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フィルム写真の魅力と罪悪感

これは一種の人間らしい温かさへの憧れでもあり、
デジタルな現代社会への冷たさに
対する小さな反抗なのかもしれない。

懐かしさへの憧れ

レトロな雰囲気漂うフィルム写真を好きになったのは、
割とカメラを初めて最初の方だったような気がする。

最初は、あのデジタル写真の完璧の隙のない写真に
憧れを抱いていた。
しかし、その完璧さがどこかよそよそしくて、
人間らしさを感じられず、現実を見せてくる感じがして
どこか好きになれなかった。

そんなときに、忘れていた幸せな記憶を
思い出させてくれるようで、人間らしい温かさがあり、
あの色調と独特の質感は今を生きる自分たちに対して
何かを話しかけてくれているような
フィルム写真に出会いました。

デジタルの冷たさに疲れた目には、
まるで魔法をかけられたかのように
温かく映りました。

時間が止まったような静寂、
そこには現代では失われつつある
何かが宿っているような気さえしました。

魅力を知ってしまったが故の罪悪感

その魅力に惹かれ、フィルムカメラをしてみたいとは
思いつつもなかなかそっち側にいけない自分が
フィルム写真の風合いを再現しようと
加工アプリに課金しました。

昭和の色彩、平成の質感が
簡単に手に入る「レトロ」な世界がそこにはありました。
現状そこに甘んじている状態に罪悪感を感じています。

罪悪感との対峙

フィルム写真の魅力を知れば知るほど、
比例するようにデジタル加工への罪悪感が
積み重なる。

シャッターを切る緊張感、
現像を待つ焦燥、
一枚一枚に込める思い。

それらを経験せずに得られる「フィルム風」の写真を
楽しむ自分。

それは、フィルムカメラを愛する人々への
裏切り行為なのか。
レトロな雰囲気に魅せられた、
純粋な憧れと罪悪感が同時に襲ってきました。

他の人が、加工アプリで表現している写真を
見る分にはシンプルに感動できるのに
自分がやるぶんにはどこか罪悪感を感じてしまう。

罪悪感と憧れの狭間で揺れる心

もしかしたらその揺らぎこそが、
新しい写真文化を生み出す種なのかも知れない。

デジタルとフィルム、便利さと手間暇、
その相入れないと思われていたものの
一つの答えなのかも知れない。

まだ本当のフィルムを知らない
僕にはまだ答えが出ない。

だからこそ、このデジタルとフィルムの間を
今は思いっきり楽しんでみようと思う。

フィルムの世界に
もっとツッコみたいと思える日まで。

フィルムもデジタルも、
結局は光を捉える道具に過ぎない。

大切なのは、
その先にある物語だということを
忘れてはいけない気がする。


公園でのスナップ写真

ボールが人の気配を感じさせます。
最初はかわいそうだなと思いましたが、この方が記憶に残るしいいのかなとも思っています。このギョロとした目が公園を羨ましく眺めているようで思わず撮りました。
なんか高校の時の野球部のベンチを見ているようでした
ヒールを履いたような木
もっと望遠のレンズを持っていけばよかった。。。
玉ボケとこの光の入り方が最高でした。
カメの甲羅干し。なんか誇らしげ。
子供を見守る親のような木
水面の乱反射が最高に綺麗でした。

こんな記事感じの思考の記事を
有料記事で書いていこうと思っています。

本来なら、有料記事にしたかったですが
大サービスで今回は無料で見れるようにしておきます。

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うらやん / yoridokoro
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