【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part22【「第7章 声区」p81_16行〜p85_24行】
本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第7章 声区 の「生理学」(p81_16〜)に入っていきます。
第7章 声区(p75_1〜p88_9)
今回の三行まとめはこちらです。
・混声区と呼ばれる声は、中声区とは異なる。
・混声区は全声区の「融合」の先に実現する。声区同士を並べて接続することとは違う。
・フラジォレット、シュナル声区はそれ自体声楽美学的な価値は少ないが、発声器官の解放のためには非常に練習価値のある声である。
生理学
3.「中声」ー「中声区」(p81_16〜p79_14)
前回は1.仮声、2.頭声と解説をしました。
次は中声についての解説になります。
「この声の音色は披裂ー声帯の外側近くにある筋繊維束の〜」と説明されますが、これはおそらく外甲状披裂筋を指していると考えられます。
この筋肉が多少なりとも孤立的……つまり単独で働いていることによって、いわゆる「中声」と呼ばれる声の音色が作られると説明されます。
外甲状披裂筋が働くことによって、声帯の縁の中央部分が十分に緊張するため、声帯の縁が一直線の並列となって縁辺部分だけが振動すると続きます。
非常に詳細に書かれている内容ですが、解説版ではこれも「フースラーの耳による解釈」と捉えています。
実際のところは推察の域を出ませんが、さも体の中が見えているかのような「聞く力」をつけることが要求されている以上、そういった捉え方をした方が良いのかもしれません。
さらに「しかし」と付け加えた上でフースラーは続けて
・声帯を緊張させる器官
・披裂軟骨を適当な位置に置く器官
これらは互いに直接的に影響を及ぼしあう、ということが言われていると述べます。
(装置、と書かれている部分は理解しやすい訳として「器官」という言葉にしました。)
つまりは内筋、内甲状披裂筋の働きと、披裂軟骨の動きに関わる筋肉たちが直接に影響し合うと述べられています。
これについては理解しやすい記述かと考えます。
内筋は披裂軟骨と甲状軟骨の間に走る筋束でありますから、披裂軟骨の位置や角度、その動きに関わる筋肉が働けば、甲状軟骨との位置関係にも変化が起こることは容易に想像でき、その逆を考えていっても、披裂軟骨と甲状軟骨の間の筋肉が緊張状態になることで披裂軟骨自体の動きに影響を及ぼすというのは想像に難くありません。
ここでは特に横筋、すなわち披裂間筋に言及し、声帯内緊張筋と披裂間筋の協力作用によってもいわゆる「中声」と呼ばれる声と近い声が出るといったことが述べられていると考えられます。
その「中声」の音色は「ほっそりとした」「非常に明るい」「前に響く」「金属的な」音色であると説明されます。
解説版では「音色」は「音質」という表現を取る方が正しい訳出と捉えており、指摘しています。
また、原著英語版の表現を確認していくと、「たいそう開かれ、前に位置させられているように思われる声」と表現しており、和訳の表現は原著英語版の内容をもとにしつつ、この和訳版が作られる際に主流であったと思われる声楽訓練の際に用いられていた用語を用いようとしたがゆえにこういったことが起こっているのだと私は捉えています。
現代においてこれを読んでいく上では、さまざまなニュアンスが含意されている可能性を考慮して読んでいく必要があると考えます。
話が逸れましたが、この声の音色、音質は新しいイタリア流派では好まれて優先的に練習されていたようです。
しかしフースラーはこの声の練習が「常に良い結果を得られるとは限らない」とします。
何事においても、「常に良い結果が得られるとは限らない」と私自身も考えており、いわゆる「これだけやればOK」はそのほとんどが幻想であると認識しています。
人によってはすでに偏った状態になっている故に、発声器官を目覚めさせるためにある程度偏った訓練をする場合があったりする可能性はもちろんあります。
ですがそれは0と1のように区切りがあるものでは無く、無限のグラデーションがあることを理解した上で訓練をする、あるいは訓練に臨む必要があると考えます。
常に100%の正解は無く、故に「常に良い結果が得られるとは限らない」とフースラーは述べるわけです。
4.「胸声」ー「胸声区」(p82_9〜p83_17)
フースラーは「胸声」がどういった声なのか、を説明する前に、「なぜ多くの流派で胸声は発声器官を痛めるものとして警戒され、他の流派では反対に胸声は声を正しく開発するために徹底的に用いられるのか」と、仮声の際にあったような対立がここでもなぜ起こっているのか、という疑問を投げかけることから始まります。
そして胸声区に関する説明が入っていきます。
胸声区で特に働く筋肉、声帯内の筋肉……すなわち先ほど声帯内緊張筋と呼ばれた、いわゆる内筋、内甲状披裂筋のことを指しています。
(こういった表現方法のブレがまた読みにくさを加速させていると考えられます。)
この筋肉だけが独立して働いたとすると、声帯内筋の収縮に伴って声帯は太く、縁は厚くなり、声も厚ぼったい声(胸っぽい声)になると説明されます。
しかし、その時に声帯靱帯が伸展されさえすれば全体が生理学的に正しい機構となるとフースラーは述べます。
これに補足として2)がついております。
”2)「内甲状披裂筋の収縮に際して、声帯靱帯は弛緩する。内甲状披裂筋が自分の働きで収縮し、同時にたとえば輪状甲状筋の働きによって伸展された時にはじめて甲状披裂筋を切妻屋根(本を開いたような形、一般的に想像される三角形の屋根)のように包んでいる弾性靱帯が内甲状披裂筋を伸ばすように働きかけている力によって伸ばされる。」”
と書かれています。
内甲状披裂筋の緊張と、それを覆う声帯靱帯の伸展。
前者単体である場合と、後者が加わった状態は大きく異なる状態であろうことが想像できます。
このように
・胸声用の筋肉、すなわち内筋、内甲状披裂筋
・仮声用の筋肉、すなわち輪状甲状筋をはじめとした声帯を引き延ばす筋肉
が一緒に働くならば、胸声用の筋肉を活発に働かせても、発声器官を損なうことは無いとフースラーは述べます。
そしてこの二つが協力して働かなければ十分なフォルテと最低の音域を出すことは難しく、それ故に胸声区も練習される必要がある(そうしなければ声帯の内部が弛んだ状態になってしまう)のだと続くのです。
この時点でこの項目冒頭の疑問の投げかけに回答が得られていると考えられます。
すなわち多くの流派で警戒されていたのはこの後者の声帯を引き延ばす筋肉が参加していない、内甲状披裂筋だけが過剰に働かされることを警戒しており、
ラテン語系の民族をはじめとした他の流派では反対に、この後者の声帯を引き延ばす筋肉が協力した状態を訓練する必要があると考えていたため、声を正しく開発するために訓練されたのだと考えられます。
つまりこれもまた同じ「胸声」という言葉を用いてしまっていますが実際には2種類の別々の「胸声」であると言えるわけです。
さらに、「のどを狭くした声」や「おしつぶされた声」とされる声は胸声区を練習することによって全治させ得る、なぜなら声の押し潰しは内筋の力不足を補うために起こるからであると述べられます。
これについては実際の訓練上では注意すべきことであると考えています。
なぜなら全くもって逆の性質である「胸っぽい声」と「おしつぶされた声」を「聞き分ける力」でもって判断する必要があるからです。
この声に限りませんが、基本的に現在どういった声になっているかを「聞き分け」なければ適切な訓練を行うことは難しいです。
やはりここでも「聞き分ける力」の大切さがわかります。
そしてダメ押しのように「もちろんこの練習は、注意深く加減しなければならないし、ただ治療ということだけにとどめるべき」と述べられます。
中声区の記述の最後にもあったように、この声だけをやればいいというものはなく、何事にも加減や具合が重要であることは常に注意して述べてあるということがわかります。
最後に述べられるのは、内筋を輪状甲状筋のお手伝いとして働かせるべきでは無いということ。
これはややこしいです。
先ほどまではこの二つの筋肉が協力することで、よい胸声の訓練ができると述べてあったのに、急にハシゴを外してきています。
がこれはあくまで「輪状甲状筋の手伝い」として働かせるべきでは無いと述べていることから、おそらく声帯の伸展を目的とした声を出したいとき、頭声や仮声を出したい時に、内筋の働きによって何かしらを行おうとすることは避けるべきという言外の意味が含まれていると考えられます。
最後には「輪状甲状筋の手伝い」として内筋を働かせてしまうと、結果として「胸っぽい」非声楽的な声になってしまうと述べられています。
これは「胸声」についての項目に突然登場するため理解しにくいかもしれませんが、「頭声」や「仮声」の項目に「内筋を協力させてはいけない」と書かれていれば非常に理解しやすいかと思います。
5.「混声」(voix mixte)(p83_19〜p84_21)
解説版はこの「混声」という言葉は原著では用いられておらず、見出しも「voix mixte」ヴォワミクステという言葉をそのまま使うべきと述べます。
それは以下の文に「ややこしさ」が生じていることが理由であると考えます。
・『ガルシアという「古イタリア流派」の代表者の一人、そしてその直接の後継者たちにとっては「混声」という概念は「全声区の融合」という意味であった。』
・『それは生理学的に見ても、声楽発声に必要なすべての筋肉を、常に集中的に共同動作させるということである』
・『個々の声区を、混ぜ合わせないで、相接して並べるというようなものではないのである』
ここでややこしさを生んでいるのが「混声」という概念と、「全声区の融合」という意味と、「混ぜ合わせないで相接して並べるものでは無い」という表現。
これをわかりやすい言葉を用いて説明するためには、「混声」という言葉、これが「混ぜ合わせない」という言葉などによって混乱を生むと考える……いえ、「混乱」を使うとまたややこしいですね、つまり読みにくくなってしまっているということです。
行うこととしてはこうです。
まずは「混声」を「ヴォワミクステ」とします。
次に原著に存在しない「混ぜ合わせないで」を削除します。
・『ガルシアという「古イタリア流派」の代表者の一人、そしてその直接の後継者たちにとっては「ヴォワミクステ」という概念は「全声区の融合」という意味であった。』
・『それは生理学的に見ても、声楽発声に必要なすべての筋肉を、常に集中的に共同動作させるということである』
・『個々の声区を、相接して並べるというようなものではないのである』
先ほどよりもわかりやすくなったのでは無いでしょうか?
つまり、
・古いイタリア流派には「ヴォワミクステ」という概念があり、それは「全声区の融合」ということを意味していたということ。
・「全声区の融合」は声楽発声に必要なすべての筋肉が共同で働くことで実現すること。
・それは「個々の声区」を並べて接続する(繋げる)というものではないということ。
こういうことが述べられているわけです。
そしてこの古いイタリア流派から用いられていた「全声区の融合」が、誤って「中声」と同じものだとみなされてしまっているのだとフースラーは述べていると考えられるのです。
読む際の注意点として、「声区を混ぜ合わせる」ことと「声区を融合する」ことはおそらく全く違う概念として理解されており、分けて使われていること。
「声区を混ぜ合わせる」は、おそらくそこに境界があり、並べて接続されている状態を指しており、
「声区を融合する」は、おそらくそこに境界はなく、渾然一体となっている状態を指している、
こう考えられると私は理解しています。
(そのように考えると、話の辻褄が合い、内容の理解がしやすいです。)
そして当時のフランスの声楽曲のスタイル、長いスラーが次々とあり漸強・漸弱(クレッシェンド・デクレッシェンド)をともなったはてしないフレージングを必要としたこと、そしてこれが古イタリア流派の「メッサ・ディ・ヴォーチェ」を前提としたものであったことから、「声区の融合」が求められていたのであろうことは明らかであると続くのです。
偉大な歌手たちは「全声区を融合した声」を生まれつき持っていることもありますが、この融合された声を持っていれば「声区の分離」(breaksと原著で書かれているので、破損や崩壊といったところでしょうか。)は起こりません。
声区の分離場所(レジスターの破損箇所)は喉頭の内部で行わなければならない「声帯内部の厚さ長さなどの変化」、「伸展収縮などの釣り合いの変化」等を実際に行うのが難しいことによって生じると述べられます。
筋肉の働きが滑らかなグラデーションのように働く必要がある現実に対して、バランスを崩す箇所などがあるとそこが「破損箇所」、「ブレイクポイント」となるということですね。
筋肉が自由自在に、不自由なく働くことが「正常」で「健康」であるならば、それができない発生期間は不自由、すなわち「音声衰弱的」ということなのです。
これがフースラーの述べる「正常」「健康」と音声学者や医学その他の界隈の述べる「正常」「健康」に乖離がある大きな理由です。
6.「フラジォレット声区」および「シュナル声区」(「シュトローバス声区」「極高声区」および「極低声区」)(p84_22〜p85_24)
人間の声楽的音域のさらに外側に二つの声区があると書き出されます。
それが
・仮声ー頭声区の上方にある「フラジォレット声区(極高声区)」
・胸声区の下方にある「シュナル声区(極低声区)」
の二つです。
このふたつの音質は声楽発声に重要では無い(美的な意味で)とされていますが、音声障害……すなわち不健康な発声器官の解放のためには絶対的に練習価値を持っていると述べられます。
ではどういった声なのか、それがここから説明されていきます。
a)「フラジォレット」
「虚脱した仮声」(喉頭懸垂機構が働いていない仮声)に、さらに後筋(後輪状披裂筋)の働きが弱いことも付け加わると、
披裂軟骨は前に引っ張られ、声門間隙が短くなり、のどは非常に高く引き上げられ、喉頭周辺が非常に小さくなったような状態になり、
結果として「笛のような鳴り方をする声」が鳴るとされています。
b)「シュナル」
胸骨甲状筋と口蓋筋は強く働き、甲状舌骨筋は受け身の状態、声帯内筋は外側部の筋束(外甲状披裂筋)だけが関与、仮声帯は広く開き、喉頭蓋も直立、声帯がばたばたはためいているような振動をすると考えられると説明されます。
こちらは現代で一般にボーカルフライと呼ばれている声と近く、カラカラと乾いた唸り声のような(声がほとんどなく、唸りの部分だけのような)そういった声と言われます。
この声を危険視するのは全くの誤りで、「慢性的に喉頭の位置を高く、喉頭の中を狭くし、呼気で圧迫するくせがついている歌手」にとっては特に著しい練習価値があるとされ、発声器官に対して緊張を解かれた感覚をもたらすことができると述べられます。
こういった声たちは一般に美学的な観点から声楽で用いられることは少ないですが、これらは歌で使わなくとものど、発声器官の能力が解放されていれば本来持っていて出すことができる声で、これらが出せない発声器官はまだ十分に解放されていないか、あるいは再び硬化してしまっているのだとフースラーはこの特殊な2つの声区についての説明を締めくくります。
重要なことはやはり「健康な発声器官」という観点が世間一般とフースラーの述べるものとで異なることを認識して読んでいくこと。
これにつきると私は考えます。
今回で声区の生理学についての解説が終了となります。
最後に改めて念押ししたいのは、この第7章冒頭で書かれていたこと。
「声区(レジスター)は本来生理学的な概念では無いこと」
あくまで人間が後から声の音質を分類わけしたに過ぎないものでありますから、発声器官のグラデーション豊かな声の音色をすべて分類できているわけではありません。
これを意識して読んでいくことがフースラーの記述を理解する助けになると考えます。
では今回は以上です。
また次回の更新をお待ちください。