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【超短編】曙

「死にたいなぁ」
「どうして?」
ぽつりと溢した独り言だっはずが、隣に座る親友に拾われてしまった。あたしは曖昧に笑うと親友の手を握る。
「時々嫌になること、あるでしょ」

高校受験が終わって一週間が経つ。いよいよ明日は合格発表だ。親友と二人で発表を見に行くことになり、どうせなら前日あたしの家に泊まりなよ、なんて声をかけた。
親友と明け方までこうやって話すのはいつぶりだろう。一年前の夏休み以来か。ひんやりと冷たい窓辺に座って、曇った硝子の向こうを思う。まだ暗い空。

「あるよ。いっぱいある」
親友は鋭く息を吐き出す。親友がさっきまで食べていたミントの飴の香りがした。なんだか急に羨ましくなって、あたしも床に散らばっていた個包装のミントの飴を、一つ摘んで口に放り込む。
「昨日、友達に嫌いだって言われたんだ」
親友の目を見ていると言えなくなりそうだったから、目を逸らして呟く。彼女は何も言わずに、手を薄く握り返してきた。
「ずっと、友達だと思ってきたのに、好きって沢山言ってくれていたのに。凄くショックだった」
親友はまだ黙っている。こんな悩みで死にたいなんで大袈裟か。微々たる後悔を含んだまま親友のほうを見た。

「…沢山言われた好きよりも、たった一回の嫌いを信じたの?」
「え?」
「私、そういうのよくわからないんだけど、そういうものなの?」
慰めようとか、力になろうとかではなくて、本当に疑問なようだった。あたしは親友の問いかけを反芻して咀嚼して、やがてなんだか可笑しくなって笑った。
「多分、違うね。あたしはその友達が好きだから、そう簡単に嫌えないよ」
「やっぱり?でも、もしその友達と上手くいかなくなっても、落ち込まなくていいよ。私はずっと親友だよ」
彼女の微笑の虜になって、同じシャンプーの匂いに頭がくらくらして、親友の肩に頭を預けた。彼女は床に散乱したミントの飴を拾い上げ、包みを剥いで噛み砕いた。ガリガリと鈍い音が伝わる。
「…ありがとう」
「どふいたひまひて…私も悩んでることあるんだけどさ、」
「なぁに?」
「入試の、国語の枕草子の問題。“冬はつとめて”なのは覚えてたんだけど、春のほうが出てこなくて」
親友は宙に「春」の字を書く。あたしは窓の外を指差して笑った。
「春は曙。ほら、今の時間くらいじゃない?」
「そうじゃなくて、つまりーー」
珍しく言葉を詰まらせた親友を見ていた。流石にその先言おうとしていることはまだ分からない。
「つまり、私だけ落ちていたらどうしようだなんて、思って」
「なあんだ、そんなことか。そしたらお互い違う学校になるだけ。親友なのは変わらない、そうでしょ」
そうであってほしい。そうでなきゃ駄目だと思うし、そんなことで壊れるような絆じゃないとあたしは信じていたいよ。
そうでしょ、と問いかけたのに、返事を聞く前に親友の手からミントの飴を奪って噛んでみた。ガリガリと鈍い音を再び耳にして、やがて彼女は氷が溶けたように、優しい笑顔を取り戻す。
「そうだね。ありがと」

いつの間にか眠っていたらしく、九時ぴったりにお母さんに起こされた。そろそろ家を出ないとお昼までに帰って来られないよと呆れ顔で言われ、慌てて家を出た。
たかが受験で関係が変わってしまうようなら、最初から親友になんてなっていない。すっかり明るく晴れた眩しい空に目を細め、二人で歩き出す。
親友とあたしはまだ、同じシャンプーの香りを纏っていた。

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