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【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part19【「第6章 声帯の自発振動」p72_1行〜p74_15行】

本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第6章 声帯の自発振動 について (p72_1〜)に入っていきます。


第6章 声帯の自発振動(p72_1〜p74_15)

今回の三行まとめはこちらです。

・声帯は息の流れによって完全に受動的になっているのではなく、自発的に声帯自身が振動している。

・空気の流れがなくとも声帯が振動することは、様々な科学的研究からも明らかになった。

・自発振動する意義は、喉頭が発声時の下から圧力に対して防御として固めたり締めたりしなくてよくなることにある。


・歌声ができるときの声帯の振動は、声帯自身によって成立する。(p72_1〜11)

これがまさに「声帯の自発振動」……自己振動と表現した方がわかりやすい可能性もありますが、つまり声帯自身が振動するということです。

この主張は理解しにくく、突然のことに困惑する読者の方もいらっしゃるかもしれません。
声帯の振動は「空気(息)が声帯を通るときに声帯が振動する」と考えられるのが一般的であると考えられ、そういった知識を持っている方々にとっては「一体何を言っているんだ?」と頭が理解を否定する可能性が考えられます。
この章のようにフースラーの記述はそれまでの一般と考えていた自己認識と違う内容が多く現れる場合があります。
頭を柔らかく、一旦「こういったことが述べられているのか」と飲み込んでみることがフースラーの記述を理解する助けとなると考えられます。
では記述を追っていきましょう。

この「声帯の自発振動」は、従来ただ歌手たちの想像にすぎなかったため、「誤った仮説」だとみなされていたとフースラーは述べた上で、いわゆる一般論として、『正統的な学説によると声帯を振動させるものは呼気であり、その呼気は同時に声を伝える媒体でもあるということであった』と続いています。
(呼気=原著では息という言葉です。)

ポルステルパイプというクッションバネ付きの笛の具体的な形状などは不明ですが、一種の笛のようなものと考えられていたと言うことですね。
しかしフースラーは「発声器官」をこういった「単純化した比較物」を用いて発声の原理の説明をすることは適当では無いと述べます。
確かに笛の場合は固定された形があり、笛のような楽器それ自体は呼気の空気の流れに対して完全に受け身の形です。
そういった点で、これらを「発声機構」を表現する比較物としては適さないといったことを述べていると考えられます。


・声帯の中にある筋組織が自分から律動的に繰り返される振動状態に入る。(p72_12〜)

人間の喉での音のでき方は、「弦楽器での音のでき方」と一致する点があるのに対して、「管楽器の音のでき方」とは一致する点が少ないという説が新たに公にされたと述べられます。

そして次に述べられる主張によって、「声帯の振動は完全に受動的なもので、息の流れによって作られるものだ」という主張に対しての警告が与えられたと述べられます。
ではどのような主張でしょうか。みていきましょう。

”声帯の中にある筋組織が、半ばは声帯をぴんと張る筋肉による自主的な緊張によって、また半ばは声門を突破する気流によってつきおこされる受動的な元に戻ろうとする張力によって、おのずから律動的に繰り返される振動状態に入るようにさせられるのだと言うのである。”

やや読みにくい文です。
少し簡単にしてみましょう。

声帯の中にある筋組織が、とある条件で自分から律動的に繰り返される振動状態に入ります。
 →それは一体どのように?
   ①声帯をぴんと張る筋肉による自主的な緊張によって
   ②声門を通る気流に対して受動的な状態から元に戻ろうとする張力によって

こういったことが書かれています。

ここで重要なのは笛のように空気の流れが続くことによって空気の振動が続くという原理ではなく、声帯自身の緊張、または空気の流れから元の状態に戻ろうとする張力によって声帯が振動するということ。
これは明確に笛と違うと言えます。
弦楽器といっても広いですが、共通して言えるのは「弦が引っ張られながら張られている」「ぴんと張られた弦が振動することで音が出る」という原理があることです。
ヴァイオリンなどがわかりやすい例でしょうか。
張られたもの同士が接触することによる音……弦と弓の接触による空気の振動です。
あるいは弦をはじいたときに、ぴんと張られた弦が外力によって動かされている状態から元のぴんと張られた状態に戻ろうとする張力、そのときに発生する空気の振動……これも同様の現象と喩えることができると考えられます。


・さらには声帯自身が自発的に振動できるのでは無いかという研究結果が出てきた。(p72_21〜p73_7)

先ほどの「自分から律動的な振動状態に入る」というものとは別で、2つの研究結果がこれから示されます。

ひとつはアメリカのベル研究所。
被験者の肺にヘリウムガスを吸入させて、声を出すという実験です。
「呼気をかなり希薄にしてみた」と書かれていますが、これは括弧で(密度を下げる)とある通り、肺の中の空気の密度を下げ、声として出る呼気の空気の密度を下げるということです。

空気の密度が薄くなることによって声帯の振動が変化するのではないかという実験だったと考えられますが、結果としては声帯の振動は全く同じで、声の音高、音の高さも変わらなかったと言う結果が出ました。
(ただし、音を伝える空気がヘリウムガスとなることで空気より密度が低いため、声は弱くなったと言います。)

従来の呼気によって声帯の振動が起こるという考え方だと、声帯の振動自体に変化が起こると考えられていました。
空気の密度が薄いため、声帯の振動に変化が起こると言うことです。
しかし実際には、音を伝える媒介がヘリウムガスに変わったことによって声が弱くなったものの、声帯の振動自身には変化が起きませんでした。

これが一つ目の研究結果です。

次はパリのソルボンヌ大学病院で行われた研究。
実験の内容は「全身麻酔で眠らせた動物の、脳の声帯を支配する部分を刺激する」というものです。
この実験によって、呼吸が止まっていても、脳の働きで声帯が震えたという結果が得られました。
完全に声帯だけで振動したという結果は、やはりこれまでの「空気によって声帯が振動する」という説が一般的だと考えられていることを考慮すると驚きの結果だったと言えるでしょう。

これが二つ目の研究結果です。

これらの研究結果は、声帯は空気の流れによってのみ振動する「完全に受動的な器官」ではなく、声帯自身が自発的に振動するという説の裏付けとなっています。


・声帯が自発振動する意義、それは「喉頭が下からの圧力に対して筋肉を働かせたり、喉を固くしなくてもよい」ということ。(p73_8〜29)

声を出すために、大量に呼気を使おうとしたり、下から圧力をかける必要があるとする場合、喉頭は周囲の筋肉の力を働かせて喉を固くしたり、しめつけたりする必要が発生します。
喉頭は下からの圧力に対して防御する必要がある、ということになります。

「声帯自身が振動して声を出す」となってくると、大量に呼気を使おうとしたり、下からの圧力をかけたりする必要がなくなります。
そうなると、喉頭は下からの圧力に対して防御する必要もなくなるため、喉を固くしたり締め付けたりしなくて良いと言うことになるわけです。
それが以前から歌手たちがいってきた「最小呼気」ということであるということが述べられます。

この声帯の自発振動がうまく働かないと、声帯に呼気を激しくぶつけることによってその欠陥を補おうとし、そうなるともはや「声楽的なもの」ではなくなるとフースラーは述べます。

確かにそれは、一種の叫び声のような声になるのであろうとここまでの記述からも推察できます。

そして声帯の自発振動が働いているかどうかは、歌のフレーズの終わりが、圧迫された力の入りすぎた声になっているかどうかで判断できると述べられます。
原著英語版では、そういった力の入りすぎた声に聞こえるか、「もしくは小さな爆発性の雑音を伴って無理強いされた息が逃げていく」と付け足されています。

歌唱について悩みを抱えている歌手の方で、フレーズの終わり際に息が逃げていくような小さな爆発のような雑音が混ざってしまうと言う方は実際いらっしゃいます。
ポップス歌唱においては、表現の一つとしてそのようなものもあっても良い可能性はゼロでは無いと個人的には考えますが、
そのノイズを「意図して出しているのか」「意図していないが出てしまうのか」この二つには大きな違いがあります。
「意図していないが出てしまう」場合は、この声帯の自発振動が、そのフレーズの歌唱時にはうまく働かせられていない可能性がある、と考えることができます。

さらに、「よく神経支配の行き届いた喉頭懸垂機構を意のままに使える歌手」の場合は次の実験ですぐに「声帯の自発振動」に納得できると続きます。

その実験とは
「口を閉じ、鼻腔も軟口蓋で閉じ、さらに声門も閉じた状態にする。そのまま喉頭を急に強く下方に下げ、それと同時に声門を突然開く。その際に声門に生じる弱い吸引力だけで音を出すことができる」
というものです。

この実験では、声帯の上の空間と下の空間の圧力さが生じ、それを解放することによって空気の移動が生じているため、声帯だけの自発的な振動とは違うものであると私自身は考えます。
実際にフースラーも「喉頭器官はこのような音の出し方をするときは空気を使う」と述べています。
ただし、「喉頭を独立して運動させ、それによって声帯の振動を生み出している」ということは、呼吸器官が全く働いていなくても声帯を振動させることができるということにはなります。
つまり、「声帯を振動させるのは、息による空気の流れのみである」という主張に対しては、必ずしもそうとはいえないというカウンターになるということです。


・声帯の自発的な振動が多ければ多いほど良い歌手といえるし、まったく働かない場合は声楽的な意味で「声がない」という状態になる。(p74_1〜15)

章の最後です。
「声楽は、呼気流と関係なく振動することが証明された」
この冒頭一文目は意味不明ですが、「声楽」ではなく原著では「声唇」となっています。これは何らかの誤りと考えられます。

では気を取り直して、
「声唇は、呼気流と関係なく振動することが証明された。(中略)呼気流は媒介だけでしかないとしなければならない。」
という学説がでたとフースラーは引用します。
ですがこの説もまた論争が起きており、
「声帯の振動数は、声帯の長さ、緊張状態、声帯内の質量分布状態(声帯縁が厚い薄い、声帯幅が広い狭い)、呼気流の圧力速度、周囲の空気を満たした空間との関係によって決まる」
これを考慮すると、「喉頭の筋肉が特別に敏捷な筋肉のひとつであるということが明らかとなっただけである」とする主張についても理解ができます。

つまり簡単にいえば『呼気流はただの媒介でしかないというわけでもない…なぜなら声帯の振動数には様々な条件が複雑に絡み合うからだ』といったことが述べられています。

フースラー曰く、これらの説の証明、真実であるか否かについてはともかくとして、私たち発声訓練教師には以下のような見方が残ります。
『声帯が呼気流と関係なく振動するということは、声楽発声指導の上で偉大な価値がある。』ということです。

確かに素晴らしい歌手の方々は最小呼気で歌うと述べる方もいらっしゃいます。
その最小呼気とはどういった状態なのか、息をたくさん使わずに効率よく声帯を振動させるとはどういうことなのかが、この「声帯の自発振動」で説明がつくことを考慮すると、それは発声訓練を行なっていく上で重要な考え方の一つであると考えることができます。



以上、第6章 声帯の自発振動 です。

この章については「一体何をいっているのか」と読み飛ばされてしまうこともあるかと思いますが、その内容自体はそこまで難しいことを述べているわけではありませんし、実験の結果という裏付けもあります。

また、そういった現象が起こっている、という考え方を持っておくと言うことがフースラーの発声指導を理解する上では重要となるのではないかと私は考えています。

次回は第7章 声区に入っていきますのでよろしくお願いします。

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