今回は、西加奈子の長編小説「ふくわらい」を取り上げます。
グロテスク、猥褻、とされる場面が多い作品です。
ですので、好き嫌いがはっきり分かれることと思われます。
短くまとめると、
「異端な生い立ちの主人公(少女)が、様々な体験を通し、自我を確立させてゆく成長物語」
、、、なのですが、この小説は、設定・登場人物・展開の全てにおいて、他に類を見ることができないほど世間一般の「常識」や「倫理」を突き抜けているのです。
目を覆いたくなるようなシーンがこれでもかと出てくるのですが、徐々にそれが清々しく思えてくるのはなぜなのか。
読後に、腹の底からこみあげる感動は一体何なのか・・・
あくまでも個人的な解釈・考察になりますが、「物語の力」ということを軸として、主な登場人物やエピソードを紹介して行きます。
記事中、多くの抜粋がされていますが、残酷な場面や性描写がリアルな箇所等は、あえて取り上げておりません(これらが作品の重要な部分ではあるのですが)。
また、作中のハイライトシーンが多く含まれます。
あらかじめご了承ください。
「けしからん(?)」お話
概要(その1)
この作品では、一般に「タブー」や「悪趣味」とされている事物が徹底的に描かれています。特に人食いの場面は強烈です。
ただ、それは、猟奇趣味から書かれているのではありません。
一般に「醜」とされる事物を避けては表現することができない、フィクションだけに到達可能な「聖なる領域」があるのだ、
そして、非常識とされる「負」の部分が徹底的に描かれてこそ立ち上がる「美」やメッセージがあるのだ、、、
著者のそのような、強い確信や意思がこめられているように思われるのです。
白紙の人
特殊な環境の中で成長した定は、序盤では一般的に「人間的」とされる常識や感情が欠落しています。「泣く」ことや何かに「ひるむ」という感覚も知りません。
成人して社会に出てもそれは変わらず、友情や恋愛も知らないままです。
そんな「白紙」な定を核として、この破天荒な物語は続きます。
概要(その2)
鳴木戸定、「関わりたくない」存在
幼い頃からの定の唯一の楽しみは、「ふくわらい」です。
明かりを消してタオルで目隠しをして、何時間でも楽しむことができるのです。この趣味は、成人してからも続きます。
日頃は他者を避けている定ですが、目が合った人の顔をじっと見つめる癖があります。
その人の顔を観察し、空想の中で眉を鼻の下に移動してヒゲにしてみたり、目を左右に大きく離すなどを試して遊んでいるのです。
常に無表情で、じっと真正面から見返してくる人、
まれに口を開いても敬語しか使わない人・・・定は「浮いている」どころではなく、周りにとって「化け物」に近い存在です。
何よりも「あの件」が、誰にとっても恐怖でしかないのです。
以下は、その部族の習慣について書かれた箇所です。
さらに異端なキャラたち
この作品には、他にない多くの魅力があります。
まずは、ユーモラスかつ緻密な筆致による、奇想天外な物語展開。
また、そのプロットが、未来でも遠い過去でもなく、「現代の東京」というリアルな枠を足場にしていること。
そして、定という強烈な中心を取り巻く、個性的過ぎる人物たちの確固たる存在感です。
彼らは定の周りを各々の軌道で巡りながら、彼女の成長物語と作品を貫くテーマに関わり、この「あり得ない話」に強引とも言える説得力をもたらしているのです。
彼らのプロフィールを、各々のエピソードや科白等とともに紹介していきます。
①守口廃尊~崩壊寸前のプロレスラー兼文筆家
・身長197センチ、112キロの巨漢。
・心身ともに破壊されており、顔面も崩れている。
(「左目が落ち、鼻が曲がり、口があさってを向いている顔」~267頁)
・元来凶暴かつ破滅的な性格で、逮捕歴の他に自殺未遂も多い。
・重い鬱病を患いながらも、中年になった今でも現役を続けている。
・リングを愛しながらも、プロレスを激しく恐怖している。
・荒唐無稽なコラムで数少ないファンによって熱狂的に支持されているが、
「言葉」というものをもまた、恐れている。
・鳴木戸栄蔵の著書を愛読しており、編集部の中で定にのみ心を開く。
・定は、「失敗した福笑い」のような彼の顔と、一見支離滅裂ながら原始的な力を秘めた彼の文章に魅了されている。
②水森ヨシ~愛するあまり亡き夫に成りすますゴーストライター
・79才になる今も美貌を保つ未亡人。
・夫は、定が担当していた(「変態的」とされる)作家・水森康人。
・夫を愛するあまり、彼の死後も一体化を望み、成り代わって執筆を続行させる。
③武智次郎~「先っちょだけ・・・」と定に迫る、盲目のラテン系男
・日本人とイタリア人のハーフ。
・10年前に視力を失う。
・新宿の紀伊国屋書店前、道に迷い取り乱しているところを、通りがかった定に救出される。
・以降、定に「先っちょだけでもお願いします」と求愛を続ける。
・定は悩むが、彼の誠実さに好意を持ちはじめる。
・定は、武智が振り回す「白杖の軌跡」に強く魅了されている。
④小暮しずく~美人すぎる編集者
・定が働く編集部の、一年後輩。
・この話の主要人物の中で、数少ない「常識人」側の一人。
・完璧とも言えるその美貌により、テレビの取材を受けたこともある。
・担当する作家たちの数人に、公私混同した要求をされている。
・交際相手に二股をかけられ、挙句に捨てられる等「男性運」に恵まれていない。
・定はしずくを見ると、いつもの癖でその大きな目を極端に下へ移動し、「りすみたいだ」などと空想している。
・最初は定を気味悪がって避けているが、ひょんな状況から自分の失恋の打ち明け話をしたことを機に、定に好意を持つ。
・定もしずくに親しみを覚え、武智からの執拗な求愛についてしずくに相談する。
・「その人、武智さん?は、鳴木戸さんとただセックスがしたいんじゃないですか。ただやればいいんですよ。やっちゃったら連絡来なくなるかも知れませんよ。」(215p概略)
初めての「友だち」と「異性」
武智に引き合わされたしずくは、最初は彼に反発し、詰問します。
しかし、武智は毅然として主張を貫きます。
しずくは、やがて武智に反論ができなくなってしまいます。
武智と別れた後、しずくは定を、映画に誘います。
その後、居酒屋で二人は大量のビールを飲み交わします。
感情が高ぶったしずくは身を乗り出し、テーブルごしに定を抱き締めます。そしてしずくは、それまで「友だち」を知らなかった定にとって、無二の親友となります。
彼らとの交流を通して定は、それまで未見であった世界の景色に向けて開かれていきます。
新しい世界との握手、抱擁
こうして白紙だった定の心に、彼女に必要だった、彼女だけのためのパーツが集まっていきます。
そして読者も知らぬうちに定の視点に同化され、この物語だけの新たなステージに導かれて行きます。
そして、この猥雑な物語以外では得ることのない、不思議なカタルシスを体感することになります。
ランダムではありますが、個人的に強く印象に残った(掲載可能な)箇所を他にいくつか抜粋しておきます。
定と守口の間で交わされるやりとりでは、著者の文学観が強く出ているように、個人的に感じられます。
編集者である定が担当する作家(之賀さいこ)の小説について言及された、以下のような箇所もあります。
そしてこの言及は、まさに『ふくわらい』という物語そのものでもあるように感じられるのです。
序盤は展開がややスローであり、読み辛い面もあります。また、定をはじめとして描かれている事物への違和感や嫌悪から、途中で閉じたくもなります。
しかし、不思議なことに、読み進めるうちに、徐々に主人公に感情移入していってしまいます。
そこがこのストーリーテラーの腕っぷしの強さであり、強引とも言える「物語の力」によるものなのだと感じます。
ばらばらだった世界が定の中で整っていく・・・そしてこれから先、定らしく強く長く 生き抜いてゆくことを願わずにいられない。
自分はそんな気持ちに心底させられてしまいました。
すべてが「ほら」の世界ではあるのですが。
以下にて、著者の「物語観」が、本人によって分かりやすく語られています(この『i』という長編もお勧めです)
西加奈子さんインタビュー 『i(アイ)』刊行記念:ポプラ社(ロングバージョン) 2016年
西加奈子 1977~ テヘラン・小説家、画家
イランのテヘランで生まれ、エジプトのカイロ、大阪で育った。『あおい』(2004)でデビュー後、『さくら』(2005)がベストセラーになった。’他に『通天閣』(2007)で織田作之助賞、’『ふくわらい』(2012)で河合隼雄物語賞、『サラバ!』(2015)で直木賞を受賞した。他に『漁港の肉子ちゃん』(2011)、『i』(2016)等、多くの傑作がある。