【漫画】11月1日は「古典の日」! ー 『紫式部日記』からくる由来とは?
11月1日は「古典の日」!今回はその由来となった『紫式部日記』の記述をご紹介します!(番外編のつもりなのでいつもよりちょっと短め。気軽にたのしんでくださいね)
「古典の日」の由来となった『紫式部日記』公任のセリフ
このとき生まれた敦成親王は、のちの後一条天皇。
紫式部の主人である中宮彰子やその父・藤原道長にとって、入内以後9年間待ち望んだ男の子です。
その誕生50日目の五十日の祝は大変おめでたい席でした。
当時最大権力者のもとに生まれた未来の天皇のお祝いですので、身内だけでなく公卿や上達部など多くの貴族が集まります。
お酒も入り酔い乱れ、公卿たちが彰子の御前に移動して宴を続ける中(大河ドラマ『光る君へ』での再現度が高く、話題になりましたね)、藤原公任が例のセリフを言いました。
公任が紫式部を『源氏物語』の女主人公「若紫」の名で呼んだ——。
この記述のおかげで、寛弘5(1008)年には『源氏物語』の少なくとも若紫登場部分までは執筆されていたこと、それが公任のような男性の公卿が読むほど広まっていたことが、後の人々にもわかるのです。
「若紫」巻は唐の書物に典拠あり!?
公任のセリフからわかるのはそれだけではありません。
実は『源氏物語』の「若紫」巻は、中国の初唐時代に書かれた伝奇『遊仙窟』を発想の典拠にしていると言われています。
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『遊仙窟』は、主人公・張文成が神仙の家で美女と出会い情を交わし…というお話だそう(私は未読ですが、岩波文庫で読めるようです)。
一方『源氏物語』の「若紫」巻は、瘧病にかかった源氏が霊験あらたかな聖に会うため北山を訪れ、そこで藤壺にそっくりな少女・若紫を垣間見るという展開です。
『源氏物語』の北山は、山桜や鹿が見られる霞がかった一種の異境、漢詩文的な仙境として描かれており、そこで美女(美少女)と出会う…というパターンが『遊仙窟』を踏まえたものだというのです。
確かに、霞がかった峰高い山々の風景は中国の水墨画のようだし、「深き岩の中」に住む聖の存在は神秘的で、仙境的世界というのもうなずけます。
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それを踏まえて藤原公任のセリフ「このわたりに」というのを考えたとき、それが『遊仙窟』で主人公・張文成が神仙境の場所を尋ねたセリフ、
の「此処(=このわたりに)」だということが指摘できるのです。
公任は、張文成のセリフを用いて若紫を探し求める源氏を演じることで、紫式部に「私は『源氏物語』の「若紫」巻を読んで、『遊仙窟』を典拠にしていることに気づいたぞ」とアピールしているわけですね。
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「物語は女こどもの読むもの」として漢詩文等より下に位置づけられていた当時、『源氏物語』が公任のような男性貴族にも親しまれたのは、そこに学才的知識が豊富に取り入れられていたからかもしれません。
『日記』の中で紫式部は「私が紫の上だなんてとんでもない」という感じで公任の問いかけを無視していますが…物語の典拠に気づき声をかけてくれるなんて作家冥利につきることだったのではないでしょうか。
【参考】
紫式部著・山本淳子編(2008)『ビギナーズクラシックス 日本の古典 紫式部日記』角川ソフィア文庫
紫式部著・山本淳子編(2009)『紫式部日記 現代語訳付き』角川ソフィア文庫蔡芸(2016)「『源氏物語』の「若紫」巻における『遊仙窟』の受容 ー「北山」を中心にー」『白百合女子大学紀要論文言語・文学研究論集第16号』p.25-38
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