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LIFE Essay 『言葉の持つ真髄―「日日是好日」の世界に寄せて』1月21日 朝

ふとテレビをつけた瞬間、目に飛び込んできたのは樹木希林の姿だった。


あぁ、またこの映画だ。何度観ただろう。


もう台詞の一つ一つを覚えてしまうほど繰り返し観ているのに、気づけばまた引き込まれ、息をのむ。


そして、また涙する。


最初にこの映画を観たときは、ただ静かに流れる茶道の世界に魅了されていた。

畳の上での一歩一歩、湯のたぎる音、茶筅を振る所作、そのすべてが美しく、心を整えていくようだった。

しかし、繰り返し観るたびに、私はこの映画の奥深さに驚かされる。



それは茶道の映画ではなく、「生きる」ということそのものを描いた物語だった。


「日日是好日」——



その言葉の意味を、私はどれほど理解できているのだろうか。

晴れの日は晴れを楽しみ、雨の日は雨の音に耳を澄ませる。


ただ、それだけのことなのに、それを「良い日」として受け止めることがどれほど難しいことか。


人生はいつも思い通りにいかない。嬉しいこともあれば、悲しいこともある。
それでも、それらすべての日が、自分の人生を形作っている。


ある日、私は茶室の片隅に座っていた。
掛け軸には「日日是好日」の文字がかかっている。

先生は静かにお茶を点てながら、こう呟いた。

「形より、まず心。」


私はその言葉の意味を考えながら、茶碗を手に取った。
形にこだわるあまり、心が置き去りになっていたのではないか。

ただ美しく見せるために、ただ間違えないように。

けれど、それでは何の意味もない。


春には、桜が咲き、風に舞う花びらを眺めながら一服のお茶をいただく。

夏には、蝉の声を聞き、汗ばむ手のひらで茶碗の涼しさを感じる。

秋には、紅葉を愛で、静かな風に包まれながらお茶の香りを楽しむ。

冬には、雪の音を聞きながら、湯気の立つ茶碗をそっと両手で包む。


茶道とは、こうした何気ない季節の移ろいを味わうことなのかもしれない。
そして、それは「生きる」ということと同じなのかもしれない。

樹木希林が演じた茶道の先生は、決して多くを語らない。

ただ、そこに存在し、ただ一つひとつの動作を丁寧に行う。

しかし、その佇まいだけで、人の心を震わせる力があった。

彼女が紡ぐ言葉は、静かに、しかし確かに心の奥深くに届く。


私は、何度もこの映画を観ているのに、観るたびに違う感情が湧き上がる。涙がこぼれる瞬間も違えば、心に刺さる言葉も違う。

そのときの自分の状況や心のあり方によって、この映画はまるで違う物語のように映る。

「日日是好日」

静かな茶室に差し込む光の中、湯気が立つ抹茶を点てる茶人の姿。侘び寂びの精神が息づく瞬間。


この言葉の意味を、本当に理解できるのはいつになるのだろう。

きっと一生かけても、その本質にはたどり着けないのかもしれない。

けれど、それでもいい。
人生は、すぐに答えを出すものではなく、ゆっくりと味わうものだから。


どんな日も、好日である。
それを信じて、今日もまた、生きていく。


エピローグ

映画が終わった。
画面は静かに暗転し、最後の余韻だけが残る。
私は、しばらく動けなかった。

心のどこかに、小さな風が吹いたような気がした。それは懐かしくもあり、新鮮でもあり、何かをそっと教えてくれる風だった。

「日日是好日」

この言葉は、決して特別なものではない。
けれど、だからこそ深い。

晴れの日は、ただ晴れを喜び、雨の日は雨の音に耳を澄ませるだけでいいのに、それがどれほど難しいことか。

私たちはいつも、もっと特別なものを探してしまう。もっと素晴らしい明日を、もっと輝く未来を、もっと正しい答えを。


けれど、本当に大切なのは、目の前の一瞬一瞬を丁寧に生きることなのだ。

樹木希林が演じた茶道の先生のように、
言葉少なくとも、心の奥に深く届く生き方をしたいと思った。

静かに立ち上がり、窓を開ける。
夜風がふわりと頬をなで、遠くで風鈴の音が鳴った。

この風も、この音も、今この瞬間しか味わえないものだ。それなら、もう少しだけ、目を閉じて深く感じてみよう。

どんな日も、好日である。
それが、きっと、生きるということなのだから。


ハッシュタグ

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