【読書感想文】生きることに意味は必要か
日向理恵子『火狩りの王』〈四〉星ノ火
を読了した。
『火狩りの王』の一巻目を読み終わったのが、今年の3月。。。たった四冊をこんなに時間かけるのか。
おーい。と自分を呼びたくなるほど、時間がかかった。
そして、外伝というのが、まだ一冊残っている。でも本編を読み終わったので、感想を書こうとしている。
内容が自分に合わなくて、読むのが嫌になったとか、そういうのでは決してない。
ただ、読書をするときに、何故か『火狩りの王』が後回しになっていただけ。
ごめんね。平謝り。私が悪いんです。
さて、この『火狩りの王』という物語は、ファンタジー作品。
人間は長い自滅の戦いの末に世界の滅亡を見、「火」を失い、火に近づくと人体発火を起こすようになってしまう。
生活に必要な「火」は、「炎魔」と呼ばれる「黒い森」に棲む魔獣を狩ることで手に入れる。
その炎魔を「火狩り(ひかり)」と呼ばれる狩人が、三日月形の鎌で狩ると、その血液が「火」となる。
主人公は、灯子(とうこ)という小さな少女。最初の方に年齢が書いてあったかもしれないけど、もう記憶のはるかかなたすぎて、覚えていない。10-12歳頃のイメージ。
灯子は、黒い森の中に点在する小さな村のひとつ、紙漉きの村で両親を人体発火で失い、親族とはいえ、他人の中で小さくなって暮らす。
そしてある時、村を炎魔から守る結界の外に出たところで、炎魔に襲われ、たまたま遭遇した火狩りに助けてもらうことになる。が、その火狩りは灯子の代わりに命を落としてしまう。
火狩りが狩り犬「かなた」と火狩りの鎌を残したため、灯子はこの名前も分からない命の恩人の家族へ、狩り犬と鎌を返しに、首都へと旅立つ。
……というのが、物語のスタート。
その灯子の旅路は、辛く苦しい。
あちこちで異変が起こっており、首都へと向かう車が龍神に襲われたり、〈蜘蛛(くも)〉と呼ばれる集団の暗躍を知ったりする。
たくさんの死とたくさんの出会いを経て、灯子や読者は、当初想定していた以上の「世界」を知ることとなる。
ファンタジーというのは、世界を作ること。
この作品もそう。
どこにも前例もお手本もなく、作者がどこまで破綻なくその世界を作りあげ、世界の一つ一つに名を付け、そして物語を動かすかが、面白さの肝だ。
だから、ファンタジーのあらすじを書くのはネタバレに直結しやすく、私はただでさえあらすじを書くのが得意ではないので、苦手意識が強い。
かなりぼやかすと、上記なような話。
(あらすじがやっと終わった)
さて、「生きることに意味は必要かどうか」と、灯子が考えるシーンがある。そこで、私なりに考えたことを書こうと思う。
ただ、この後は、直截的な物言いをするので、不快に思われる方もいるかもしれない。
死ぬことに意味はない。
必然もない場合もある。
燃える車の炎で、人体発火を起こし死んでいく人々。
龍神によって壊された車の下敷きになって死んだ仲間。
そういう理不尽な死、意味もなく、意味でさえも与えられない死というのは、どこにでもある。死んでいい命はないと思いながら、死んでいく人は死ぬ。理由もわけも分からず。
ひるがえって、生きる方は?
生きるとは、生きている人が考えることだから、理屈を捏ねたくなる。
どうして生きているのか。今生かされている理由は? これから生きていく意味は?
死ぬ理由は、考えても仕方がないと結論することもあるけど、生きることになると、人間は執着する。
そして、生きる価値や、生きていく意味をどうしても見つけて、言語化して、私はこのために生きている、と言いたくなる。証明して、生きる価値を叫びたくなる。
でも、そんなふうな理屈は必要なんだろうか。
生きるも死ぬも、その事実だけが全てなのではないか。
生きているから、生きる。
シンプルだけど、どんなに完璧に見える武装した論理よりも強い。
その逆は死ぬから、死んだ、となる。
非情にも思えるけど、今を生きることに、生きる理由なんて必要ない。
あなたは生きている。そして、生きているからには、その生をまっとうする。それが、生きるものとしての務めだ(どこかで聞いた、鬱陶しい理屈で、正論。私もそう思う)。
私にも、生きている意味や、生きている価値を探していた時期があった。
ずっとずっともう死んでもいいと思って、こんな命を生き長らえさせる意味なんてどこにもなく、死ぬ方法を毎日毎日考えた。生きる道理もなく、生きる価値もなく、早く死にたかった。
簡単に言えば、自殺する方法を調べて試すとか、どうしたら確実に死ねるかをずっと考えていた。
その当時について、苦しかったね、と今の私は言ってあげられても、そんなこと考えなくてもいいのに、考える必要なんてなかったのだよとは言えない。
生きる理由を求めながら、それよりも私は死にたかったのだから。死ななくてもいい理由を探すために、生きる理由を探していた。
生きる意味なんてない。生きていくことに意味を求めることは、ばかげたことだ、なんて言っても、その当時の私には通用しなかっただろうし、「だったら、今すぐ私を殺せ、そうでなければ、死なせてくれ」とでも言ったかもしれない。
生も死も意味のないことなら、なぜ私を生きているのだろう。生きたまま死んでいるゾンビみたいな自分に、私は我慢がならなかった。死ねないなら、生きる理由が必要だった。
生きる、そして死ぬ。
全ての人が通り抜けていくこと。
そこに意味や価値は、やはりあえては必要がないのだろう。
私はこのために生きている。
私はこのために死ぬ。
と考える人を否定したいわけじゃない。
でも、その「なんとかのため」は、生きるものという大きな視点からは、ある意味どうでもいい。
生まれて、生きて、死んでいく。
それが全てだから。
感想というか、私の経験談が長くなってしまったけども、生きる理由、生きていく意味や価値を与えること、持つこと、抱えること、それは個人の中では大きなことだけど、そんなものがなくても、人は生きていていいし、生きていくものだ。
物語は文庫四冊(本編)と短いのだけど、この大きな賛否ある命題に堂々と答えている。
読むのは楽ではないかもしれない。でも、読む価値はある。
少し前を思い出して、辛くなったけど、いい読書ができたと思う。
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もうひとつ、この物語の面白いと思う所は、人物やものへの個性的な名づけとその響き。
私は「揺るる火(ゆるるほ)」「手揺姫(たゆらひめ)」という響きがとても好きだった。
山田章博画伯の挿絵、表紙絵も素敵。
【今日の英作文】
「彼女は1学年上なだけで、とても大人っぽくみえた。」
"Although she was just a grade above me, she looks very grown up for her age.''
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