写実主義文学の入口①「ボヴァリー夫人」~ギュスターヴ・フローベール
ユーゴーらを筆頭としたフランスのロマン派文学は19世紀中頃には下火となり、対立するかたちで「写実主義」(リアリズム)が台頭します。
写実主義の特徴は、主観をおさえ、社会の現実を理想化したり美化したりせず、ありのまま描写しようとする作風です。
フランスではスタンダールの「赤と黒」やバルザックの「ゴリオ爺さん」が1830年代に先行しましたが、写実主義文学の代表格としては、フローベールの「ボヴァリー夫人」(1856)がこの分野の典型として挙げられます。
フローベールは、もとはロマン主義的な文学を志向していたのですが、試作が周囲に酷評されたため、写実の作風に転向したと言われています。
「ボヴァリー夫人は私だ」という彼の発言はたいへん有名です。
「古典派」「ロマン派」「写実派」、あるいは「自然主義」や「象徴派」なども、あくまでも作品のスタイルであり、文学史上の系譜を区分けするための呼称に過ぎません。
他の多くのリアリズム作家たち同様、フローベール自身は強いロマンティズムを秘めた人物だったものと思われます。
この後、西洋文学はロシアでも大きく開花し、リアルな社会性とロマンが昇華された19世紀長編小説の最高峰「罪と罰」(1866)や「戦争と平和」(1869)が生み出されることになります。
ギュスターヴ・フローベール(1821‐1880~フランス・小説家)
写実主義文学の代表者。神経障害で大学での学業を放棄、故郷ルーアン近くで生涯を過した。1856年友人が主宰する雑誌に「ボヴァリー夫人」を連載、風紀を乱し反宗教的なものとして起訴されたが、無罪となった。その他「感情教育」(69)「聖アントアーヌの誘惑」(74) など、正確無比の文体と徹底的に主観を排した作風で知られる。
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