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【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part20【「第7章 声区」p75_1行〜p77_14行】

本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第7章 声区 (p75_1〜)に入っていきます。


第7章 声区(p75_1〜p88_9)

今回の三行まとめはこちらです。

・「声区(レジスター)」という概念は生理学的な概念ではないということ。

・「声区の分離」は「神経支配の問題」であり、不健康な状態として理解するべき。

・「声区」とは、個々の筋肉の、音色的な機能を示すこと以外の何者でもあり得ない。


原則的事項(p75_1〜p76_28)

ここから声区についての記述に入っていきます。

まずは声区(レジスター)という概念が生理的な概念ではないということに触れられます。
それは2〜3の音質の差異をもって区別した概念であり、「レジスター」という言葉はオルガンにて用いられる用語から借りられてきたという背景があります。
発音するパイプ列を選択し、音色を変える機構があり、これを「レジスター」と呼びます。
英語ではこれを「ストップ」と呼びます。(レジスターはドイツ語)
そしてこの「声区」は一般的な考え方として2声区=二つの分類、
・胸声区
・仮声区 or 頭声区
に分けられますが、さらにもう一つの声区
・中声区
を区別するべきとする考え方もあります。
そしてこの声区と声区の間では、いわゆる「分裂」が生じやすく、歌手はそれを「融合させ」なければならないとされています。(声区の融合と呼ぶ)

歌唱について学んだことがある方、特に声楽を学ばれている方にとって「声区」は身近な分類かと思われます。
しかしこれは冒頭で言われているように、「生理学的ではない概念」です。
元々オルガンの音色をコントロールするための機構を人間の体に当てはめているものですから、人間の体の概念とは違う概念を持ってきているという点でまず「生理的ではない」と述べられていると考えられます。

実際のところ、「のど」の筋組織全体は「発声器官」として成立するとき「一つの総合的な単一体」、すなわち「一体となる」とこれまでも述べられていたことを考慮すると、オルガンのように1つ目の部分、2つ目の部分、3つ目の部分、とバラバラに体の器官が動いて音色を作るわけではありません。
ここでフースラーは『レジスターという言葉を用いるものの、実際の「発声器官」においては「オルガンのレジスター」と同様の概念ではないということ』をまず強調したいのだと推察しています。

そして喉頭器官の解剖学で、
・どの筋肉も独立して働く権利はもっていないこと
・個々の筋肉が団結して働ける状態にある時だけ、それぞれの筋の固有の仕事を果たせるということ
が明らかになっているとフースラーは述べます。

この解剖学的に明らかになっていることを考慮すると、以下のように「声区の分離」が起こるのだとフースラーは結論づけます。
①発声器官の中で、とある筋肉が慢性的に孤立して働いていると、発生器官そのものが混乱に陥ってしまう。
②その混乱によって発声器官の他の筋肉も働きが悪くなる。
③その結果、「声区の分離」が起こる。

本来一部の筋肉が独立して働く権利は持っていないのに、孤立して働いてしまっていると、発声器官に所属する他の筋肉たちの働きにも悪影響が出てしまい、「発声器官が一体となる」ことを妨げてしまうのだということがこれらの記述から推察できます。

p75_20〜の内容については少々ややこしいですが
・声区の境目ではのどの形と緊張の状態を変換することが必要で、「声区の分離」が起こるのはこれを行うのが難しいことが原因、と専門的文献でも説明される。
・発声指導者目線でいくと、この「変換することが難しい」というのはやっかいで、それを何かしらの方法で覆い隠さなければならない、そのように訓練しなければならないとされる。
・しかし実際はあくまでも発声器官の機能的統一、一体となることができなくなっていることを示している症状が「声区の分離」。
・フースラーは警告する。こういった「声区の分離」を原因療法的に取り除くのではなく、対処療法的に「覆い隠す」よう努力させる流派には注意が必要であると。

こういった内容が述べられています。
最後の警告が結論で、そこまでの内容はそれぞれの派閥、流派が「声区の分離」に対してどういった態度をとっているのかを説明しています。

そして結論を要約すると、あくまで「声区の分離」を「覆い隠す」というのは対処療法にすぎず(言ってしまえば「小手先の技」とでも言い換えることができるでしょう。)、そういった訓練を行う流派には注意が必要だということが、ここでフースラーが述べたかったことであると考えられます。

ここまで述べられてきている「声区の分離」とはそもそも不健康な状態=神経支配が悪い状態です。
さらに、発声器官を構成する筋肉の働きにはそれぞれ固有の音色があると述べられます。
つまり不健康で神経支配が悪い筋肉がうまく働いていないことによって、それ以外の筋肉が過剰に働かされたりしている状態というのは、音色から判断できるのだと述べているわけです。

最終的な声の音色を決定付けているのが発声器官の筋肉の働きである以上、働きの悪い筋肉、あるいは弱い筋肉がいたり、過剰に働いている筋肉、あるいは強く働く筋肉がいるとそれが音色に現れてくるということがここでの記述からわかります。

そしてこの「原則的事項」の結論です。
フースラーが述べるここまでの要約は以下の内容です。
『「声区」とは、個々の筋肉の、音色的な機能を示すこと以外の何者でもあり得ない。』
『そして個々の筋肉のある音質を出す能力が、発声という、総合的な出来事の中で、一過性に優位を占めているに過ぎないのである。』

発声器官に存在する個々の筋肉の「働き具合」が音色に違いを生み、その音色の違いが「声区」という名前で分類されているということ。
筋肉がバラバラに独立して働いた結果、「声区」という独立した音色になっているわけではないということ。
それが「声区」についてこれから記述していく上で、フースラーが「原則的事項」とする内容です。

そしてここから先、それぞれの「声区」についての説明に入っていきます。


各「声区」

  「仮声区」および「頭声区」(p77_1〜8)

ここで述べられるのは、いわゆる「仮声区」と「頭声区」についての内容です。
それぞれの「声区」についての生理学的な説明の前に、この区別される二つの声区についての説明が入ります。

フースラーはこの二つの声区が「音声生理学研究成果で区別されて別々のものとされているにもかかわらず、同時にこの二つの概念の境界を決めることには手こずっている」
それ故に不備な点が多いのだと述べられます。

このあとこの二つの声区についてのフースラーの解釈が説明されます。
が、あくまでフースラーが「発声指導者として実地で得た経験」を元にした仮説であり、それが生理学的研究結果を元にしたものではないことをフースラーは強調しているため、そういった意識で次の「両概念の美学的解釈」を読んでいきましょう。

  「両概念の美学的解釈」(p77_9〜14)

・典型的な「頭声」とされる声
 →やや暗くされた、ふくらみのある、芯のない音質で、高く頭に「ひびく」ように思われる感じがある。

・典型的な「仮声」とされる声
 →ほそくやせた音質、ふくらみはなく、ほんの薄いものとはいえはっきり芯があり、頭に「ひびく」感じはない。
(頭声と違い、前の方に、歯や上顎に置かれているように思われる、と捕捉されます。)

フースラーが「実地で得た経験」を元にした「二つの声区の違い」はごくシンプルで、非常に理解しやすいかと思います。



この二つの声区の違いについてはここまでで、これ以降は声区の生理学についての説明に入っていきます。

声区の生理学については1回の更新でまとめたいと考えているため、少し短いですが今回はここまでとさせていただきます。

また次回の更新をお待ちください。
よろしくお願いいたします。

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