【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part25【「第8章 アンザッツ」p90_15行〜p95_2行】
本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
更新の間が空いてしまいましたが、今回は第8章 アンザッツ(p90_15〜)に入っていきます。
第8章 アンザッツ(p89_1〜p97_13)
今回の三行まとめはこちらです。
・「当てられる」「当てる」という訳は「位置される」「位置する」と読む。
・各種アンザッツについては本文をご確認ください。
・繰り返し述べられる通り、「共鳴腔が響く」というのは常に二次的な現象である。
種々のアンザッツによって発声器官に喚起される働き(p90_15〜)
・アンザッツ1(p90_15〜29)
まず前提として、
・「当てられる」は「位置される」であること
・発声器官の働きが原因で、声が位置されるといったことや、実際の音響現象はその働きの結果であること
この2点を踏まえて読んでいきます。
そう考えると一文目から早速理解しにくいです。
『声が上の門歯、下の門歯、その歯先に当てられると、声帯は互いに接近し、いわゆる「声門閉鎖」「声帯閉鎖」の状態になる。それゆえ、この当て方をすると、特有の閉鎖筋が使われる。(側筋および横筋)』
この書き方では、まるで「声が当てられる」ことによって「声帯が接近」したり、「声門閉鎖の状態になった」り、「閉鎖筋が使われた」りするような書き方です。
これはおそらく「当て方」といった考え方をメインとするための意訳であると私は考えています。
そうでなければ、先ほども述べた原因と結果の関係とこの内容の整合性が取れないためです。
前提を踏まえてこの文を解説するとこうです。
『声が上の門歯、下の門歯、その歯先に位置される時、声帯は互いに接近し、いわゆる声門閉鎖、または声帯閉鎖の状態になっている。つまり、声がこういった位置をされたときは、特有の閉鎖筋が使われるということだ。(特有の閉鎖筋=側筋(外側輪状披裂筋)と横筋(披裂間筋)』
こう解釈すると、原因と結果の関係性と、この文の整合性が取れます。
さらにここをこう読み解くことで、続く文の内容も理解がスムーズにできるようになります。
続く文は
『このさい、喉頭は甲状軟骨と舌骨を結ぶ甲状舌骨筋によって高く引き上げられる。一般にはその時、軟口蓋をあげて鼻腔を閉じる。』
『このアンザッツによって、声は「前に」「位置する」。しかしこれにもっと他の働きが付け加えられないと、声は膨らみがなく、平たくつやがない』
これらになりますが、
このアンザッツ1の状態になっているとき、甲状舌骨筋で喉頭は引き上げられ、軟口蓋が上がって鼻腔は閉じている。
そしてアンザッツ1の状態は「声が前に位置する」が、このアンザッツ単体自体の働きだけでは声に膨らみがなく、平く艶がない(逆説的に、声楽発声になっていくためには他の発声器官の働き、例えば引き下げ筋群等が必要となるということ)。
と話がつながって理解しやすいです。
ここまで述べられてきたことが理解できると、
『声帯の振動は弱いものでしかなく、喉の空間は、口頭が高く上がるために狭められる。従って声を強く出そうとすることは悪い結果を招く可能性しかない。』
『前方の引上げ筋(甲状舌骨筋)はその相手役であるところの口頭引下げ筋(胸骨甲状筋、輪状咽頭筋)の対応牽引をこの場合は受けない(orごくわずかしか受けない)から、このアンザッツだけを長い間練習していると、一種のトレモロを起こしやすい』
これらの、「いわゆるやりすぎは良くない」といった旨の記述も理解できます。
なぜなら声楽発声を行うにあたってこのアンザッツ1における発声器官の働き「だけ」ではなく、他の発声器官の働きが必要となってくることがその手前で述べられているからです。
アンザッツ1が結局如何いったものであるのか、について振り返ると、
外側輪状披裂筋、披裂間筋、甲状舌骨筋が主要として働いている筋肉であり、この時の声は結果として「前に位置する」。ということが述べられています。
・アンザッツ2(p91_1〜11)
ここからは「当てる」は最初から「位置する」という言葉にしつつ解説していきます。
声を胸骨の最上端に位置させ、声門の閉鎖を強くしている声がアンザッツ2です。
これが閉鎖筋(側筋横筋)を働かせるための最も基本的なやり方、且つ最も危険の少ないやり方であると説明されます。
その理由は、前方引下げ筋(胸骨甲状筋)によって下方へ引かれて係留されるからであるとのこと。
アンザッツ1の時には参加していなかった胸骨甲状筋が働くことで、喉頭が上方へ過剰に引き上げられるという危険が防止されるため、閉鎖筋を働かせる上で最も危険の少ないやり方となるようです。
『このアンザッツ2は生き生きとした伸びのある「明るい音色」が生まれる。』と述べられますが、解説版では「実際のイタリア流派での経験を考慮すると暗い音色のアンザッツ2もある」と述べられます。
つまり明るい側面と暗い側面両方があるわけです。
このアンザッツ2は「キアロスクーロ」という言葉で説明されることもあります。
キアロスクーロとはイタリア語で「明暗」という意味であり、美術用語でもあり声楽用語でもあります。
「明るく深い声」とされており、「明るさと暗さが共存している」といった表現をされることもあります。(暗いと深いは違い、混同してはならないとする意見も見られます。)
これはイタリア流派では好まれる声で、アッポジアーレ・ラ・ヴォーチェ(詳細は本ブログpart15参照)、つまり声の支えという概念で理解されているものと合致すると述べられます。
音色のニュアンスとして、喉頭が高い状態の声は明るく、喉頭が低い状態の声は暗い印象を与えるとされていることを考慮すると、この両方の性質を併せもつ声が、イタリア流派のいう「声の支え」というものに近いということが推察できます。
うたうことの邦訳では「明るい」としか書かれていませんが、実際には「明るい」だけではなく、「深さ」や「暗さ」といったニュアンスが含まれる声であると理解するのが良いと考えます。
アンザッツ2の内容の振り返りとしては
外側輪状披裂筋、披裂間筋、甲状舌骨筋の働きだけでなく、さらに胸骨甲状筋によって下方に引かれてバランスを取っている「明るく深い」声で、この時の声は結果として「胸骨の最上端に位置する。」ということが述べられています。
・アンザッツ3 a)(p91_15〜27)
アンザッツ3はaとbに分かれています。
まずはaから。
声は鼻根部に位置され、「マスクの中へ歌う」とよく表現されます。
マスクというのは現代の口元につける不織布のものではなく、いわゆる仮面、目から鼻の頭にかけてを隠すためにつけるものを指していると解説版では記されています。
この声は声唇、すなわち声帯内筋を働かせる「最も本格的なやり方」
→原著ドイツ語版:als wesentlichstes Geschehen「最も本質的な経緯」
であり正しくできた時には声帯の伸展も呼び起こされます。
それによって初めて声帯内筋の働きが「声楽発声」に役立つようになるとフースラーは述べます。
このアンザッツ3aでは鼻腔は開かれており、甲状軟骨は前下方へ引かれ、歌手などによく言われる「開いている」状態になります。
さらに声帯は全長にわたって振動し、所謂「充実した声」が出てくると述べられます。
わかりやすく低周波成分の多い声となります。
ここまでの記述だと絶賛されているように見えやすいこのアンザッツ3aも、こればかりをやっていると、声帯内筋が慢性的に過度に強調され、声帯を進展する力が次第に失われ、喉頭懸垂機構は崩壊して、「胸っぽい声」となる、と説明されています。
アンザッツ3aのまとめとしては
声は鼻根部に位置され、本質的に声帯内筋を働かせることができ、さらに声帯の伸展も呼び起こす。
歌手などがよくいう「開いて」いる状態で、いわゆる「充実した声」が出るアンザッツである。
といったところです。
・アンザッツ3 b)(p91_28〜p92_16)
声を上顎部、すなわち歯列の情報、または硬口蓋の全部に位置させるアンザッツです。
アンザッツ3aではまだ、声帯内筋のうち、筋肉の縁辺部分の緊張が最高度になっていない状態ですが、このアンザッツによってその緊張を生むことができ、声門閉鎖は完全なものとなると述べられます。
『「かなりよい流派」では、このアンザッツを発声指導の出発点の一つとして練習させる、そうすることによって他のアンザッツへの橋渡しとすることができる。』
と続きますが、原著、邦訳版や解説版においても触れられない現在の実際の現場、フースラーメソードによる訓練においては、このアンザッツを出発点とすることは稀であると考えられます。
これは、各種アンザッツの土台が全く無い状態でこのアンザッツ3bを実現することが難しく、他のアンザッツを訓練した後に、それらに橋渡しをする訓練としてこれが実施されるためであると考えます。
アンザッツ3bによって出てくる声はイタリア流派で「メザ・ヴォーチェ」とされている声で、これはイタリア語で半分の声という意味です。
(原著英語版でも、’half voice’となっています。)
「メザ・ヴォーチェ」、’mezza voce’、解説版によると声楽の分野においてこれは「弱い声」、さらには「弱々しく、幾分気息的な声」と考えるとのこと。
この記述をそのまま「弱い声」と考えてしまうと、ここまでのアンザッツで活用されてきた様々な筋肉たちが働いている声にもかかわらず、弱々しいだけの声とはこれ如何に、となるところです。
さらに、このアンザッツでは声帯が完全に閉じると述べられているにもかかわらず、気息的と捉えられる声と考えると、これは一体どっちなんだ?となるのも無理は無い記述が続いている訳です。
私はここの読解として、以下の点を意識すると良いと考えます。
・原著英語版で、イタリア語のmezza voceのままではなくhalf voiceという言葉が使われていること。
・アンザッツ3aで、声帯の伸展が呼び起こされていること。
・北欧の流派で「弱頭声」とされている声は、声帯の内筋がほんの少ししか関与しないのに対し、アンザッツ3bは十分に働いていること。
これらの点を考慮すると、声帯の緊張よる音の成分、声帯の伸展による音の成分がどちらも十分に含まれている声であり、緊張と伸展が半分ずつでバランスを取る、というニュアンスでは無いかと考えることができます。
アンザッツ3のaとbは、声帯の内筋に最高度に自発活動性を与えるもので、これは以前述べられていた声帯の「自発振動」に通じる道であると思われると述べてこのアンザッツ3aについての記述は締め括られます。
・アンザッツ4(p92_17〜p93_2)
頭頂部、または軟口蓋に声が位置されると、前部の喉頭引下げ筋(胸骨甲状筋)と後部の引上げ筋(口蓋咽頭筋等)が働きます。
つまりは前下方と後上方へと引っ張り合う状態です。
こうなると、図を見ながら軟骨、関節の位置を考慮するとわかるように、声帯は伸展される方向に力が働き、声帯を薄くする働きが起こります。
鼻腔は開き、仮声帯も離れ、喉頭蓋は強く直立、結果として声帯の上方の空間は広くなり、さらに声門は全長にわたっていくらか開かれていると述べられます。
・前部の喉頭引上げ筋である甲状舌骨筋、さらに声帯内筋は働かない。
・出る声は「純粋の頭声」「デッケンされた声」「気息的」
といった記述からわかりやすいように、アンザッツ4は所謂頭声、すなわち裏声の一種です。
アンザッツ4のまとめとしては
頭頂部、軟口蓋に声が位置され、胸骨甲状筋と口蓋咽頭筋等が働いた声で、甲状舌骨筋や声帯内筋は働かない。
所謂「純粋の頭声」であるということです。
・アンザッツ5(p93_3〜12)
声は前頭部に位置されます。
アンザッツ4と同様に声帯内筋は働かない声ですが、一方で喉頭を引き上げる筋肉である甲状舌骨筋によって喉頭が高く上げられます。
さらにアンザッツ4の時には働いていた喉頭引下げ筋、胸骨甲状筋は働かず、声帯の進展は輪状甲状筋によってのみ行われます。
声は「純粋の頭声」より膨らみが少なく「開いた」印象を与える声。
アンザッツ4は所謂覆われた印象を与える声であったのに対し、「開いた印象を与える声」であると述べられます。
アンザッツ4の時と、働く筋肉、働かない筋肉が真逆である点もあり、喉頭を引き上げた状態での声であるということが述べられています。
アンザッツ5のまとめとしては
声は前頭部に位置され、甲状舌骨筋によって喉頭が高く上げられる「開いた印象を与える声」。
アンザッツ4で働いていた胸骨甲状筋、および声帯内筋は働かない声であるということです。
・アンザッツ6(p93_13〜p94_6)
声はうなじに位置され、高等引下げ筋である輪状咽頭筋によって喉頭が後下方に引き下げられます。
輪状咽頭筋によって輪状軟骨が後下方に引かれることによって、声帯は最大限に伸展されると述べられます。
この最大限の伸展は美しい響きや充実した豊かさを作り出すためには必須であると続きます。
高音域はこのアンザッツによって無限となり、いわゆる「充実した頭声」が生まれるとされます。
アンザッツ4や5との違いとしては、やはり輪状咽頭筋が働くという点。
これによって喉頭が後下方に強く引かれた状態になるため、
・声帯がより伸展する
・喉頭上部の咽頭腔などの空間が最大限に広がる
これらによって「漂うような」と形容されることもあるアンザッツ4と比べて、より「充実した」頭声となるということが考えられます。
注意点としてはこればかりを行なっていると(特にアンザッツ3aを全く行なっていないと)所謂「喉っぽい声」になり、声帯内筋の脱落が起こると述べられています。
満遍なく訓練を行う必要があるということがここからもわかります。
アンザッツ6のまとめとしては
声はうなじに位置され、胸骨甲状筋、口蓋咽頭筋等に加えて輪状咽頭筋が働き、喉頭はしっかりと下方に引き下げられ、声帯は最大限に伸展する。
その際に出る声は「充実した頭声」となるということです。
種々のアンザッツについてのまとめ(p94_7〜p95_2)
それぞれのアンザッツについての説明を終えた後の段落、まず1つめは非常に理解しやすいです。
アンザッツは出そうとしている声の強さや高さ、母音や歌おうとしている音楽のスタイルによって異なったものとなるとされますが、一方で「声が位置される場所」は「それに対応する発声器官の働き方」の現れであり、その対応関係は規則正しく現れるものですから、そこに個人差の介入する余地はありません。
一方次の段落は非常にややこしいです。
ここについては解説版にて原著の内容から読み解いたものがわかりやすいため、そちらを引用させていただきます。
”歌手や発声教師は、彼らの音響現象とするもの、昔からアンザッツとして広く知られている単純極まりないやり方を用いる。そのアンザッツを用いると、かなりの成功率で発声器官の筋肉と働き方に作用を及ぼすことができるからだ。それ以外に何か他の理由があるだろうか?もちろんそうでは無い、とにかくこれを実行することの内にこそ、声を開発する最も有望な可能性が存在しているからだけなのだ。”
つまり、
・歌手や発声教師は昔から「位置する」という意味でのアンザッツとして知られるやり方を用いる。
・なぜならそれを使って練習すると高い成功率で発声器官の筋肉とその働き方に作用を及ぼすことができるから。
・とにかくこれを実行することにこそ、声を開発する可能性が秘められているのだ。
といったことが述べられている訳です。
所謂共鳴腔として働き得るものついての21〜24行については、その先の文に「ただ次のことだけを知っていればよい。」と述べられます。
それは、「ある共鳴腔が響くというのは常に二次的な現象であって、発声器官の中のどれかの筋肉の働きによって生じた結果であるということ」です。
これについては以前の記述でもありました。
最終的に声として現れたものが結果として、体のどこかの器官に「共鳴」という結果を二次的に起こすのであって、「共鳴」が最終的な声の「原因」ではないということです。
繰り返し述べられることで、「共鳴腔」という考え方に対するフースラーのスタンスがよくわかります。
今回は更新が遅れてしまい失礼いたしました。
引き続きお付き合い頂けますと幸いです。
第8章は次回で終了となります。
よろしくお願いいたします。