたくさん吸う必要がないと述べてあったり、呼吸の足場を作るためにも特定の固定した姿勢はないと述べてあったり、ここまでのフースラーの記述では、少なくとも「歌うために特別な息の吸い方をする必要はない」という話の流れになってきているように推察できます。

ではどのようにして生理的に正しい呼吸ができるのか、呼吸の足場が出来上がっていくのか、次の見出しを読んでいきましょう。


・発声呼気における呼吸器官の運動 = 英:歌唱における呼吸器官の動き(p47_9〜p52_28)

ここは、原著英語版の”Movements of the Respiratory Organ in Singing”の記述に従って、記述を修正すべきと考えます。
なぜならこの見出しは最初の方こそ呼気運動についてですが、吸気運動についての記述もあるためです。
原著ドイツ語版では邦訳のように呼気に限定した見出しとなっているようですが、後半で登場する吸気の記述、呼吸器官の循環運動の記述を考えると、ここの見出しはもっと大きな括り、「呼吸器官の動き」とするべきと考えます。


   純粋の呼気運動(p47_9〜p48_13) 

”呼気の呼出は歌唱に際しては、胴体下部の内上方への運動によって行われる”

この一文は驚くべきことと解説版では触れられています。
その理由は、従来の声楽発声指導では「息の取り入れ方」についての指示はいろいろあるものの、「息の吐き出し方」に関する指導、説明はなかったからだとしています。
肩甲骨式、肋骨式、腹式、横隔膜式、背面式、あるいはこれらの組み合わせで「どれが正しいか」が議論されており、どのように息を取り込むかが常に論争の的となっている中、フースラーは「息の吐き出し方」にフォーカスした記述をしています。
実際、基本的に歌を歌う際は呼気発声が用いられていることがほとんどですから、「自由に意図する歌声が出る息の吐き方」を考えるべきではないかと解説版は述べます。

続く括弧内の記述、
(胸部を沈下させることによって、それが上方から行われるとすると、それによって声楽発声機構(発声器官)は自ら崩壊してしまう。例えば胸骨喉頭筋(胸骨甲状筋)の最大限の収縮はほとんど不可能であろう)
ここの記述は、おそらく発声指導で動作イメージを使って指導する際に用いられる「押し下げて」のような言葉に対するカウンターと考えられます。

フースラーの述べる呼気運動は胴体下部の内上方への運動であり、何かの筋肉で何かの器官を押し下げる運動はどこにもありません。

故に、そのような指導では「発声器官」は崩壊してしまう。例えば胸骨甲状筋のような喉頭を引き下げる筋肉の収縮が妨げられるということを述べていると読むことができます。

p48_2から先ほど「胴体下部から内上方へ」とざっくり触れられたこの呼気運動についての詳細が述べてあります。

・背面 下部浅層の背筋……胸部の背面と一部の側腹をマントのように包んでいる。(図50、45)
・前面 上腹壁筋……胸郭の上を上方まで伸びている。(図49)

これらについてはどういった筋肉をさしているのか、図を見ていただくとわかりやすいです。

背面は図50、最も広い外側の背筋 闊背筋(読みとしては「かっぱいきん」)=広背筋が図示されています。

前面は図49、a)直腹筋=腹直筋のこと、b)外斜腹筋=外腹斜筋が図示されています。

フースラーはこういった筋肉たちが働く呼気のやり方によって、
・胸郭の固さが取れ、
・のど(喉頭とその周囲の筋肉群)と呼吸器官がよく強調して連結され、
総合体(一体)となると述べます。

そしてその結果、舌筋と舌骨筋の習慣的な置き方や使い方は消え去る……この表現は、これらの筋肉が歌声の自由さを確保するにあたって何かしら足を引っ張ってしまっているような使い方となっているものが「取り除かれる」と私は理解しています。

そして、この呼気の過程で
”のどの中には、「零点」というものが生じ、声の訓練や歌の練習は常にそういう状態から始められるべき”
とここは若干わかりにくい記述が続きます。

ここでの「零点」は原著英語版で”a neutral condition”つまり「ニュートラルな状態」という意味です。
こうなるとわかりやすいです。
こういった呼気運動が行われる過程で、のどがニュートラルな状態になり、声の訓練や歌の練習はそういったニュートラルな状態で始められるべき、とフースラーはここで述べているのです。


   対応運動(p48_14〜p49_14)

さて、声を出さなければならない時には、この簡単な呼出(呼気)の仕方では、息はかなり無駄に流れ出してしまうだろう。それ故それと同時に呼気を調整するための対応運動が加わらなければならない。この対応運動は横隔膜の収縮によって起こる。横隔膜は歌唱呼気の時にも吸気傾向を捨てない”

ここの冒頭の言葉は突然混乱を招きます。
これまで「こういった呼気のやり方をすることでのどと呼吸器官の連結がされ〜……」など、「純粋の呼気運動」を行うことで良いことありそう!となっていた直後に「この簡単な呼気のやり方だと息はかなり無駄に流れてしまうだろう」といきなりハシゴを外されたような語り出しです。

これについては解説版の記述をもって理解を進めましょう。
ここの理解のためにはこれまでのフースラーの記述を振り返ります。

呼吸器官の原始的機能の説明の際、(本ブログの前回、part12です。)
「ただの安全弁」であった喉頭の筋組織が、現代で声帯、仮声帯と呼ばれている2つの器官に分かれ、新たに二つの任務をもったと説明がありました。
簡単にいうと、胸腔の圧力を低く保って力仕事をすることと、胸腔の圧力を高くして力むこと。

そしてこの説明の際に、図47で
声帯は上側(外側)からの空気の流れに強い方向に、
仮声帯は下側(内側)からの空気の流れに強い方向に
ついていると説明がありました。
それすなわち、両方とも逆方向の空気の流れには適さない方向についています。

今回大事なのは声帯の話ですので抜き出して説明すると、「声帯の形は、呼気をせき止めるには不向きな形」ということになります。
呼気は下側、体の内側からの空気の流れですから、先ほどの説明とも合致します。

これを解決するのが、引用文後半で述べられる「横隔膜の対応運動」であり、歌っている間も横隔膜が収縮して息が無駄に流れ出てしまわないように調整する、と考えられます。

ただし、これでは息を吐いて歌っているのに、横隔膜という「息を吸う筋肉が働いて」調整していることになってしまいます。

ここでもう1段階、今回のブログで触れられている「筋緊張性呼吸調整」の項目で述べられた内容を振り返ってみますと、
肺の中の空気の量が多くなると横隔膜の筋緊張は弱くなる
肺の中の空気の量が少なくなると横隔膜の筋緊張は強くなる
といった話がありました。(故にたくさん吸う!というやり方では歌いにくくなるのだと。)
ということは、歌う時の呼気によって肺の中の空気の量が減っていき、横隔膜の筋緊張が強くなっていきます。すなわち吸気運動の準備をしている段階ということ、これが文章の最後に「吸気傾向は捨てない」とされている理由です。

話が長くなってしまいましたが、これが、そのままありのままのフースラーが述べる「純粋の呼気運動」では「かなり無駄に流出してしまので、呼気を調整するための対応動作が加わらなければならない」とされている理由と考えられます。

次の文から前後やつながりがわかりにくい文が続きますので、p48_19〜p49_1まで下記に要約します。

・最初の呼気運動=純粋の呼気運動、これは単純で、関係する全ての器官を駆動しての「胴体下部から内上方への」呼気運動である。
これを第1の運動と呼んでいる。

・この第1の運動の「胴体下部から内上方へ」の運動に対して、横隔膜の筋緊張によってある程度の度合いで下方へ向かって抑える運動が働くことによって、第1の運動が短時間で終わってしまうのを抑制する。
これを第2の運動と呼んでいる。

・この第2の運動と同時に声門は閉じ、声帯は伸びる。

・この第1、第2の対立する運動は呼吸を非常に細かく測って制御する「精密な道具」として機能する。

・最終的には呼吸器官からのどへと伝達される空気を制御して利用するのだ。

これがフースラーの述べる、歌唱時の呼気運動と横隔膜の働きです。

ここから続くのは裏付けと言える内容などです。
こちらも箇条書きで簡単に解説していきます。

・横隔膜は周囲が胸郭の縁に繋がっているが、その中で最も強い筋組織は背部内側にある。(図42)「偉大な歌手」は「背中で歌う」とよく言うことと、これが一致することからも、横隔膜の筋緊張が歌唱時の呼気にとって重要なことを示している。

・横隔膜はそれ以外には全く意識的な取り扱いはいらない。多くの歌手がよくやる横隔膜を硬く収縮させようとしたり、息を圧迫して横隔膜の前側に押し付けるようにして腹壁を硬くしようとしたり、といったやり方はまったく「誤り」である。

・今日蔓延しているこの害悪については今後も繰り返し指摘するべきことである。

このように、純粋の呼気運動とその対応運動における自然な横隔膜の運動以外で、横隔膜をなにかしらで意識的に緊張させることは「害悪」である、今後も繰り返し指摘するべき、と強い言葉でフースラーは否定し、歌唱における呼吸器官の、特に呼気運動の記述が終わります。


今回は、呼気運動で一区切りとし、吸気運動に関する記述は次回としていきます。

よろしくお願いいたします。

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