「早くてすみませんが・・・・・・」派の私
『〆切本』(左右社) が面白い。
著名な作家たちの締め切りに対する言い訳や苦悩が書き連ねてある本だ。
これを書いている暇があったら、すでに締め切りをすぎている原稿を一行でもすすめるのが正解だ、といった、著者による1人ツッコミみなども、書かれている。
弱音や愚痴や言い訳の塊も、さすがプロの作家が書くと、面白い読み物として読めてしまう。
いくらプロだからといって、いつもいつも天からアイディアが降ってきて、別の力に動かされているかのように、スラスラと原稿用紙が埋まる、というわけではないんだな、と改めて思った。
書くことが好きで得意な人たちも、産みの苦しみのすえに作品を世に出してきたんだなあ、と。
私は、辻仁成さんの『Design Stories』の日記を、ずっと愛読している。小説や連載の執筆や主夫業をこなしながらも、これを日々書き続けているという凄さ。
数々の作品を世に送り出し、いくつもの文学賞を受賞している辻さんも、この日記については「書くぞ」という意思のもと机に向かって、とにもかくにもタイトルを入力することから始める、というようなことを、いつかの日記で書いていた。
息をするように歯を磨くように、毎日スラスラとスムーズに、というわけにはいかないのだ。
作家の、「書けない」「締め切りが守れない」これが多数派ではあれ、締め切りに遅れたことがない、むしろ早めに納品している派の思いも興味深い。
吉村昭さんの「早くてすみませんが・・・」の章で、吉村さんは、締め切り日を守らなかったことは一度もなく、締め切り日前に編集者に原稿を渡していたと書いている。
多くの作家が締め切りを守らず、編集者はそれに苦労しているわけで、
と言われるのだそう。
でも吉村さんは
のだ。
編集者には締め切り日をすぎて、やっと原稿を受け取れたときの喜びがあり、
と感じている。
そして、自分は
と考える。
なんだかわかる気がするなあ。
相手のルールを守っているのに、「面白みにかける人」と扱われる理不尽!!これを私も感じているのだ。人々は、どこか、型破りな行いや、ちょっとしたカオスを期待しているように思う。
この本の冒頭に、
とある。
子供の頃、宿題をやってこないクラスメイトを見て、「へえー、やらないっていう選択肢があるんだ」と驚き、どこか憧れも込めた思いがあったのを思い出す。その子は、先生に叱られるどころか、なぜか笑いを取れていたりもして。
私は、宿題が出されたら、反射的にやるもんだ、と思っていたし、宿題のことをすっかり忘れてしまう度胸もなかった。
吉村さんは出来た原稿をすぐ出さずに、締め切り日かまたは、ちょっと遅れて出せばいいのでは?と思うのだが、私が思いつくようなことはすでに思いついていた人がいて、吉村さんの知人から、そういうアドバイスはあったそう。
しかし、ご本人は「書き上げたものが身近にあると落ち着かず」だそうで「早くてすみませんが・・・・・」と書き添えて、結局は締め切り日前に、原稿を提出するのだそう。
「落ち着かず」というのは、きっと、万が一、原稿にお茶でもこぼしたら、、、誰かがゴミと間違えて捨ててしまったら、、、と起こりうる災難や事故が頭に浮かんでしまうことだと想像する。私も「早くてすみませんが・・・・・・」と書き添えて、早々に提出してしまうタイプに属している。
「何故、締め切りにルーズなのか」という章では森博嗣さんは、締め切りに対する契約やペナルティがないからだ、とし、
ことを
とビシっ!と指摘している。
「そうだそうだー!」と声を大にして言いたい気分だが、実際には、声を大にすることもないだろうなあ、私は。
原稿を「おとす」かもしれないスリル。なんとかギリギリに間に合った達成感。
これって甘美なものなのかもしれませんね。
私はそのスリルに耐え切れる度胸もないし、なにせ「落ち着かない」ことが苦手なので、期限やルールを守って「面白みのない人間」として、これからもやっていくだろう。
それでも、吉村昭さんや森博嗣さんのような方の言い分もあって、心強いな、と思っている。
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