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グレン・グールドというピアニスト
カナダにはトロント出身の英雄的ピアニストであるグレン・グールドという人物がいます。
彼の地元に住んでいる私が、外から見て偶像化されたグレン・グールドと、ジモティーならではの視点とを比較しながら、勝手に解釈、そして皆様にファンとなっていただくために様々な角度から彼をご紹介するという企画です。
こちらは回を重ねながら、少しずつ深掘りしてご紹介する形まで持っていきたいと考えています。どうぞお付き合いをお願いいたします。
第一回目は全体像です。まずプロフィールからご覧ください。
グールドのプロフィール
彼は1932年9月25日、カナダのトロントに生まれました。
母親からピアノの手ほどきを3歳から受けたのち、1940年に7歳にしてトロントの王立音楽院に合格。
1944年(12歳)地元トロントでのピアノ演奏のコンペティションで優勝。
1945年(13歳)オルガン奏者としてデビュー。
同年には、CBCによりグールドのピアノ演奏が初のオンエアされました(CBCは日本のNHKのような国営放送局)。
1946年5月トロント交響楽団と共演し、ピアニストとして正式デビュー。
同年10月(15歳になったばかり)、トロントの王立音楽院を最年少で最優秀の成績で卒業しました。
1947年に初リサイタルを行って国内での高い評価を得たのち演奏活動を本格的に行います。
1964年4月10日(31歳)のロサンジェルスのリサイタルを最後に演奏活動を引退します。これ以降の没年まではレコード録音、及びラジオ、テレビなどの放送媒体のみを音楽活動の場とします。
1982年9月27日(50歳と2日)、脳卒中によりトロント総合病院に緊急入院しますが、容態は急速に悪化。一週間後、父親の判断により延命措置の停止が決断されました。
遺体はトロントにあるマウント・プレザント墓地に埋葬されています。
(ここまでがWikiの概要となります。)
彼のイメージと、本当の彼とのギャップ
日本では彼が残した偉業や伝説から「異端」「革命」「天才」「孤高」というイメージが多く、そのイメージから彼は神のように崇められ、近寄りがたい遠い存在へと押し上げられてしまっているように思います。
しかし、実際はそのようなイメージとは違い、「ママから溺愛」され、「毎回パパにコンサートの椅子を調節してもらう」という、気ままな御坊ちゃま育ちの要素があったことも決して忘れてはならないと思います。
トロントにある彼が子供の頃に住んでいた家はそのままの状態で保存され、普通の家と同じように次の住人が住んでいます。近所の人達は「あぁ、あそこに住んでいたよ!」「すぐ、そこだよ!」と気軽に教えてくれます。そして「彼はトロントの英雄だよ!」と誰もが自分の友達や親戚のように話してくれるので、彼が慕われている感じがビンビン伝わってきます。
ロッカーにも愛されるカッコ良さ
外見は容姿端麗でありながらどこか尖ったロックンローラーのような雰囲気を持っていたので、当時はアイドル的な存在でありました。若くして亡くなったジェームズ・ディーンのような…。グールドも50歳という若さでこの世を去り、生き急いだ感が似ているような気がしないでもありません。年齢も近いです(ディーン1931年生まれ)。
実際、カナダではグレン・グールド財団が「ピアノ界のジェームズ・ディーン」と呼んでいます。
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彼は巨匠や大物との共演であっても頑なに自分の意見を曲げずに相手を屈服させてしまうほど意思が強かったそうです。それと禁欲的とも考えられていたバッハを好んで演奏し、斬新なピアニズム、前衛的な解釈で「革命」と言われました。少し尖ったような彼のイメージはそんな部分から来ていると思います。
夏でもコートと帽子とマフラーを身に付けていたそうですが、これはきっと、どれも薄手のものだと思います。実際、トロントの夏は湿気がなく爽やかです。これだけカジュアルが浸透している今であっても、大人男子はリネン素材のハンチング帽をもちろん被りますし、薄手のコートやマフラーも持ち歩くと、夏でもとても便利です。そして当時は地球温暖化が進んでいなかったので、日陰ではコートが欲しいくらい涼しい時もあったに違いありません。
それらはグールド流のお洒落で、美学でありました。
恋愛も!孤独ではなかった
ロマン派の曲を嫌い古典派を好んで弾いていましたが、本人は「どうしようもなく自分はロマン派だ」と言っていました。これは曲に対しての言葉なのでしょうが、古典派を多く弾いたところから、この言葉は恋愛に対してだったのではないか?と見ております。生涯独身でしたが普通の男性と同じく女性との恋愛があり、人妻との密かな恋もありました。
都会での華やかなパーティーよりも静かな自宅へ帰ることを望み、顔見知りとつるむことよりも、数少ない友人たちとのひとときを大切にしていたようです。夜遅くまで語る友人、いとこ、恋人などがいたようで、お腹が空くと真夜中だというのにレストランで食事することもありました。
彼は夜行性で、深夜に友達を呼び出しすことがしばしばあったそうですが、それでも友達たちは寛大で、結びつきは強かったようです。
彼が過ごした家の近所には小さな繁華街があり、今でも残っている古いお店があります。パンデミックが終わったら聞き込み調査を行い、彼が通った店を探してみたいと思います。
〜つづく〜
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