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【短編】ゴーストライター

原稿用紙があと数文字で埋まらないとき、僕は君のことを思い出す。君の字で染められた美しい世界と、夏服だらけの教室。ひとりだけ、茶色い髪の君。誰も、何も疑わなかったあの日、僕だけが知っていた秘密を。真っ青な空とともに、思い出す。
ぱたり。ぱたり。
原稿用紙に汗が落ちて、やがて、みかねた教師がエアコンをつけた。
「今日も暑いなあ。それ仕上がるまで、帰るんじゃないぞ。俺は席を外すけど」
職員室に涼みに行く気かよ。畜生め。
僕はぎゅっとシャープペンシルを握る。汗だくになっていることに今更ながら気付いて、そばに置いていたリュックからペットボトルを取り出した。僕と同じように汗をかいたそれの蓋を開けて、甘いサイダーを流し込む。ようやっと息ができた。頭がクリアになって、原稿用紙と再び対峙する。
高校の感想文は、書かなければいけない文字数が多すぎた。“すごく良かった。”のあとに“と思った。”を付け加え、無事に文字数をクリアすると、僕は夏空の向こうの君に思いを馳せる。

ひとりだけ生まれつきの茶髪だった君は、中学でも妙な存在だった。黒染めを強制されることはなかったが、教師も、生徒も、よくは思っていなかっただろう。僕も最初はそうだった。
入学式後の教室から君は異質な存在で、隣の席だった僕は嫌悪感に苛まれながら過ごしていた。ヤンキーの隣(別に君がヤンキーだと決めつけたことはないのだが、客観視してヤンキーという総称をあえて選んだ)というだけで、肩身が狭いような中学では無かったのだけど、僕はぎゅっと胸が痛かった。
入学してすぐ、作文を書かされた。中学生になって、というタイトルの、部活を頑張りたいとか、そういったことを書く作文だ。僕は作文が大の苦手で、なんとなく君のを盗み見たんだ。
美しかった。それ以外僕は言葉を知らない。たかが作文だと君は笑ったけど、ほんとうに、するりと、そうまるで風邪のときに食べるゼリーみたいに、暑い夏の日に呷るサイダーみたいに、寒い雪の日に震える手を押し付けたホットコーヒー缶みたいに。心が洗われるのを感じた。生き返る、と。例えるならばそんな感覚だ。
「なあ、どうやってそんな文を書くんだ!?教えてくれよ!」
瞬間、周囲の視線がこちらに集まった。
それが始まりだった。僕は、君を密かに追い詰めてしまっていたんだ。地獄の始まりだった。

「あー、読書感想文だりぃ」
僕達の通っていた中学は、学校内で課題図書があって、それを借りるか外部で買うかして、読書感想文を書かなければいけなかった。学校では課題図書に選ばれた本が十冊ほど用意されていたけれど、それが発表されたその日に借りないと、買うことになってしまう。争奪戦だった。一年生だった僕と君はその戦いに加わることすら諦め、帰り道に本屋で本を買った。一緒に帰るくらいには、仲良くなっていたつもりだったんだ。
その日本屋には、僕達の他に、クラスメイトがいた。学級委員長で、真面目な奴だ。その女の子は、僕達の隣で本を真剣に見ていて、僕は気にせず本を選んだ。君より先にレジへ向かって、戻ってくると、二人が何やら話していた。
「じゃあ、俺が書き終えたら渡すよ」
「うん、ありがとう」
きっと、同じ本を選ぼうとしたのだろうな。
僕はそう思って、君に帰ろうと声をかけた。君は酷く疲れた顔で頷いたのを、覚えている。

「本、何にした?」
僕は君へそう問うた。
「“街とともに”。お前は」
「“ヘンリー爺さんと森の友達”。簡単そうだったから」
「…本の内容の簡単さと感想文の簡単さは比例しないぞ」
「えっ、マジか。変えるべきかなぁ」
君は小さく笑って言った。
「俺のよりは、簡単だよ。きっと」

夏休みが明けた。僕は新学期早々の国語の授業を楽しみにしていた。読書感想文をみんなで読みあう授業で、君の感想文を読みたかったんだ。
授業が始まって、僕は真っ先に君に話しかけた。君は怠そうに、僕と原稿用紙を交換する。そこで触れた世界を僕は、忘れることができない。
「すごい…ねぇ、やっぱり君すごいよ!」
そう叫んだ刹那、教室が静まり返った。
「いい加減にしろ。返せ」
「あっ…ごめん」
声を荒げた君を、嘲笑う声が聞こえてきた。
キレたヤンキー怖え。
この茶髪野郎。
あんな奴の作文がすごいとか、終わってる。
僕は言い返したかった。でも、君が余計に苦しくなる気がして、言わなかった。嘘だ。怖かったんだ。言えなかった。
そんなとき、学級委員長のほうから拍手が聞こえた。
「やっぱり天才!学級委員長さすが!」
「作文も上手いんだね!すごい」
そういえば学級委員長は、君と同じ本を選んで書いたんだよな。
そう思い出して、よし僕が君以外の作文は底辺的で薄っぺらなことを確かめてやる!と、好戦的になりながら学級委員長のほうへ向かった。
「僕にも読ませてよ」
「いいわよ。どうぞ」
原稿用紙に刻まれた、その字に見覚えがあった。少しいつもより綺麗だけれど、これは間違いなく、君の字だ。
嫌だ。これ以上読みたくない。
だが僕は引き下がれずに、作文を読み進めた。
間違いない。これは君の文だ。
バレないようになのか、同じ本でも内容は全然違う。でもこの文は確かに君のものだ。だって入学したときのあの作文で感じたものと全く同じものを、これから感じるのだ。
「が、学級委員長。これーー」
パッと君のほうを見た。君は恐ろしいほどに僕を睨んでいる。でも僕は、どうしても言いたかった。
「これ、あいつに頼んで書いてもらっただろ!」
僕は君を指差す。
「先生!この作文とあいつのを比べてください!絶対わかるから!」
「こら、落ち着いて。どれどれ…」
先生は二人の文を読んで、笑った。
「全く違う文じゃないの。思い込みよ」
「え!?だったら字を見てください!一緒でしょ!?」
「もう、学級委員長さんがヤンキー君に作文を依頼するわけないでしょう?馬鹿なこと言ってないで返しなさい」
先生は僕の手から原稿用紙を取り上げると、みんなに席に着くよう促した。
こうして、楽しみだった授業は終わった。

帰り道、僕は土手を歩きながら、先をゆく君に問いかけた。
「君が書いたんでしょ?」
「まだ言ってんのか。俺は書いていない」
「どうして僕にまで嘘を吐くの。僕わかるんだよ!?君の作文は絶対…」
「もういいんだ。言わなかったっけ?俺転校するんだ」
「え?転校?」
「今頃、もう家族は新居に着いてる。俺は今から駅に行って、そこから向かうんだ」
「嘘でしょ!?ねぇ、なんで。僕、友達なのに」
「俺は友達なんて言った覚えはない!」
君は肩で苦しそうに息をして、それから優しい声で言った。
「俺は作文が好きだから、今日の授業だけは出たかったんだ。でも、出ないほうがよかったかな」
「わかった、もう言わないから。だからーー」
嘘だって言ってよ。
僕はもっと君の紡ぐ世界を見たかったのに。友達じゃなくてもいいから。
「俺はずっと作文を書くよ。だから、見つけて。今日みたいに」
「それって」
「じゃあな!親友!」
夕日が君の後ろ姿を、酷く淋しく繕った。僕は駅に向かって走り出す君を、止めることもできずに座り込んだ。
「ヤンキー野郎…」
思ってもいないことを呟く。だって君の名を呼んだら、全てが壊れてしまいそうだったから。
「見つける。見つけるよ…」

青空。君のいるところは晴れだろうか。
汗か涙か、頬を伝う液体に気付いて、僕は漸く笑みを溢す。
職員室に寄って、作文を提出した。やっと帰れると思いながら、下駄箱で靴を取り出した。
ふと、廊下の掲示物に目を向ける。
「これ、去年の読書感想文か…」
この学校で先生に選ばれた読書感想文が貼られていた。ふと目を通して、絶句した。

武下歩夢たけしたあゆむ

そういえば名前もあまり、覚えていなかった。

宜しければ。