つながり活動 〜 兄とつながる 〜
突然ですが、私には兄がいます。
父親が亡くなった時は、兄は小学校6年生、私は1年生。
2人兄弟。
5歳上の兄なので、
幼い頃から私にとっては、いつも大人の世界にいる人だという感覚でした。
おそらく、
父が早くに亡くなったので、
私の父親代わりになろうとしてくれていたのかもしれない。
だから今でも兄には頭が上がらないところがある。
最近、認知症のある母親(おかん)の今後のサポートについて、
兄と会って話す機会があり、
その話が済んだ後に、
父親(おとん)のことをツッコんで聴いてみた。
私はあまり父親の記憶がなく、
自分の中で残っている思い出の映像は、
急に、「 富士山を見に行くぞ!! 」と旅行に行った時の、
宿から見える富士山を見ている時の映像と、
自宅にいる時に、よくトイレから下半身裸のおとんが踊りながら出て来た
時の映像だけでした。
その映像だけでは、
おかしな父親だったとしか想像できずにいたので、
思い切って、兄の視点で見た父親について質問をしてみた。
「あんまりそんな話はしていなかったな〜」と思いながら。
すると、ビックリ、
かなりの亭主関白だったようだ。
食事のレパートリーが少なかった母に対して、
「 他にも何か作られへんのかっ!!」と、
まさにちゃぶ台をひっくり返すということが
現実としてあったという。
更に、兄が学校で、何らかの理由で複数の人達に囲まれ、
袋叩きにあって帰ってきた時に、
「 勝つまで帰ってくるな〜!!」
と、外に投げ出され、
もう一度、その連中と闘うまで家に入れてくれなかったという。
「 え〜〜〜〜〜、 引いちゃう〜〜〜 」。
私はおとんに対して、全くそんな印象がなかった。
少なからず、私自身にちゃぶ台をひっくり返すような、
豪快な遺伝子は残念ながら受け継がれていない。
そういえば、おかんが、
「 ずっと我慢してきたのよ〜 」
といつの日か言っていたような。
兄と父親のことで話し込んでいると、
断片的だが少し思い出した映像がいくつかあった。
父は小さなアパレル関係の会社をしていて、
自宅の一部が作業場になっていた。
そこで一部、オリジナルの服を作っていて、
私は幼心に、「 すごいな〜 」と
図面を書くおとんや、横でミシンを縫うおかんを見ていた映像を思い出した。
それを兄に伝えると、
図面を描くおとんの横には、
他の店から買い付けてきた新作の洋服が置いてあり、
それとほぼ同じような洋服の絵を、
おとんが図面に描いていて、
「 これ、パクリやん!!」
と心の中で思っていたと兄は教えてくれた。
また、父親が亡くなる半年前くらいに、
やたらとシャロンという店に連れて行ってくれ、
シャロンの2階で鍋のコースを食べさせてくれた時があった。
そこのお店に置いてあった土瓶をおとんが気に入り、
お願いして家に買って帰った映像を思い出した。
「 土瓶みたいなもの、買うなんて何かすごい 」
と私がその時に感じていたことを思い出した。
兄にそれを伝えると、
「 あ〜、店の人が売り物でないものを売ってくれって言われて、
すごく困ってたから、ほんまにやめてくれ〜っと思ってたわ 」
と心の中で思っていたと教えてくれた。
全く違う捉え方。
でも、兄の方がおとんのことをよく知っているのは事実。
なんか複雑な気持ちになったと同時に、
そういう頑固なところ、
「 兄がソックリ受け継いでるや〜ん 」
ともわかってきて、
なんだか笑いが止まらなくなった。
「 兄とつながる 」。
40代になって、
兄とはようやく普通に話せるようになったと思う。
「 自分達の子供にも、もしかしてコピペの遺伝子が
受け継がれているかもしらんから、注意して見てみよう 」
と、おじさん2人が喫茶店で笑いあっている姿は、
少し気持ち悪かったかもしれないが、
おとんのことを知ることができて、
昭和のコテコテの亭主関白オヤジだったのだとわかって、
なんだか嬉しい気持ちになった。