2024年5月8日 「オッペンハイマー」感想 ネタバレあり
クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」の感想です。
ノーラン監督の映画は大体、長めな気がしますが、今作も3時間の大作です。
原爆の父であるオッペンハイマーがテーマということで、日本公開までに時間がかかった作品です。
ノーラン監督への期待と不安
クリストファー・ノーラン監督の作品が、心から好きな人間です。
だからこそ、今回の作品にはものすごく不安がありました。
「原爆を投下された国に生まれた人間として受け入れられない作品だったらどうしよう…」という不安です。
しかし、一方で、彼ならきっとやってくれるはずだという思いもありました。
本当に?いやいやきっと大丈夫、二つの相反する気持ちに引き裂かれ、なかなか観に行くことができませんでした。
観てしまったら最後、観る前には戻れないような気がしたのです。
今回の感想もなかなか書くことができませんでした。鑑賞してから、1ヶ月はたっています。
書くということは、意見を表明するということです。見る恐ろしさだけでなく、感想を書く、恐ろしさがあったのです。
見てしばらく、思いを巡らせていました。
勇気を出して、感想を書いてみたいと思います。
予習が足りなかった
鑑賞済みの有志の皆さんが、X(Twitter)で「映画の構成(白黒部分とカラー)を知っておいた方がいい」「同時代の科学者を知っておいた方がいい」「第二次世界大戦後のアメリカの政治、赤狩りについて知っておいた方がいい」という情報を流してくださっているので、オッペンハイマーと同時代の科学者についてだけは、Wikipediaで少し予習をしました。
映画を見るのに、予習とはこれいかに…という方もいるとでしょうが
「せっかく見に行って、確かに3時間ぽかんとしたままは辛いだろう」と思ったのです。
結果、予習しておいて良かったですが、それでもなお予習は足りなかった気がします。
それでも、ジャンベを叩いている人が、科学者であることがわかったのは予習のおかげです。
アメリカの政治や赤狩りについては圧倒的に知識が足りませんでした。共産主義の勢いをアメリカがとても恐れていたというくらいの知識しかなかったのは少し甘かった気がします。
オッペンハイマーと宮沢賢治の「貝の火」
恐ろしいものが醜いというのは、とても幼い考えだ、と思います。
この映画は徹頭徹尾美しいのです。
オッペンハイマーがイメージもしくは幻視したであろう、原子がぶつかる様子も
オッペンハイマーが馬に乗ってかけるアメリカの大地も
ロスアラモス研究所も
最悪なことに、実験した原爆の爆発さえ、あまりに美しいのです。
火柱、キノコ雲の勢い、少し遅れてくる爆音、恐ろしいはずの実験は、ある種の荘厳さを持った美しさがあります。
宮沢賢治の「貝の火」という物語を思い出しました。
青空文庫で無料で読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1942_42611.html
子うさぎのホモイが命がけでひばりの子どもを助け、そのお礼に「貝の火」という宝珠をもらいます。
ホモイの父が
「これは有名な貝の火という宝物だ。これは大変な玉だぞ。これをこのまま一生満足に持っている事のできたものは今までに鳥に二人魚に一人あっただけだという話だ。お前はよく気をつけて光をなくさないようにするんだぞ」
というほどの宝物です。
持ち通せるものがほとんどいないという点では、ロードオブザリングの指輪のようでもあります。
「貝の火」所持者になったホモイに動物たちは従うようになり、ホモイはそれに増長します。
むぐら(もぐら)をひどくいじめた際に、ホモイの父は、「今日こそ貝の火は砕けたぞ」と叱ります。
しかし、確認してみると貝の火はこれまでにないほど素晴らしく美しく輝いています。
ホモイはほっとして、その後も「貝の火」をかさにきて、生命をもてあそぶようなことをします。
そして、その結果、「貝の火」は砕け散り、ホモイはその粉が目に入って失明します。
臨床心理学者の河合隼雄氏がこの物語について、「悪いことをしたからと言って、すぐ貝の火が濁らないところが重要なのだ」と書いている文章を読んだことがあります。(出典を忘れてしまいました…。書評がたくさん入った本だったような)
そうなのです。
悪いこと、恐ろしいことがわかりやすく醜い、というわけでないところに、この世界の難しさがあります。
こうして書いてみると、オッペンハイマーのあらすじは、「貝の火」と重なるところがありますね。
「貝の火」の力を、自分の力と混同したホモイは得意になって、
「お母さん。僕はね、うまれつきあの貝の火と離れないようになってるんですよ。たとえ僕がどんな事をしたって、あの貝の火がどこかへ飛んで行くなんて、そんな事があるもんですか。それに僕、毎日百ずつ息をかけてみがくんですもの」
というのですが、
おそらく、ある瞬間までのオッペンハイマーは
ホモイと似た心持ちであったのだろうと思うのです。
広島・長崎の被害を知ってから、オッペンハイマーの「貝の火」はすぐ曇ったのでしょうか?
そうではないでしょう。
彼の「貝の火」はその頃、まだ赤々と輝いて美しかったはずです。
彼の「貝の火」が曇ったのは、ルイス・ストローズが登場して以降だろうと思います。
不倫相手が死んだ後でもなく、原爆で多数の命を奪った直後でもないというところがポイントです。
その上、オッペンハイマーの「貝の火」は、曇り続けるものの、粉々に派手に砕けることもありません。
曇り、いつ砕けるかわからない「貝の火」として人類の目の前に横たわっている、と考えることができます。
宮沢賢治の物語を読むと、
因果というものはあるけれど、それが動くのは、人間の考える速度、タイミングではないことであり、
それが動いてしまったからには、それを引き受けざるを得ないのだという、ある種の諦めを感じます。
それは、オッペンハイマーと会話を交わした後、心ここに在らずのアインシュタインの表情ににているようにも思うのです。
嫉妬とは思考の断絶である
女の嫉妬は醜いなどと言われますが、
この映画を見ると男性の嫉妬のほうがひどいとは言わずとも、
嫉妬は性別を問わず醜く、恐ろしいものだと思います。
オッペンハイマーの言った一言を、深く考えていたアインシュタインの反応を、ルイス・ストローズは誤解します。
「オッペンハイマーが、アインシュタインに自分のことを悪く言ったのではないか」ということをその後ずっと、ルイス・ストローズは信じていたように見えました。
オッペンハイマーとアインシュタインは、
人類の現在と今後について考えていたのに、
ルイス・ストローズは、オッペンハイマーが、アインシュタインに自分の悪い評価を吹き込んだと信じていたのです。
ひどい勘違いですが、一般的な人間同士でも起こりうるものだと思いました。
嫉妬とは、相手の思考がわからないことから生じるのかもしれない、と思います。
そして、
こんなふうに、嫉妬が起きる人間には、まだ原子力は早すぎたのではないかとも感じました。
原爆投下の話ではない
映画を見終わってしばらく考えていたのですが、
「オッペンハイマーは、オッペンハイマーと原爆の話であって、原爆投下の話ではない」と、感じました。
これは似たようでいて、全く異なると思います。
彼らの視点には、原爆を受ける日本人はほとんど数字としてか見えていません。
生きて、生活をしている人間としては、見えていないのです。
敵、そして、数字なのです。
ですが、それは日本側も同じでだったことでしょう。
オッペンハイマーが意気揚々とその知略を尽くし、科学者に声をかけて回っていた頃、
日本人は、日本本土で、沖縄で、中国大陸で、南方戦線で、駆け回っていたのです。
日本の側は、竹槍攻撃とか風船爆弾を真剣に考えていたのだと思うと、そのレベルの違いに暗澹たる気持ちになりますが、必死だったのは、変わりがありません。
多くの外国の人たちを敵、もしくは数字としか見ていなかったことでしょう。
原爆投下後の被害が、オッペンハイマーのヴィジョン、幻視程度、もしくは、彼が読む資料でしか表現されなかったのは、
不満もあります。
しかし、それが、彼らの、アメリカの事実でもあるのだろうと思いました。
オッペンハイマーも、被害が報告されるまで、本当の意味では、原爆投下が何を起こすか、理解できていなかったのです。
理解できていないことは、想像の外にあるということ、つまり、描写ができないということだと思います。
気になった点・よかった点
・オッペンハイマーの友達、むいたみかんあげるおじさんこと、イジドール・ラビがとてもよかったです。
君ががいてよかったよ…と思いました。最後の最後までお前いいやつだな。
・キリアンのあの眼差しが、クリストファー・ノーラン監督の、撮りたかったひとつなのだろうと思います。夢見るような、傲岸不遜なような眼差し。
・オッペンハイマーはの恋愛観がよくわからない…、天才の思考だからかもしれないが、結局何がしたかったんや…と思いました。ただ、オッペンハイマーの好みは、知的な女性(博士号持ってる、本物の知的階級)だったのだろうということは確かな気がします。
・オッペンハイマーの妻、キティ・オッペンハイマーがアルコール依存っぽい場面があったけれども、キティは生物学者・植物学者であり、キャリアと子育ての問題もかなりあったのだろうか…と思ってしまいました。キティの人生ももっと知りたくなりました。
・アーネスト・ローレンスがはちゃめちゃにセクシーで驚きました。画面に出てくるたびに、何の話だったか、頭が混乱するくらいの色男です。ジョシュ・ハートネットが演じていました。ジュシュってあんなにセクシーでしたか??男前だとは思っていたのですが、もっと優男なイメージがあり…あんなに色っぽい人だとは知りませんでした。体が大きくて、愛嬌があって、大変キュート…。
・マット・デイモンは、鼻の下のヒゲのせいで、違う人に見えました。ああいうヒゲは人相を変える気がします。
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