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【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part27【「第9章 アインザッツ」p98_1行〜p100_21行】

本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第9章 アインザッツ(p98_1〜)に入っていきます。


第9章 アインザッツ(p98_1〜p100_21)

今回の三行まとめはこちらです。

・アインザッツとは声の出し始めのこと。

・「硬い」「気息的な」「柔らかい」アインザッツがあるとされる。

・どのようなアインザッツであっても、よく神経支配の行き届いた発声器官であれば声の出し始めは問題にならず、それによって傷つくこともない。


・「アインザッツ」とは声の出し始めのことである。(p98_1〜3)

ここから先述べられる「アインザッツ」とはなにか、まず最初に一言で説明されます。
見慣れないこの単語は、一見前章の「アンザッツ」と似ていますが、全く違うもの、声の出し始めのことを指しているわけです。
これを前提として続きを読んでいきましょう。


・「アインザッツ」は「硬いアインザッツ」、「気息的なアインザッツ」、「柔らかいアインザッツ」があり、正しいとされるアインザッツは「柔らかいアインザッツ」である。(p98_4〜12)

ここは書き方が少しややこしいですが、シンプルにまとめることができます。
述べられるアインザッツは3種類あり、「硬いアインザッツ」と「気息的なアインザッツ」、「柔らかいアインザッツ」です。

①「硬いアインザッツ」はいわゆる声門打撃、声を出し始める時にピッタリと合わさった声帯の下に空気を堰き止めるやり方。
②「気息的なアインザッツ」はその名の通り、いわゆる気息的なもので、声の出し始めの前に強い息音を出すやり方。
③「柔らかいアインザッツ」は正しいアインザッツであるとされ、「雑音を出さずに、敏速に、流出している空気に対して喉頭がなんの抵抗も与えないように」するもの

そしてそれらについてのさまざまな意見がこの情報の合間合間に入っています。

・生理学者、音声学者、音声専門医達は、声の出し始めは発声器官を傷つけないやり方がよいと述べる。つまり①「硬いアインザッツ」は声を痛める恐れがあると考えられる。
・とはいいつつも、②「気息的なアインザッツ」も推奨する価値はない。
・医学的経験によると、③「柔らかいアインザッツ」が正しいことのように思える。

しかし、これについての異なった意見が次の段落で述べられていきます。


・一方、ラテン語系の流派では、声の訓練は「硬いアインザッツ」から始めるべきであるとされている。(p98_13〜19)

偉大な歌手や発声教育家、ラテン語系の流派では先ほどから一転、「硬いアインザッツ」を推奨しています。
例として歴史的な偉大な発声教育家、ガルシア、カルッリ等の名前をあげ、彼らはは発声教育の出発点として「硬いアインザッツ」を教えたとフースラーは述べます。

これは完全に相反する意見です。
この相反する意見からアインザッツの問題は解明できるとフースラーは続けます。


・結論、よく神経支配が行き届いた発声器官であれば、声の出し始めに問題を抱えることはなく、「硬いアインザッツ」も「気息的なアインザッツ」も使うことができ、それによって傷つくことはない。(p98_20〜p99_14)

結局アインザッツはどう言ったものがいいのか?
その結論としては、やや話が逸れているように見えますが上記のことがフースラーの述べている結論にあたると考えます。

それはつまりどのような声の出し始めだろうと、よく神経支配が行き届いた発声器官であれば問題なく出すことができるということ。
実際に歌を歌う場合にどのような声の出し方であろうとそれが声を傷つけたり問題を起こしたりすることはないということ。
どのようなアインザッツが正解なのかというという問いに対しては、
どんなアインザッツでも良い(但し書き、発声器官の神経支配が行き届いている前提で)
ということです。

といった結論を先に理解した上で、記述を順番に見ていきます。

まず、人々の発声器官はよく開発されていません。(これはここまでのフースラーの記述でもそういった旨の内容が多くありますから、ここまで読んできた方なら理解できるかと思います。)

そして声を出す時に肺から上がってきた空気は、衰弱している発声器官に出会います。
ではいったいどのような声の出始めになるか、
・ひとつは声門間隙に割れ目ができ、呼気が抵抗なしに漏れる、これは「間違った気息的なアインザッツ」
・ひとつは声門間隙は閉じるがそれが強制的に行われ、空気が声帯の下に堰き止められる、これは「間違った硬いアインザッツ」

この時点でわかるのは、解放されていない発声器官、すなわち神経支配が十分に行き届いていない発声器官では、「間違った」アインザッツになるということが述べられていることです。

そして先ほど述べられていた相反する意見、ラテン語系の流派の発声教師が「硬いアンザッツ」を推奨する理由は、北欧系の発声教師が取り扱う喉(=生徒)と比較して、ラテン語系の流派の発声教師が取り扱う喉(=生徒)が生まれつき良い為であるとフースラーは続けます。

つまり、ある程度神経支配の行き届いた発声器官である為、アインザッツ、声の出し始めが固くなってしまうことを取り除くためにその部位の神経支配を高めて、
アインザッツのコントロールをより高めるといった目的がある訓練であると推察できます。

より簡単にまとめると、「硬いアインザッツ」の訓練を偉大な発声教師達が推奨していた理由は、その教えられる側の生徒達の発声器官の解放具合、レベルがそれだけ高かったということであると推察できます。



・だがしかし、「硬いアンザッツ」の訓練を行うことは大いに警戒が必要で、専門的知識を備え、十分な準備工作をしたあとでなければやってはいけない。(p99_15〜p100_4)

そういった前提を踏まえるとよくわかりますが、なおのこと神経支配の悪い発声器官を相手にする場合は「硬いアンザッツ」にたいして拒否的見解を持つのは正しいとフースラーは述べます。

「よく神経支配の行き届いた発声器官であれば声の出し始めに問題を抱えることはない」と一つ前の見出しで結論付けたように、声の出し始めに問題を抱えるのは、発声器官の神経支配が行き届いていないことが原因ということがわかります。

つまり、危険性があるアインザッツ、危険性がある声の出し始めとなってしまうこと自体が、神経支配の悪さが原因で起こる「結果」であって、その出し始め自体が「原因」ではないということがここで述べられています。


・あらゆる声楽の問題に対して、「正常な人」というものは実は「正常」ではなく、音声衰弱的であるということ。(p100_5〜12)

この章の最後の補足であるスタッカートを除いて、この部分がこの章の終わりになります。

一般的に「正常」とされる人の発声器官は衰弱しているものであるという主張は、これまで何度もフースラーが述べてきた主張です。
これを念頭に意識して読んでいくことで、この章の内容についてもスムーズに理解しやすいかと思います。


・補足:スタッカートは一種の声門打撃である。(p100_13〜21)

これはスタッカートは横隔膜で行うものと主張する流派に対する意見です。
すなわち、硬いアインザッツの一種、その最初の動きの繰り返しといったことであるということです。
これについては補足的に述べられている内容であると考えます。




今回で第9章、アインザッツが終了です。

次回は第10章、声楽演奏のための種々な要素の解説に入っていきます。

よろしくお願いいたします。

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