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私という運命について

【うし子の日記】
4連休はどうだった?甥っ子姪っ子たちと楽しめたかな?こちらは3週間の海沿い暮らしを終えて街に戻ってきたよ。
チベットの話の共有ありがとう。私もチベットは未知の国だから気になるわ。セブンイヤーズ・イン・チベット、観てみよう!確かNetflixにあったよね。

私という運命について

今日は海沿いの村に行っている間、読んでいた小説を紹介するね。

あるキャリアウーマンの29歳から40歳までの人生を追う物語で、運命との向き合い方を考えさせられたよ。「定められた運命に身をゆだねる」という考えと「運命は自分の意志で切り開くもの」という考えがところどころで対比されるの。

私個人の人生はというと、いわゆるレールに乗らずにいろんな国に住んで働いたから、「自分の力で切り開いてる」と思われることが多い。でも実際のところ、人生の重要な転機はいつも、自分が予期していた形ではなく何かに導かれるようにやってきたことが多い。例えば夫との出会いはうま子と行ったバックパッカー旅がキッカケだけれど、彼の住んでいた小さな町に当初行く予定はなくて、ビザがとれないとか、ガイドブックの読み間違いとか、約束がすっぽかされるとか、様々な偶然が重なってたどり着いたよね。
「欲しいものは諦めた頃に手に入る」法則でも書いたけれど、キャリアの転機も、欲しくてもがいてる時には手に入らなくて、半分諦めて力が抜けた頃に予期せぬ形でふっと手に入った。
そんな経験を重ねると、どんどん「流れに委ねる」ゆるさを学んでいった気がする。20代の特に前半は、周りの凄い人たちと自分を比べては焦って「自分も頑張らなきゃ」とがんじがらめになっていたけれど、30代半ばの今は、良くも(悪くも?)諦められる様になったし、ずっと楽になったかな。
この小説に出てくる女性たちの言葉、とても共感できたので引用するね。

最近、私はいろいろなことを難しく考えすぎないように努力しています。…だから私は三十五を過ぎた頃からは、何かが起こったり何かが起こらなかったりした時はいつも「ああ、これが神様の思し召しなんだな」と考えるようになりました。
人生も平々凡々になっちゃったしね。私もときどき思うことがあるよ。若い頃の自分を思い出すと、あの頃の自分の期待に十分に応えてあげることができなかったようで、何だか申し訳ないなって。でもこれはこれで仕方ないのかなとも思うの。こうやって生きるのが私の運命なら、それを素直に受け入れて楽しく生きていくしかないものね


運命とは、守り通して初めて自分のものになる

もう一つ、この小説のメインメッセージと思った引用を。

運命というのは、たとえ瞬時に察知したとしても受け入れるだけでは足りず、めぐり合ったそれを我が手に掴み取り、必死の思いで守り通してこそ初めて自らのものとなるのだ

トマス・ジェファーソンのI’m a great believer in luck, and I find the harder I work, the more luck I have. (私は大いに運を信じている。そして懸命に働けば働くほど運が増すことを知っている。)という言葉があるけれど、本当にその通りだと思う。運命に身を委ねる気楽さも大事だけれど、完全な受け身でいるよりも、たった一度しかない人生を主体的に楽しむこと、自分にとって大事だと感じるものは、何があっても守り通すこと、今できることに集中すること。経験上、そういう努力の積み重ねは、裏切らないなぁと思う。

結婚にしてもそう思う。出会いが運命的であってもなくても、結婚してから毎日ハッピーというわけにはいかない。でも、そこに自分の強烈な意思や覚悟があり、必死に守り通して初めて、「自分の運命」「自分の人生」という実感が沸くものなのかもしれないね。

なんだか今日のテーマは壮大なものになってしまったけれど、この小説、ぐいぐい引き込まれて、とても面白かった。うま子も時間があったら是非読んでみてね。ではでは。

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