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2025年1月22日 くさくさする季節


くさ‐くさの解説

[副](スル)おもしろくないことがあったり、いらいらしたりして、心が晴れないさま。くしゃくしゃ。「雨続きで気が—する」

goo辞書

とにもかくにも、気持ちがくさくさします。
すっきりせず、イライラしていると言うことなのですが、
「くさくさする」のほうが相応しく感じます。
この胸に渦巻く灰色の雲、
そして、それと連動もしくはつながった頭上の曇天、
通常より、くっきり感じる重力、
想定外の連絡や問い合わせ、
降ってわいた仕事、
土日にある用事、
そういうもの全てが、「くさくさする」のです。
二言目に浮かぶ言葉は「嫌になってしまった」です。

どうしてこんなに気分がイマイチなのか、ぼんやり考えて、
「そもそも私は1月から2月にかけて、苦手なのだ」と思い出しました。
そして、
去年も同じような記事を書いたのではと、ハッとしたのです。
過去の記事を検索すると、これです!
ありました。

ばっちり、書いています。
日付を見ると、1月24日!
この記事を見るにつけ、
私、やはり、1月下旬から2月上旬は調子がイマイチであるようです。
天気や気温もさることながら、
年度が変わる前というのが1番大きいでしょう。
この冒頭のだらだら続く描写を見ると、
去年はもっと寒かったようですから。
今日はまだ、暖かいほうです。
かなり暖かくても、気持ちは落ち込んでいます。

「2024年1月24日 1番苦手な季節」の目次



今年のあたたかさを考えると、
2024年1月24日の記事に書いた、
①寒い、②重ね着が嫌い、という要因は排除できます。
③確定申告作成時期である、については、
確かに、おっくうではありますが、
期限まではまだ時間がありますし、
必要な書類も準備してありますから、
実はそこまで、心配ではないと今年は感じています。

そうすると、
④来年度のことを考える時期である、が
主な気持ちの落ち込みの要因ということになります。
そうですね。
仕事において、
年度が変わるたびに条件などが、
どうなるかわからないところがありまして、
それが不安なのです。
変化が苦手だからです。
しかし、心配したところでどうなるわけでもなく、
大きな流れには逆らえません。
だから、心配するだけ、無駄と言えば無駄なのです。
無駄な心配なのだから、
思い切り手放してしまいたいのですが、
そううまくいかないのが、人間で、
その心配にとらわれているというわけです。
あれやこれやと心配をするのに疲れてきてしまったので、
いっそのこと、
最も恐れていたことを想像してみることにしました。

最も恐れていたこと、
それは仕事がなくなること、
仕事をせずに暮らさなければ、
ならなくなることでした。
仕事がないとどうなるでしょうか?
収入はなくなります。
これは大変なことですが、まあ短い期間、
贅沢をしなければ、生活はやっていけるはずです。

仕事をしないとしたら、何をしましょう。
ゆっくり起きて、
山ほど積んである本を読み、
ジムに行き、
スーパーに買い物に行き、
家庭菜園をやって、
毎日、文章を書き、
時々、買い物や旅行や映画に行く。
それは、つまり、
このnoteに書いているようなことだけする、
生活です。
はて?これは、最高の生活ではないでしょうか。

こうして、これまで最も恐れていたことに
むしろ、
心惹かれらようになりました。
仕事を辞めて
しばらくゆっくり暮らすのはどうだろう、と真剣に考えだしてしまったくらいです。

正直なところ、どうにも、
労働意欲が低下しているのです。
数年前は自他ともに認める仕事大好き人間だったのですが、
ここ2年で急速にそういう気持ちが減少してきました。
仕事が嫌いになったわけではなく、
仕事を取り巻く社会システムに
嫌気がさしてきたようです。
この世の中が頑張ったら頑張っただけ報われる世界だなんて
1ミリも思ってはいませんでしたが、
それでも
誰かは見てくれるだろうと信じていたし、
そのうちに社会システムの方が
変わってくれるだろうと呑気なことを考えていたのです。
ところが、実際はそんな風には変わりませんでした。
社会システムも、世界も、
より窮屈なくせに実態の伴わない方に、変化して行っています。
自分の信じる世界になるように
具体的に行動してこなかった私も
悪かったのかもしれません。
そう、今という未来には自分の選択も影響しているはずです。
それはわかっています。
それでも、
今の状況で真面目に仕事に取り組む意味は
あるのだろうか、と思うようになってしまいました。

全く働けないというほど、
心身に不調があるわけではないのですが、
出来ることなら、
仕事をせずに暮らしていきたいという思いが、
強くなったのです。
ようやく、労働の洗脳が解けたということかもしれません。
仕事について、あんなに深刻に捉えて、
縛られる必要は本当はなかったのかもしれません。
石にしがみついてもとか、
歯を食いしばってやるというような考えは、
もうすっかり時代遅れなのかもしれません。
仕事なんて、
辞めてもいいし
やらなくてもいいのかもしれない、と思えるようになりました。

実際に仕事をしなくなるかはまだわかりません。
仕事、やっている最中はとても充実感があるのです。
しかし、
「いつだって辞めていいし、辞められる。
辞めたら、note記事に書いてることだけ
やれる生活を出来るかもしれない」
とわかったことには意味があります。
「いつだって相手を倒せる体力はある」というのと、同じですね。
私には「いつだって、仕事を辞めて、やるべきことがある」のです。
「仕事がなくても私がやりたいことはたくさんある」とわかると、
くさくさした気持ちは、ずいぶん和らぎました。
もちろん、消えてしまってはいませんが…。
来年の今頃は、
今年よりも早くこのことに気づくか、
くさくさした気持ちとは無縁であることを祈ります。
来年の私、よろしくね。








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千歳緑/code
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