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【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part26【「第8章 アンザッツ」p95_3行〜p97_13行】

本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第8章 アンザッツ(p95_3〜)に入っていきます。


第8章 アンザッツ(p89_1〜p97_13)

今回の三行まとめはこちらです。

・各々のアンザッツは、常に発声器官の筋肉の働きと一致している。

・特定のアンザッツばかり練習すると、そのアンザッツに使われる筋肉の働きが過度に強調されてしまう。

・アンザッツの訓練は「特定のアンザッツばかりを練習する」のではなく、「いろいろなアンザッツを練習する」必要がある。


訓練上の指針(p95_3〜20)

まず前提として、以下2点、
・各々のアンザッツは、常に発声器官の筋肉の働きと一致している。
・それは大きな発声機構全体の一部に過ぎない
ここから、発声器官を正しく訓練するには、(すなわち正しい発声指導をするためには)全てのアンザッツを交互に練習させなければならないと述べられます。

発声器官は多くの筋肉が関わっているわけですから、多くの筋肉を働かせて、その筋肉の神経支配が行き届いている状態にしていく、簡単に言えば筋肉の働きをより良くする必要があります。
その多くの筋肉たちを働かせるのに、たいした注意をしなくてもよくなるまで訓練しなければならないと続きます。

それぞれのアンザッツについての説明でも見られましたが、
アンザッツの訓練は「特定のアンザッツばかりを練習する」のではなく、「いろいろなアンザッツを練習する」必要があります。
これだけやっておけばOK!と言ったものはないということです。
なぜかというと、特定のアンザッツばかり練習すると、そのアンザッツに使われる筋肉の働きが過度に強調されて、発声機構を壊す原因となってしまうからです。

括弧内の記述は少しわかりづらいかもしれませんが、
「技巧的練習(特定のテクニックを繰り返し練習するといったもの)」が、「何かの声楽曲を使って行う練習」よりも危険な場合があるのは、この「使われる筋肉の働きが過度に強調される」ということによるものだということです。

またこの見出しの最後の段落は若干難しいです。
要約すると
・特定の筋肉の働きが過度に強調されて行き詰まっている声を取り扱う時、
・これまで行なってきたアンザッツを変えさせたとする。
・その時の教えるスタンスとして「ただ一つの正しいアンザッツ」=すなわち「正解のアンザッツ」を教えたと考えるようでは危険である。
・そのように教えられた生徒は遅かれ早かれ、再び偏ったやり方に嵌ってしまうだろう。
・これによって多くの歌手が、声楽教師から別の声楽教師へと永久に彷徨い歩くことになる。

こういったことが書かれています。
アンザッツを使った訓練においても、「これだけやればOK!」というスタンスではいけないということがこういった記述からもわかります。


いろいろの声のタイプに対して、どのようなアンザッツを練習させるとよいか?(p95_21〜p96_18)

この見出しでは、歌手仲間でよく知られる「声の問題」に対して、原因と行うべきアンザッツについての説明がされます。

・「平たい」「狭い声」は、喉頭が高く上がり過ぎていることが原因
・「押しつぶされた」「のどのつまった」「硬い声」では、喉頭が舌筋、舌骨筋、咽頭筋などによって固定され、強直されていることが原因。
この二つの問題については、アンザッツ4、6を練習すると良いと説明されます。
これらのアンザッツは喉頭を下方に引き下げる筋肉を働かせるものですから、これによって喉頭を下方に繋留し、使ってはならない筋肉が妨害的に働くのを防ぐのです。
一般的に訓練される「舌を柔らかくする練習」をフースラーが不要とするのはこれが理由です。
アンザッツ4ではu、üの母音で練習されます。
これらの母音は唇を突き出すものですが、アンザッツ4の訓練においては以下のような特徴を持つ声を出しやすいという理由から、唇は前に出るものの、前歯を覆うようなイメージの方がやりやすいと考えられます。(解説版でも同じような説明がされています。)
補足的に声の特徴を述べると、「芯のない純粋な頭声」、所謂地声っぽさの無い声です。
解説版では「犬の遠吠え、フクロウの鳴き声」のような音質のファルセットを考えるとよいとされます。
ただし実際のところ音質については文字情報だけではなく、実際に訓練を受けることを推奨します。

アンザッツ6は、4よりさらに喉頭が低い状態です。
口を閉じて歌いながら、うなじに振動を感じられるようになるまで練習するのが良いとされます。
口を閉じて歌うというのは、ハミングとは違う点に注意です。
Mの子音に近い状態ですが、軟口蓋が上がっていて(閉じていて)、口の中に声が出ている状態、その状態でうなじに振動を感じられるようにするといったイメージであると考えられます。

これらのアンザッツを長い間練習しすぎると、弛緩し過ぎた厚ぼったい声になることがあり、そうならないようにするためには、アンザッツ3a、3b、2の練習をすると良いと説明されます。
やはり結果的に満遍なく練習することが重要であることがここからもわかります。

さらにアンザッツ2は「うつろな」「喉の開き過ぎた」「奥へ引っ込んだ」声を治すための出発点とされます。
アンザッツ2によって声を危険なく前へ持ってくることができ、声に「声の芯」を作り出すことができます。
しかしやはりここでも、偏りを避けるためにアンザッツ3a、3bを練習すべしとされます。


声区から見た場合(p96_19〜24)

ここは極めて短い見出しです。
・使い物になる「胸声」は、アンザッツ3a
・固くならない「中声」は、アンザッツ2
・高音域、すなわち「頭声」「ファルセット」「弱頭声」は、アンザッツ4、5、6
・メザ・ヴォーチェ(すなわち「半分の声」)はアンザッツ3b、それに加えてアンザッツ1
で訓練できると説明されます。

一般に声楽で用いられる声区はそれぞれアンザッツで効率よく、あるいは十分に訓練することができると述べられています。
実際にアンザッツを用いた訓練を行ったことがある方なら、この声区とアンザッツの結びつきは理解しやすいかと思います。


種々のアンザッツによって喉頭内で起こることを最も簡単に要約すると(p96_25〜p97_13)

最後に、それぞれのアンザッツを用いた訓練によって発声器官に起こることが述べられます。
ただし、ここの本文ではアンザッツ5の説明がされません。
解説版によるとここまでの記述で十分に説明されている為、ここで書かれなかったのではないかと推察されていますが、改めて一覧する方が理解しやすいかと思いますので、以下の解説ではアンザッツ5も追加します。

アンザッツ1、2によって声帯間隙(声帯の間の隙間)はピッタリ閉じられるか、狭くなる。それによって声は「前に」響く。

アンザッツ3bは同様に声帯間隙を閉じるのに役立つ。そのさい声帯の縁辺部はぴんと張り、その部分だけでも振動する。(メザ・ヴォーチェ)それによっても声は「前に」位置する。

アンザッツ3aによって声帯はそれ自身で強く緊張(収縮)し、声帯は幅広く振動できるようになる。

アンザッツ4によって声帯は伸展され、薄くなり、喉の中は広がり、声は膨らみを増して高い位置を取る(すなわち頭声)

アンザッツ5は甲状舌骨筋が喉頭を引き上げ、輪状甲状筋による声帯の進展が行われ、引下げ筋と声帯内筋は働かない。これによって輪状甲状筋単体による積極的な声帯の伸展を促すことができる。

アンザッツ6によって声帯は同様に伸展され、最大限にぴんと張られる。それによって「充実した頭声」を作り出すことができる。
このアンザッツは「声区の融合」に寄与する。

最後に、「どのアンザッツにもかかわらず、次のことは決して忘れてはならない」と、念押しのような文が入ってアンザッツについての記述が終わります。

「アンザッツの位置のさせ方は、呼吸器官がどう働いているかということと密接な関係がある。したがって、正しい呼気をするように努力することが肝要である。」

呼吸器官の記述においても、基本的に「呼吸法」というものをフースラーは推奨していません。
方式化された呼吸はどういったものであっても、このフースラーの言う「正しい呼吸」になることはない為です。
ここでフースラーは、言ってしまえば「アンザッツの訓練を行う上で「正しい呼吸をすること」は重要」ということを言っています。
この記述だけを見ると「呼吸の重要性」というものに意識を取られてしまいます。
私の理解では、フースラーの言う「正しい呼吸」とは「生理学的に正しい呼吸」を指している為、本来人間が自然と行っているはずのものです。
それは何か特別な呼吸の方法ではなく、ごく自然なもの。
問題は現代の人間が自然と行っている呼吸が、フースラーの言う生理学的に正しい呼吸ではない場合があること。
それがどれだけ生理学的で無いかは当然個人差があります。
例えば一口に猫背、反り腰といっても、どれだけ猫背なのか、反り腰なのか、そういった体に抱えている問題というのは個人差があるわけです。
呼吸においてもそういったことが起こっています。
そういった姿勢の問題はわかりやすく「問題がある状態」と認識されていますが、呼吸はたとえ問題がある状態であっても生命維持に問題がない限り「問題がある状態」とはされません。
それがフースラーの言う「自然」や「生理学的に正しい」という言葉が理解され難かったり、伝わり難かったりする理由であると考えられます。
さて、少し話が逸れてしまいました、話を戻しましょう。
「正しい呼気をすることが肝要」と述べられていますが、それは何か特別な呼吸を身につけてからアンザッツの練習をすべし、ということではないと私は理解しています。
歌声の際の呼吸は特別なものではなく、歌声を通して身につけるのが良いと。
フースラーのこれらの記述からそのように捉えています。




今回で第8章、アンザッツについての解説が終了となります。
次回から第9章に入っていきますので、よろしくお願いいたします。

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