6月17日(日)この世でもっとも恐ろしいものは、正義だと思った
ホーチミン旅行2日目。美味しいものを食べたりインスタ映えする写真を撮ったり色々楽しんだけれど、今回はこの旅でいちばん印象に残った場所の話をしようと思う。
その場所は、戦争証跡博物館。ベトナム戦争について伝える博物館だ。最初は恥ずかしながら「行きたい」というよりは「行っておかなきゃダメだよな」という消極的な理由で、こんな風に最も行ってよかった場所になるとは思ってもみなかった。
博物館は、3階建てでいくつかの部屋に分かれて展示がある。見る順番というのがあったのかはわからないのだけれど、印象深い展示を写真と共に辿っていこうと思う。
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まず入ってすぐの場所にあるのが、ベトナム戦争の反戦運動だったり諸外国の関連資料だ。
目についたのは、様々なプロパガンダポスターたち。
わたしは大学でマーケティングを専攻しているのだけれども、博物館に入って真っ先に目に飛び込んでくるこれらの資料を見て思ったのは、マーケティングと戦争の関係性のことだった。
この記事にあるように、マーケティングは戦争と深く関係している概念で、自分自身それは知識としては知っていた。けれど、「へーそうなんだ!」くらいの感覚だった。
だけどポスターを見ているうちにそれがスッと不意に腹落ちして、次の瞬間に湧いてきたのは、もっとマーケティングという行為に覚悟を持って接しなければならない、という気持ちだった。
「人の行動に影響を与える」というマーケティングの暴力性、その業を背負ってまでそのモノやサービスを届けたいと思えるか。例えば性能の測定で不正があった、使った人に健康被害があった、個人情報が流出していた、そういうことはどんな製品でもあり得ることで、そうやって自分でも知らないうちに誰かに被害を与える片棒を担いでしまう、そういう責任を背負ってまで届けたいかと、自分に問いかけていかなければいけないと思った。
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そして階を移動し、報道写真が並ぶ部屋へ。そこには教科書やテレビなどベトナム戦争について語られる時に必ずと言っていいほど目にしてきた、沢田教一さんの『安全への逃避』があった。
初めて作品としてそこにあるのを観て、胸がいっぱいになって泣きそうになってしまった。ベトナム戦争の悲惨さ、この瞬間にシャッターを切った沢田さんのこと、この写真を紹介されたジャーナリズム論の授業などいろんなことが頭を駆け巡って、1枚の写真がここまでのコンテクストを含むようになるのかと驚き、月並みだけれど「写真の力」というものを実感した展示だった。
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そして終盤。使われた武器・兵器に関連する展示の部屋。正直ベトナム戦争では枯葉剤が使われた、くらいの知識しかなくて、工夫を凝らされた武器や兵器の数々に驚く。例えば、爆発すると小さな球が四方八方に飛び出す「ボール爆弾」や羽が開いたような形のパイナップル爆弾。同時に、こんなものを開発した人はどんな気持ちだったんだろうとも思った。
だけど少し経って、本当に突然、わたしの頭の中にフラッシュバックしてきたのは映画『シン・ゴジラ』を観たときの感情だった。そして、
あれ、わたしの中にも誰かの命を奪いかねない正義があるぞ、と。
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『シン・ゴジラ』を観た当時のわたしの感想は、「もし脅威が現れたとき、それに立ち向かえる力を持った人間でありたい」というものだった。それは、つまりゴジラが襲来してきたときに無力に死んでゆくのではなくて、対抗策を考え、武器を作り、戦い抜く側の立場でありたいということだ。わたしにとってゴジラは人々の命を奪う絶対悪で、敵で、殺しても構わないと信じて疑わない発言だった。
あくまでも想像だけど、戦争で使われた工夫を凝らした武器を発明した人たちの中には、こういう正義が動機になっている人もいたんじゃないかと、そう思った瞬間に一瞬血の気が引いた。正義はそれを信じる立場からすると、何かを傷つけるようには見えない、それがなおさら恐ろしい。
自分の正義が誰かを殺す、そんな結果をもたらすこともあるということ。そのことを忘れてはいけない。
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こんなことたちをぐるぐると考えながら、本当にここへ来てよかったと、戦争証跡博物館を後にしたのだった。
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