12月7日の手紙 カササギ殺人事件 ネタバレあり
拝啓
ホーソン&ホロヴィッツシリーズの作者であり、テレビドラマや映画の脚本家である、アンソニー・ホロヴィッツによる構想15年の傑作小説…という触れ込みの作品、カササギ殺人事件の感想です。
今回もAudibleで聴きました。
上下巻となっています。
今回も気をつけてはいますが、ネタバレは多少あるので、ネタバレを読みたくない方はここで、ブラウザバックしてください。
良ければ、読了、聴了した後で、またいらしてください!
英国推理小説のプライド
アンソニー・ホロヴィッツは、アガサ・クリスティー、そしてそれを生み出した英国に誇りを持っているのだろうと思います。
英国ミステリらしさを追求した舞台設定と登場人物、
英国の鄙びた田舎にある、豪邸で殺人事件が起き、一癖も二癖もある住人たちが容疑者になるという王道の展開です。
地主とその家族、使用人、牧師、医師、骨董屋など登場人物の肩書だけでも、もうすでに怪しい上に、被害者も決して無垢な存在としては描かれていないところに、英国らしいシニカルさを感じます。
おそらく英語の原文で読めば、さらにそれっぽい言い回しや単語が使われているのだろうと思います。勉強不足で、日本語でも、作中内人物が指摘した箇所もよく知らない始末でした。
アガサ・クリスティーファンはとっても楽しめると思います。
読み手が2人
今回、この小説は、Audibleらしい仕掛けがあります。
読み手が2人いるのです!
女性の読み手から始まり、男性の読み手へ変わり上巻が終わります。
下巻は女性の読み手から始まり、結末でわずかに男性の読み手が出てきて、最後に女性の読み手に戻ります。
これは小説の構成をよりわかりやすくするものであり、Audibleを活かした、演出であると思います。
お二人とも上手で聞きやすかったです。
特に女性の読み手は上品な雰囲気で、作品の女性主人公、スーザンが原文よりお淑やかなイメージになった気がします。
探偵も2人
読み手が2人いるのは、探偵が2人いるという理由からでもあるでしょう。
1人目の探偵は、ホロコースト体験者のドイツ人、アティカス・ピュント、2人目の探偵は現代の編集者、スーザン・ライランドです。
正直なところ、アティカス・ピュントの方が、探偵としては魅力的です。アティカス・ピュントは、悲惨な過去を持ちつつも、あたたかく、礼儀正しく、素晴らしい推理力の持ち主です。
スーザン・ライランドは、アティカス・ピュントシリーズを出版している会社に勤める、編集者です。現代的でミステリ好き、つまり読者のアバターとなるキャラクターとも言えますが、アティカス・ピュントがあまりに探偵らしい探偵なので、それに比べると、やや凡庸です。
ただ結末を、読んでしまうと、読者がアティカス・ピュントに魅力を感じる必要があったということもわかるので、これはホロヴィッツの仕掛けでもあるのかもしれません。
また、カササギ殺人事件はミステリであると同時に、アンソニー・ホロヴィッツがよくとりあげる「作家であることの葛藤と苦しみ」をテーマにした小説であるので、そういう意味でもスーザン・ライランドのは、編集者でしかあり得ないのです。
とは言え、スーザン・ライランドのことは、読み終わっても、さほど好きになれませんでした。
少し、図々しいからでしょうか。
ミステリ好きということは人の秘密を知りたいという欲望が少なからずあるということで、それが体現されたキャラクターであるスーザン・ライランドを見ていると、自らの図々しさ、野次馬根性のようなものを突きつけられた気になるからかもしれません。
本当に心の良い人は、人が死ぬ本ばっかり読み、それを楽しむことはないでしょうから。
アティカス・ピュントシリーズが読みたい
さすが構想に15年かけたというだけあって、構成が凝っています。
上巻の冒頭から、アティカス・ピュントシリーズへ入っていくというのは、非常に面白かったです。しかし、上巻のアティカス・ピュントシリーズ、つまり、小説内小説があまりに面白かったので、下巻のインパクトが薄まった気がします。
アティカス・ピュントシリーズはタイトルも凝っています。「アティカス・ピュント登場」「慰めなき道を行くもの」「愚行の代償」「羅紗の幕が上がる時」「無垢なる雪の降り積もる」「解けぬ毒と美酒」「気高きバラをアティカスに」「瑠璃の海原を越え」素晴らしいタイトルばかりです。
このタイトルについては訳者のかたの並々ならぬ努力も感じます。美しいだけでなく英語の意味を損なわない日本語のタイトルに翻訳した訳者に心から拍手を送りたいです。
「アティカス・ピュント登場」というタイトルは、ホーソンアンドホロヴィッツシリーズでホロヴィッツからつけて欲しいと言われた「ホーソーン登場」と同じです。ホロヴィッツが好きなタイプのタイトルなのかもしれません。
アティカス・ピュントシリーズはタイトルだけなのか、それともある程度、内容まで構想されているのか、ということが、気になりました。
正直なところ、アティカス・ピュントシリーズ9作を書いた方が売れてしまうのではないかと邪推してしまいます。
ホロヴィッツの苦い顔が見えるようです。いや、それもわかっていてカササギ殺人事件を書き上げたとしたら、意地の悪い笑みを浮かべているかもしれません。ホロヴィッツという作家のテーマ性を考えると後者の可能性が高い気もします。
次作「ヨルガオ殺人事件」でアティカス・ピュントシリーズの「愚行の代償」が取り上げられているようなので、もしスーザン・ライランドのミステリが続くなら、少しずつ、アティカス・ピュントシリーズの内容が明らかになっていく可能性があります。
でも、カササギ事件方式で次作も書くとすると、アティカス・ピュントの部分とスーザン・ライランドの部分を書くことになり、倍の労力が必要になりそうです。
ホロヴィッツのことだからそうする可能性は高いような気がします。
わざわざ難しいことに挑戦するその心意気!
ホロヴィッツは本当にミステリが好きなんでしょうね。
探偵の助手と警察は愚かに設定されている
ジェイムズフレイザーのモデルになった青年が言う、「名探偵の助手は愚かなことしか言わない、言うこと全て間違ってる」と言うような話はホーソーンアンドホロヴィッツシリーズでも踏襲されています。
ホロヴィッツはメタ的なミステリを書く人なのだと思います。
ミステリが好きすぎるからこそ、その奇妙さ、非現実感をよく知っていて、あえてその部分を小説にする人なのです、たぶん。
スーザン・ライランドの部分で警察がうんざりするほど現実的な対応しかしないことも、メタ的な意味合いなのだろうと思います。
ミステリみたいに探偵に協力する警察なんて、存在しないよ、という皮肉でもあるのだと思います。
と言うわけで、カササギ殺人事件は、ホーソンアンドホロヴィッツシリーズ以上に、ミステリ好きによるミステリ好きのためのミステリでした。
アガサ・クリスティーが好きな方、ミステリ独自のルールや展開に心の中でツッコミを入れていたミステリ好きにはおすすめです。
皮肉というかメタ的楽しみがわからない方にはつまらないかもしれません。
年末年始の間に次作も読む(聴く)予定です。
楽しみです。